読書: Austin and Austen

今日はカフェで読書。
分析哲学言語哲学の和書を2点、拾い読む。Ordinary Language Philosophyについてお勉強。
そこでふと思ったことがある。別に大したことではない。

J.L. Austinの本にSense and Sensibiliaというのがある。『知覚の言語』という名で邦訳も出ている。私はまだ読んでいないし、その本も持っていない。
そのためか今日まで気が付かなかったのだが、これは何かに似ている。何だろうと思って気が付ついた。

    • J. Austen  Sense and Sensibility

である。これはイギリスの有名な女性小説家ジェーン・オースティンの小説で大体『分別と多感』と訳されている。

もう少し詳しく書き直して並べると

    • John Austin  Sense and Sensibilia (Publication date: 1962)
    • Jane Austen  Sense and Sensibility (Publication date: 1811)

である。

これは偶然なんでしょうか? 著者の名も似ているし、titleも似ている。Sensibiliaの方はSensibilityの方が出版されて1世紀半+1年後の刊行。ちなみにSensibiliaの著者はSensibilityの著者が亡くなってちょうど1世紀後に生れている。なお互いの姓のつづりは異なるが、発音辞典で調べると、恐らく発音は同じである。何だか色々と符合する。変なの。

もしかしてもしかすると、SensibiliaSensibilityをもじっているのでしょうか? 何か内容的に関連するものがあるのだろうか? Sensibilityはありふれた恋愛の機微を描いた小説らしい。これに対しSensibiliaはありふれた日常言語の機微を詳細になぞってみせた本らしい。この点では両者は関連があり、そんないみでJohn L. AustinはJane Austenの小説をもじったのかもしれない。ただ私はどちらの本も読んだことがないのでわからない。たぶんイギリスでSensibiliaが出た時は、Sensibilityのことをみな思い浮かべたのではなかろうか?
詳細は不明である…。