備忘録: オッカム、フッサール、ウィトゲンシュタイン

研究会では紀要の哲学年報をもらって帰りました。帰り道ではスターバックスに寄って先日入手した以下の文献を軽く読みました。

  • 渋谷克美 「スコトゥス、オッカムにおける様相論理と可能世界論」
  • 浜渦辰二 「フッサールにおける論理と世界 −様相論理と可能世界意味論に寄せて−」

前者によりますと、アリストテレスは「人間は理性的動物である」という文を必然的であると考えていましたが、オッカムは必然的ではないと考えていたようで、その理由は何かを考察しています。結論としましては、アリストテレスでは件の文は自然的必然性を持つから必然的だとするのに対し、オッカムは件の文を論理的必然性を持たないから必然的ではないと考えていたと分析し、これによって両人に見解の相違ができたとしています。ちなみにオッカムもスコトゥス同様、可能的な事態なり世界なりが同時に存在しうるとする可能多世界的な様相観を有していたようです。
後者の論文ではフッサールの様相概念と可能世界の概念が探究されています。それによりますとフッサールが様相概念を使用する重要な場面とは、ノエシスノエマ的構造を論ずる場面であり、ノエマに必然性などの様相的性質が付されると共にそれがノエシスとの関連で語られるという微妙なものになっているようです。この微妙さは現象学が自然的なものの見方を離れてノエシスノエマの領域を確保した中でものごとを考えていく営みであることから由来すると思われます。
そしてフッサールの可能世界概念ですが、これは地平やパースペクティブという概念の近辺で語られるのもののようであり、それは他者と経験を共有することが可能であるような世界、他者と経験を共有することが可能であるような、客観的世界になりえたであろう世界と捉えられているように私は解しました。これが実際の可能世界意味論での可能世界とどの程度の関係を持つかは、何だか微妙であり、私にはまだよくわかりません。


PS.ウィトゲンシュタインが好きだったオットー・ヴァイニンガーですが、上山安敏先生の『神話と科学』を調べるとヴァイニンガーの有名な本『性と性格』はベストセラーだったと書かれています。20年ぐらいの間に20刷ぐらい増刷されていたようです。毎年1回は刷られていたとするとコンスタントに売れていたということになります。ウィトゲンシュタインやキリコもこうして出回っていたヴァイニンガーの本に出会って手に取ることになったのかもしれません、と、こう書いている端から思い出したのですが、ジャニク・トゥールミンの『ウィトゲンシュタインのウィーン』で、ウィトゲンシュタインはヴァイニンガーの本をお姉さんだかに渡されて出会ったと書いてあったようなことを思い出しました。記憶に間違いがなければの話ですが…。