読書: Frege’s Begriffsschrift, its Historical Background in Jena, Part 7

  • Uwe Dathe  “Frege in Jena: Academic Contacts and Intellectual Influences”, in: M. Beaney and E. Reck, ed., Gottlob Frege, Critical Assessments of Leading Philosophers Series, Vol. 1, Frege's Philosophy in Context, Routledge, 2005


Section: Die Grundlagen der Arithmetik

このセクションで興味深い話をいくつか箇条書きにしてみよう。

    • Fregeによる有名な数概念の定義は、最近私がG. Gabrielさんの論文をちらっと見て知ったところでは、J.F. Herbartに由来すると聞いていたが、このセクションを読むと、そのことはGabrielさんよりも10年ぐらい前から既に幾人かの研究者によって指摘されていたことを知る。ある研究者は、FregeがHerbartの考えを知ったのは、Jenaにおける教育学者たちを通してであるそうである*1。Gabrielさん自身はLeo Sachseこそが、FregeにHerbartの影響を与えたのだと言っているそうである。実際Sachseさんはある論文で、Herbartの言葉をいくつか引用して彼の考えを支持しており、数言明が概念に関する言明であるというHerbartの見解に興味を示している。そしてFregeはGrundlagenのなかでSachseによるHerbartの文のいくつかに、陰に陽に言及しているという。Gabrielさんは、Herbartこそが、哲学の面でどの方向に進むべきか、その道をFregeに指南したとするに値する人物だ、としている。
    • FregeがGrundlagenで論じるKantは、K. FischerのKantだというのは、前々から指摘されていたことだと思われる。ところでこのセクションを読むと、FregeのKantは、Ernst AbbeのKantでもあるようだ。というのもAbbeはKantの著作よりも、FischerのKant論を高く評価しており、FregeのKantに対する見方は、AbbeのKantに対する見方とほとんど一致するそうである。
    • FischerがJenaを去った後、JenaにKantを教えに来るのはJohannes VolkeltとOtto Liebmannであり、この順序で彼らはやって来る。GabrielさんはFregeとLiebmannとの見解の類似性を以前論証したそうだが、Datheさんによると、Volkeltの方にこそ、よりFregeとの親近性が認められるようである。
    • Grundlagenに見られる考えのいくつかは、R. Euckenの考えのいくつかと類似しているそうである。なおEuckenはFregeとBreslauにあるKoebner社とを引き合わせたそうである。Koebner社こそは、FregeのGrundlagenを出した出版社である。

以上から、そして以上が正しいと仮定するなかから引き出される教訓は、次のようなものだろう。つまりFregeのGrundlagenは、そこに見られる重要なアイデアのいくつかについて、先行研究を明示する注記がないとしても、それらのアイデアはFregeが無から独力でひねり出したのではなく、当時のJenaという環境=人間関係のなかからの影響に基づいて生み出されたものであろう、ということである。
無から創造されたのではなく、既知の事柄を練り上げたのだ、というと言い過ぎだろうか?


PS.
さて「弗雷格」は、何と読むでしょう?
これは多分中国語でFregeのことである。確かに何となくそんな気もする…。

*1:なお恐らくHerbartは現在、教育学とか教育の哲学の分野で知られているのではないかと思う。