昨日の日記

昨日も飲み会に行ってきました。
昨日の飲み会のメンバーは、二日前のメンバーとはまた別。
今回の飲み会は、正直に申しますと、あまり酒がおいしくなかったです。


以前も何度か飲んだメンバーなのですが、毎回未婚の女性陣が男心について知りたがり、その話に終始する。
しかもほとんど内容は前回と同じ。
女性陣の話を聞いていると、男心をうんぬんする以前の問題だと強く感じます。
彼女たちが精神的に自律されていないので、最終的にはこちら側は「やれやれ」と肩をすくめて見てる他はないです。
彼女たちの意見を聞いていると、自分と他人との区別が充分ついてないように感じられます。
自分の意見は自分の意見とし、他人の意見は他人の意見とし、汲み取るべきものは汲み取り、きっぱりと拒絶すべきものはきっぱりと拒絶し、筋を通すべきことは筋を通し、そこからたとえ不利益が生ずるとしても、それを厭わず引き受けていく覚悟を持つこと。
ただそれだけである。
ちゃんとこれができている女性もいる。私はそういう女性を何人か知っている。そういう女性はみな魅力的である。
話していても楽しいし、話が通じる。こちらの話を批判されても、納得いくし、こちらから相手の意見に反対しても理解してもらえるという感触がある。
事の正否や好悪に対する判断を、恋人である男性に任せてしまい、自分はこうしたいし、こうすべきだとか、自分はこうはしたくないし、すべきではないと、相手の意見と感情を尊重・考慮しつつ、自分の意志を自由に表現できる女性は素敵です。
というか、普通は大人の女性はそうだと思うんですけどね。
今回の女性陣はみな、恋人の男性に色々と「合わせる」そうだけれど、僕がその恋人ならば、僕に合わせてほしくはないと思う。
恋人には好きなことをいい、好きなことをやってもらいたいと思う。
合わせる必要などまったくない。「合わせる」という言葉を使っている時点で、既に精神の自律性が損なわれていると感じる。
自分で感じ考え行動し、その結果に責任を取りたいから、僕は自分を捨て殺して相手に合わせたくはないし、相手にもそんなふうにはしてもらいたくないです。


とまぁ、話は尽きない。もうやめましょう。
それにしても彼女たちは少々こらえ性が足りなさ過ぎると思う。
世の中にはもっと過酷な状況に生きている女性がたくさんいると思う。
そんな過酷な現状を受け止め、状況を打開すべく一生懸命生きている女性はいる。
そんながんばっている女性の方がどれほど素敵なことか。
今回の女性陣はひどく気の毒である。
みな親元で今も大切に育てられている方々ばかりのようなので、致し方ないのだろうか。
ほんとかわいそうである。本当に大切なことが、わからないままなのだから。


以上、言葉に過ぎたら申し訳なく思います。