読書: 丸山眞男 『自由について』

先日購入した以下の丸山さんの本をカフェで読む。

とても面白かった。まさにカフェだか喫茶店だかでお茶を飲みながら先生とお話しているような雰囲気の内容です。出版を前提としていない話だからか、結構丸山さんも本音が出ているような感じです。割とストレートだ。幾度も「へぇ〜、そうなんだ」って思うことがあって楽しかったです。
一つ二つ例を挙げると、丸山さんがマルクス主義者にならなかった理由が述べられています。それは丸山さんは新カント派の著作をドイツ語の勉強のためなんかに読んでいたらしいのですが、それがかなり精緻な論述が展開されていると感心なさったそうなのです。それに対してマルクス主義の本を見るとこれがかなりいい加減に感じられたのだそうです。マルクス自身は評価するがマルクス主義の文献はもうどうしょうもないと、大体そんな風に思われたようです。概してそんな訳でマルクス主義者にはならなかったようなのです。
あと印象に残っているのは御成敗式目というのはかなり近代法的な要素を持ったものだったという話です。まずこの式目を制定した人物である北条泰時の名がきちんと署名されていて、自分もこの式目に服する旨が暗に示されているようです。また原告だか被告だかに言いたいことが言える機会をちゃんと与え、裁判官だかが合議して判決を下すのですが、複数の裁判官が発言する順序もくじ引きで決めて色々な意味で力のある他の裁判官の意見に影響されないようなシステムを作っているようです。それにその際出てきた話としてマックス・ウェーバーが言っているらしいのですが、弁護士という職業なしい制度は西洋にのみ出てきたものだそうです。これもおどろいた。そうだったのか。どうも勢力を軸にしてではなく、道理を軸にして裁判を営む文化圏では弁護士というものが生まれてくるものらしい。たぶんですが。
他の本でも調べてみると確かに御成敗式目は合理的で実利的な法律であったというような記述が見られました。

とまぁ面白く読んでいたのですが、最近は定義論についての調査がちょっとおろそかになってしまっている…。少し体勢立て直さなければいけないかなぁ。