読書: ビアマグの幾何学

昨日に引き続き以下の解説を読む。

すると自分にとっては興味深い話があったので次に記しておく。
ビアマグの幾何学とは、ヒルベルトの有名な逸話のこと。彼が「点、線、面ではなく、机、椅子、ビアマグと言い換えても幾何学はできるのだね」と言ったという話。ヒルベルトの非常に先進的な幾何学観・公理観を伝える話としてちょくちょく読みます。この話を読んで「ヒルベルトはすごいものだな」としか思っていなかったのですが、この逸話の由来に類することが上記文献の解説にあります。そこをそのまま引用してみる*1

ヒルベルト幾何学の発展史については優れた研究があるが、その動機は、ほとんど調べられていない。唯一伝えられているのが、ヒルベルトの学生ブルーメンタールが書いた、「机、椅子、ビアマグの幾何学」の逸話である。1891年9月、ヒルベルトたちは、カントールがその設立に奔走したドイツ数学者協会の第2回年会に出席した。場所はカントールが勤務するハレ大学である。[…] この会議でヒルベルトは、H. ウィーナーという幾何学者の講演を聴いた*2。ウィーナーは射影幾何学の定理を例にとり、数学の証明は考察対象の内容に依存せず、その有限の証明の形式だけが問題であることを明瞭に主張したのである。/ その旅行からの帰途、ベルリン駅で汽車を待ち合わせる間にヒルベルトが「点、線、面ではなく、机、椅子、ビアマグと言い換えても幾何学はできるのだね」と言ったという。つまり、点、線、面から、その「本来」の実体を剥ぎ取り、それらの関係性を規定するシステムとして把握することにより、実体を消失させた後でも、幾何学の本質は残る。幾何学とは、そういう形式的・構造的な学問だというのである。

私はこのビアマグの幾何学のアイデアは、ヒルベルトが一人で無から創造したアイデアだと思っていた。さすがヒルベルトだと思っていた。しかし上記の引用を読んですぐ思ったのは、ヒルベルトのビアマグの幾何学は、射影幾何学から出てきているのではないのか、ということである。要するに一言で簡単に言ってしまうなら、ビアマグの幾何学というアイデアは、射影幾何学の双対原理が念頭に置かれて出てきているアイデアではなかろうか、ということである。射影幾何学の話の後に、ビアマグの幾何学の話を聞かされたならば、普通は双対原理のことが思い浮かぶのではなかろうか。
何だかマジックの種明かしを見せられた気分である。何だそうだったのか、ビアマグの幾何学ヒルベルトが独力で考え出した極めて先進的で独創的アイデアかと思っていたら、当時の射影幾何の双対原理のことなのか、という印象を持った。
ただしこれは底の浅い読みかもしれない。その程度のことならヒルベルトでなくても言えるはずである。話が簡単すぎる気がする。上記引用文の後で林・八杉両先生は次のように書いておられる*3

ウィーナー講演以前に、ヒルベルトはシステムとしての数学を着想し、ウィーナー講演が切っかけとなって、それが公理論にまで進化したのだろう。

ビアマグの幾何学は、射影幾何学の一ヴァリアントなんかではないのだろう。伝統的な幾何学観・公理観を書き換える深くて射程の広い考えの反映・比喩としてやはりビアマグの幾何学は語られているのだろう。
しかし幾ばくかヒルベルトの公理観に射影幾何学が関与していたらしいというのは、大変興味深い。というのもFregeも射影幾何に大きな影響を受けているみたいであり、この点で両人は同じ時代の空気を吸っていたのだと言えそうである。にもかかわらず公理系の理解に関して、何が二人をかくも大きく分け隔ててしまったのだろうか?

*1:165-66ページ。

*2:N. ウィーナーではない。以前から「この逸話に出てくるウィーナーってN. ウィーナーではないよね、別人だよね? いくら神童とはいえ、N. ウィーナーだとしても若すぎる。そもそも生まれていたのか?」と疑問に思っていたのですが、確認せずにいましたところ、林・八杉両先生の解説を読むと、別人だとわかる。まだN. ウィーナーは生まれていない。

*3:167ページ。