Memo: Frege on Logical Objects

このメモでは以下の文献の内容を簡単にまとめます。

マルコ・ルフィーノ  「フレーゲはなぜ新フレーゲ主義者ではなかったか?」、須長一幸訳、岡本賢吾、金子洋之編、『フレーゲ哲学の最新像』、双書現代哲学 5、勁草書房、2007年


これは概して論旨明解な論文です。一読するだけで言わんとしていることはわかると思います。
さて、ではなぜFregeはNeo-Fregeanではなかったのか? Ruffinoさんによると大略以下の様になります。

    • Hume's Principle + Second-Order Logic = Neo-Fregean

だとすると、FregeはHume's PrincipleとSecond-Order LogicでPeano算術を導くことができるとわかっていながら、それでもHume's Principleを却下し、公理(V)を採ったのだ、といういみで彼はNeo-Fregeanではあり得なかったということであります。
ではなぜHume's Principleを却下し、公理(V)を採ったのか? それはHume's Principleだと数を論理的な対象へと還元することができないとFregeは考えるからです。言い換えるとHume's Principleだと数を無前提にいきなりそのまま論理的な対象だと認めてしまうという論点先取を犯すようなことになってしまうからです。それに対し公理(V)だと数を論理的な対象へと還元することができて、論理主義を完遂できるとFregeは考えたということです。
ではなぜ公理(V)だと数を論理的な対象へと還元できるというのか? 公理(V)は値域についての原理です。値域の同一性を定めています。ところでFregeにとって論理学とは概念を扱うものです。概念について語らずには論理学はなし得ません。さらにFregeによると概念について語るときには意に反して概念について語り得ず、何らかの対象について語ることとなる。そしてこの対象は概念の外延である。そしてこの概念の外延を一般化したものが値域である。したがって値域は論理学が扱う対象だということとなる。こうして公理(V)において数を値域の一種として語ることは、数を論理的な対象として還元していることになる。だからHume's Principleを却下して公理(V)を採ることが論理主義貫徹のためには枢要となるのであります。
約するならば、論理学では概念を扱い、概念について語るには概念の外延について語るしか他なく、したがって論理学が扱う対象は概念の外延ということになり、Hume's Principleでは論理的な対象としての概念の外延については語られず、それを語るのは、概念の外延を一般化した値域について語っている公理(V)であり、この公理こそが論理学の対象である概念の外延を統べるのである。だからHume's Principleではなく公理(V)なのである。だからFregeはNeo-Fregeanではないのである。
大略Ruffinoさんの主旨は以上の通りです。
が、今はもう早朝とも言える時間で、以上の文は一気に記憶に頼って書き下し、見直しもしていない。間違っているかもしれない。責任は取れません。眠いので寝ます。もしかすると、時間があれば明日全面的に書き直すかもしれない。おやすみなさい。