メモ: 明治哲学における記号論理学の理解 元良勇次郎の場合

  • 船山信一  「明治哲学における記号論理学の理解 −元良勇次郎の場合−」、『明治論理学史研究』、哲学全書 第10巻、理想社、1966年

上記の船山論文をスターバックスで斜め読み。この論文とこの論文が収録されている本は、田中先生ゲーデル

田中一之編  『ゲーデルと20世紀の論理学 1 ゲーデルの20世紀』、東京大学出版会、2006年

では引用も言及も参照もされていないかのようである。そこでこの論文にある気になる一節を以下に記しておく*1。ちなみにこの論文副題の元良さんとは、日本で最初に心理学を導入された方だと記憶しています。

記号論理学が日本で始めて[ママ]本格的に取り上げられたのは、明治33年[1900年]に元良勇次郎が発表した「思想の発達と形式論理の関係」においてである。

「本格的に」というのはどの程度のことをいうのかによって、評価は異なってくるだろうから、船山先生のご判断が正しいのかどうか、私の知識不足もあって何とも判断できない。田中先生ゲーデル本ではあの高山樗牛が明治時代に論理学書を書いていたことが記されているが*2、一方船山本の巻末には明治時代に出た論理学関係文献の一覧が上がっており、その中にはなぜか高山樗牛の論理学書の名がない。この点からして船山論文は明治論理学文献を全く遺漏なく調べ尽くした後で書かれている訳ではなさそうだと推測でき、したがって日本への数理論理学本格的導入第一番手=元良勇次郎説がいささか危ういものであることがわかる*3。詳細は私には判断できない…。
ちなみに今述べた船山本巻末の明治論理学文献を眺めてみると、「惹穏氏」の論理学を伝える文献が割と散見される。これは誰なのかというとMr. Jevons(1835-1882)のことである。ジェヴォンズに対するこの漢字表記は音写なのでしょうか…。いずれにせよ明治期にはジェヴォンズをはじめ、論理代数派に人気があったようです。


PS
2011年8月15日現在、日本語の Wikipedia、「元良勇次郎」における「経歴」の欄を見ると、洋行した大学では John Dewey に学んだと書かれています。元良さんは Dewey 流の論理学を学んだのかもしれません。2011年8月15日 追記。

*1:船山、145ページ。

*2:41ページ。高山樗牛が論理学の本を書いているとは全く知らなかった。高山樗牛ニーチェという図式が頭の中にできあがっている自分にとっては、何だかすごく不思議な気がする。

*3:なお元良勇次郎さんは1883年から1888年までボストン大とジョンズ・ホプキンズ大に留学されている。そしてもちろんジョンズ・ホプキンズ大は論理代数の雄C.S.Peirceが教師として教えていたところである。そしてさらにこの1883年とは確かPeirceがジョンズ・ホプキンズ大を首になった年である。多分Peirceと入れ違いで元良さんは入学されたのではなかろうか。惜しいことをしたもんだ。しかしPeirceの優秀な教え子たちはまだ大学に残っていたかもしれず、彼ら彼女らからもしかすると元良さんは論理代数の手ほどきを受けていたかもしれない。もしも日本への数理論理学本格的導入第一番手=元良勇次郎説が正しいとし、元良さんがPeirceの教え子たちから論理学の教えを受けていたとするのなら、人脈的観点からは日本への数理論理学の本格的導入はPeirceのlogicから果たされたと見ることができるかもしれない。かなりの空想が入っているかもしれないけれど…。