読書など

電車の中で以下を読む。

  • A. N. Prior  “The Runabout Inference-Ticket”, in: Analysis, vol. 21, 1960
  • Nuel D. Belnap  “Tonk, Plonk and Plink”, in: Analysis, vol. 22, 1962

面白い。Proof-Theoretic Semanticsとどう関係があるのか考えながら読んでいた。なにせ時代はProof-Theoretic Semanticsみたいですから…。


また以下をbrowsing。

  • Heinrich Wansing  “The Idea of a Proof-Theoretic Semantics and the Meaning of the Logical Operations”, in: Studia Logica, vol. 64, no. 1, 2000

うむうむ。また後日もしかするとcopyするかもしれない。


で、帰ってきた部屋では以下をちらっと見ると、PriorのtonkとProof-Theoretic Semanticsとの関係がちょっとだけ触れられているのがわかる。

  • Dag Prawitz  “Meaning Approached via Proofs”, in: Synthese, vol. 148, no. 3, 2006

Prior文献を読めば容易に予測されることだが、Prior論文は、論理定項のいみを推論規則によって与えるという試みに対し疑念を表しており、そのことにより、Prior論文はProof-Theoretic Semanticianにとっては、乗り越えねばならない相手みたいである。


また、本屋さんでは以下の新刊を手に取る。

  • 『大航海』、特集 中世哲学復興、No.62、2007年

中世哲学特集だが、中世哲学の専門家の方はあまり出てきておられません。そこが残念。どうせならほとんどの寄稿者を中世哲学の専門家にして、商業誌の特権を生かし、ここぞとばかり大風呂敷を広げた話が聞きたかった。今回の号は多分購入せずに一部をcopyさせていただくことにします。


および次の新刊も手にしてみる。

予想されたことだが、やはり期待していた訳とは異なる。
清水俊二訳に慣れ親しんでいるので、非常に違和感を感じる訳になっている。1ページ目の冒頭から激しい拒絶反応が出る。冒頭は清水訳に慣れてしまっていて、そらんじられるわけではないが、そらんじられそうな勢いで清水訳にどっぷり浸かっているので、村上さんであろうが誰であろうが、清水さん以外の訳は受け付けないようである。中ほどの本文もちらちら見るが、いささかやわに過ぎる。少し浮ついている。全然coolじゃない。しまりがない。多分だけど、この本は購入しないと思う。表紙も僕の好みじゃない。文庫版の表紙の方が圧倒的にいい。
しかし生意気言ってすみません。わかってもいないのに言い過ぎたかもしれません。これはまぁ村上さんのせいじゃないです。誰が訳してもこれは仕方がない。清水訳は一つの完結した世界だから。村上さんであっても如何ともしがたいです。私なりに入れ込んじゃっているので、全然素直じゃないです。お許し下さい。
実は今日、本屋さんに行くまで既にこの本が出ているとは知らなかったのだけれど、本屋さんに行く前にマーロウについてぼんやり考えていました。どうして彼はああなのか、ちょくちょく考えます。私はマーロウの気持ちが知りたいのです。わかるような気もするし、わからないような気もする。どうだかよくわかりません。またぼんやり考えてみます。

おやすみなさい。