Memo: 数が (対象として) 存在するということの論証概略

Fregeが考えていたと後付け的に推測される、数が(対象として)存在するということの論証概略(の概略)*1

(HP: Hume's Principle) Fの数とGの数は同じである iff Fの元とGの元は一対一に対応する (Nx:Fx = Nx:Gx ⇔ F 〜 G) を正しいと仮定する(「〜」は全単射)。

1. Fの元とFの元は一対一に対応する(恒等写像全単射)、ということは真である。
2. 1.はHPの右辺の特別な場合なため、その左辺が導かれて、Fの数とFの数は同じである、ということが真である。
3. 「Fの数」はFregeによると単称名であることが、semanticsに訴えずsyntacticalな資源のみで判明するとし、
かつ単称名のいみは対象であるとされ、
かつ「文全体がいみを持てば、文の部分表現がいみを持つのに充分である」という文脈原理が成り立つとするならば、
「Fの数」は単称名であって、この単称名にはいみがあり、そのいみとは対象である。
したがって以上から対象として、Fの数が存在する。

あまりに大まかな図式である。後日肉付けするかもしれない。眠いので頭が回らない…。

*1:先日からの金子、Tennant両先生論文の記述に補足して略述。