(Sortalsとは何かについては、2007年9月8日、23日の日記を参照。)
以下は2007年9月20日の日記の続きである。幾分重複を厭わず記していく。
さて、Quineさんのsortalsが出てくるのは、彼の『ことばと対象 (Word and Object) 』の第 3 章 「指示対象の発生学」、section 19 「分割された指示対象」においてである。
まず、このsortalsが出てくる『ことばと対象』全体が、総体として、何をやろうとしているのかを極簡単に記しておく。次に、sortalsが出てくる第 3 章 「指示対象の発生学」でQuineさんは何をやろうとしているのかを、手短ににまとめておく。そして最後に、『ことばと対象 (Word and Object) 』の第 3 章 「指示対象の発生学」、section 19 「分割された指示対象」におけるQuineさんのsortalsを引用する。
『ことばと対象』は、全体として何をやろうとしているのかを記すと、大略以下のようだと思われる。
人はいかにして、わずかな資源をもとに、科学に基付く世界理解を入手しうるのか、この疑問に答えるための見通しを、科学的知見を大いに利用しつつ、ことばがいかに世界の対象と関わるかという観点から、思考実験を多用することで、再構成してみせる。そしてこの考察の中で、どこまでが人間に対する与件で、どこからが人間による、いわば積極的な世界理解における貢献なのか、この範囲を、できるだけ明晰かつ簡素な形で、明らかにすること。
次に、Quineさんのsortalsが出てくる彼の『ことばと対象 (Word and Object) 』の第 3 章 「指示対象の発生学」では、何が行われているのかを、手短にまとめてみる。
Quineさん自身の言葉を使い、第 3 章 「指示対象の発生学」で何が行われているかを記すと以下のようである。
本章 [第 3 章 「指示対象の発生学」] では、これらの装置 [冠詞、繋辞、複数形といった英語特有の装置] が、われわれの文化 [英語を母語とする人々が大多数を占める地域の文化] に育まれた子供の言語習慣の発達に伴って増大してゆくことを考察する。*1
前章 [第 3 章] では、われわれの文化圏の子供が名辞や補助的不変化詞 [複数形の‘s’の類い] を段階的に習得してゆく有様を想像してみた。[思考] 実験上の細部にわたって完全を期そうとしたものではなかったが、その発生論的なアプローチの仕方にはいくつか便利な点があった。つまり、それによって、会得すべきいかなる装置が存在し、それらを会得するとはどういうことであるのか、を順を追って描くことができたし、また、それら装置が指示対象に関して主張することがらを段階的に積み重ねながら研究することができたのであった。*2
この章で行われているのは、赤ん坊の喃語から、幼児、少年・少女の時期を経て、母語を習得し、安定状態に入った成人期に至る過程での、冠詞、繋辞、複数形といった英語特有の言語装置と、そのような装置の習得の各段階における世界内の対象との関わりの有様と変化の様相を、思考実験を通して概観していると言える。
つまり、例えば、複数形を使いこなせるようになるということは、身の回りの対象とどのような関係を取り結ぶことができるようになると言えるのか、そのことを、複数形が使いこなせるようになったその時期を、想像しながら考えてみる、ということ、このことを第 3 章では行っている。
そしてこのようなことを行っている第 3 章では、sortalsを習得するとは、身の回りの対象との関係において、どうすることができるようになることなのか、そのことがこの章のsection 19 「分割された指示対象」で取り上げられている。
ようやくQuineさんのsortalsまでやってきました。次に、このsection 19 でのQuineさんのsortalsの事例を引用して話を締めくくりたいところだが、その前に、今度はこのsection 19 全体では何が行われているかを簡略に見て、それから最後にQuineさんのsortalsの事例を引用して終わりにしたいと思います。話が随分長くなりますが…。
続く…。