- 土屋俊 「『原論考』三・二○二」、飯田隆編、『ウィトゲンシュタイン読本』、法政大学出版局、1995年
この論文では『論考』の三・三の由来を検討している。その三・三とは、土屋先生の訳によると以下のものである。
「三・三 命題のみが意味を持つ。命題という連関の中でのみ、名は意味を持つ。」
Fregeの文脈原理によく似ている。しかし土屋先生の結論によると「『原論考』三・二○二すなわち『論考』三・三の文脈原理は、フレーゲのものとはまったく無縁であり、むしろ、『論考』一から二にかけての存在論優先の議論を言語表現の側から見直すことの必要に迫られて辿り着いたウィトゲンシュタイン独自の結論だったのである。」*1『論考』の三・三はFregeの文脈原理を念頭において理解してはならないものとのようである。私にはすぐには何とも言えない…。「そんなことでどうする」とお叱りを受けそうだが…。
Fregeの文脈原理の一つとその英訳、および『論考』三・三の独文とその英訳二種類を以下に掲げてみよう。
- Nur im Zusammenhange eines Satzes bedeuten die Worter etwas.
- […]it is only in the context of a proposition that words have any meaning, […]
- Nur der Satz hat Sinn; nur im Zusammenhange des Satzes hat ein Name Bedeutung.
- Only the proposition has sense; only in the context of a proposition has a name meaning.
- Only propositions have sense; only in the nexus of a proposition dose a name have meanig.
1.はFregeのGrundlagenの§62から。2.はAustinによるその英訳。3.はWittgensteinのTractatus 3.3の独文、4.はOgdenによるその英訳、5.はPears & McGuinnessによる英訳。こうして比べてみると、1.と3.の後半は結構似ている。 しかしそこで言われていることは違うのだ、というのが土屋先生のご意見である。「ご意見」というよりも「事実だ」と言い放たれそうですが…。
*1:土屋、95ページ。