読書

スターバックスで以下を読む。

  • 長崎 憲一、横山利章  『明解 線形代数
  • M.ウェーバー  『宗教社会学』の第四節「預言者」の続き
  • 伊藤和夫  『英文解釈教室』のオリジナル版、後ろの方のページを復習
  • Geraldine Brady  From Peirce to Skolem: A Neglected Chapter in the History of Logic

上記のウェーバーを読んでいて預言者と哲学者の違いについての指摘があった。メモっておこう。

しかしながら、彼ら[孔子プラトン]を預言者からはっきり分かつのは、生き生きとした情感的な説教の欠如という点であり、まさにこの説教(プレーディヒト)こそが、[…]とにかく預言者に固有のものなのである*1

例えばソクラテスの活動は[…]直接に啓示された宗教的な使命の欠如ということによって、概念上、預言とは区別されるものである*2

しかしながら、個人的啓示にもとづく一つの宗教的救済真理の告知が常に欠如しているという点において、彼ら[哲学者]はやはり、われわれがここで主張している意味での預言者ではない。まさにこの点こそが、ここでは預言者を識別する決定的な徴表として確認されねばならないのである*3

[…]内容的に新たなる啓示によって語るふうでもなく、また特殊な神の委託によってあえて発言しようとすることもないという点で、預言者の範疇からは除外される*4

「私は深くて長い苦悩の果てに突然明るい光に包まれて確信した、聞け、皆のもの。…」とか「夜寝ていると、神が来られて私に言った、皆のもの、聞きなさい。…」とかなれば、預言者ということなのかな。ふむふむ。

*1:マックス・ウェーバー 『宗教社会学』、武藤一雄、薗田宗人、薗田坦訳、創文社、1976年、74ページ。

*2:註3参照。

*3:ウェーバー、前掲書、75ページ。

*4:註5参照。