この論文を読んで、Fregeの公理(V)について、ふと思ったことを記す。一息に書き下す。
Fregeの公理(V)については数多くの議論が見られる。この公理がcrucial pointだからだろう。
Ruffinoさんは、なぜFregeがHume's Principleを捨て、公理(V)を採ったのか、その理由を考察している。この考察の過程で、大変興味深い見解を披露されている。
その際、Ruffinoさんは「「概念Φ」の意味は何か?」と考える。その答えは、Fregeにとって「概念Φの外延だ」というものである。そして「概念Φの外延」の意味も、Fregeにとって概念Φの外延だ、ということである。つまりFregeにとって、以下の等式が成り立つという。
「概念Φ」の意味 = 概念Φの外延
「概念Φの外延」の意味 = 概念Φの外延。
すなわち、つづめると次のようになる。
(C) 「概念Φ」の意味 = 概念Φの外延 = 「概念Φの外延」の意味。
つまり、
「概念Φ」の意味 = 「概念Φの外延」の意味
である。
さて、Fregeの公理(V)を現代的に表記するなら以下の通りである。ここで‘ ^ ’は値域を表わす作用素とする。
(V) ε^f(ε) = α^g(α) ⇔ ∀x(f(x) ⇔ g(x)).
左辺の左側‘ε^f(ε)’は、関数f(x)の値域を表わす。その右側‘α^g(α)’は、関数g(x)の値域を表わす。
今、関数f(x)とg(x)を一変数関数とすると、それらはFregeの言ういみでの概念である。そして概念f(x)とg(x)の値域とはε^f(ε) と α^g(α) であり、これらはそれぞれ概念f(x)とg(x)の外延である。したがって関数f(x)とg(x)を一変数関数とすると、(V)の左辺は、ある概念の外延同士が等しいと伝えている。
ところで(C)が成り立つとされたので、(V)の左辺がある概念の外延同士が等しいということを述べているとすると、それはまた、ある概念同士が等しいと述べているということにもなる。だから公理(V)の左辺は、Ruffinoさんの解釈によると、ある概念同士が等しいと伝えていることにもなる。
思い起こすに、(V)の左辺を個体変項‘a’,‘b’に代えたものは、「ライプニッツの原理 (同一者不可識別の原理と不可識別者同一の原理)」と呼ばれるものであった。つまり
a = b ⇔ ∀x(f(x) ⇔ g(x))
である。このライプニッツの原理は、個体に関する原理である。この原理は、個体を統べる原理であると言える。
次に左辺の個体変項を、ある概念の名前‘Φ’と‘Ψ’に代え、右辺の関数fとgを任意の個体の名前Aに代えるなら、well-formedではないが、以下の式が得られる。
Φ = Ψ ⇔ ∀A(Φ(A) ⇔ Ψ(A)).
これはライプニッツの原理の概念版である。これは概念に関する原理である。つまりこの原理は、概念を統べる原理であると言える。
さて、Fregeにとって存在するものはすべて二つのカテゴリーに分けられると思われる。すなわち、対象のカテゴリーと関数のカテゴリーである。
上記で語っていた個体とは、この際対象である。また上記で語っていた概念とは、Fregeにとって関数の一種である。
すると、個体版ライプニッツの原理は、二大存在カテゴリーのうちの、対象という存在者を統べる原理であるとわかる。
また概念版ライプニッツの原理は、二大存在カテゴリーのうち、関数という存在者を統べる原理であるということがわかる。
ところで概念版ライプニッツの原理は、上記に見たように、公理(V)の一変種と目される。
したがって以上から、個体版である通常のライプニッツの原理と、公理(V)は、Fregeにとってこの世に存在するすべてのものを司る原理であると考えることができる。
思うに、普通、ライプニッツの原理からparadoxが出るとは考えられていないと思う。そのような状況は少し想像し難い*1。
同様に、対応する公理(V)からもparadoxが出てくることは、それが通常のライプニッツの原理に相当するものならば、想像し難いものと思われる。
しかしそこから周知の通りparadoxが出た。これは、極めて大雑把に言えば、通常のライプニッツの原理からparadoxが出てきたと言うに匹敵しそうである。
これは確かに驚きである。以上。
上記後半部の「さて、Fregeにとって存在するものはすべて二つのカテゴリーに分けられると思われる。」以下は私の勝手な思い付きである。
以上はすべてきちんと見直していない。間違いが含まれる。ちゃんと裏を取っていない。単なる思い付きに過ぎないので、書いておいてなんだが、あまり文責は取れない…。後日余力があれば書きなおすかもしれない。