論証的/公理論的数学を史上初めて考え出したのは誰なのか?
以下の文献にその人の名が記されているので、その名を明記しておく。詳細は論じない。
- 斎藤憲 「『原論』解説 (I-VI巻)」、エウクレイデス、『エウクレイデス全集 第1巻 原論 I-VI』、斎藤憲訳・解説、三浦伸夫解説、東京大学出版会、2008年
- Wilbur Richard Knorr “On the Early History of Axiomatics: The Interaction of Mathematics and Philosophy in Greek Antiquity”, in Jean Christianidis ed., Classics in the History of Greek Mathematics, Kluwer Academic Publishers, Boston Studies in the Philosophy of Science, vol. 240, 2004
斎藤先生は、論証数学を発明したその人の名を「キオスのヒポクラテス」としておられる。98-100ページにそう書かれている。
Knorrさんは公理論的な数学はHippocrates of Chiosが考え出したのではないと述べ、Theodorus of Cyreneが形式的で公理論的な数学を考え出したと説いておられる。Hippocratesが公理論的数学を考え出したのではないというのは、pp. 85-6, 特にp. 85を参照。公理論的数学を考え出したのはTheodorusだというのは、pp. 86-7, 特にp. 87を参照のこと。
ここで注意すべきは斎藤先生がおっしゃられる「論証数学」という言葉の正確ないみである。
私見によるならば、先生はこの言葉でエウクレイデス『原論』に典型的な公理論的数学を主としていみされているようである。
しかし公理論的とは限らない数学をも、あるいはいみされておられるようにも読める。
先生の文章の94ページ冒頭で、「一方、『原論』に代表される論証数学は、」という文言が見え、これは「論証数学」で公理論的数学のことが考えられていることを示唆している。
しかし先生は、非共測量いわゆる無理量の発見には論証数学が必要であったと述べられ、それは『原論』ができる100年ほど前のことだと言われた後、『原論』ができる150年ほど前にキオスのヒポクラテスがそのような論証数学を考え出した、と説かれておられる。このことは98-100ページに書かれてある。
ここで気を付けなければならないのは、公理論的な数学と、公理論的ではない論証的な数学とを、きちんと区別しなければならないということである。
公理論的な数学は、論証的な数学でもあるが、論証的な数学が、どれも公理論的な数学であるとは限らない。
詳細を論じている暇はないが、簡単に言ってしまえば、公理論的な数学は演繹的な数学であるが、演繹的な数学がどれも公理化されて組織立てられているとは限らない。具体例を言えば、恐らくだが和算は演繹的な数学ではあったろうが、公理論的な数学ではなかったろう*1。
ところでキオスのヒポクラテスが演繹的な数学を展開したのは確からしいが、公理論的な数学を展開した証拠は、まったくない*2。
したがって斎藤先生が「論証数学」ということで、公理論的数学のことをいみし、それを創始したのがキオスのヒポクラテスだ、とおっしゃるのならば、それは間違っているだろうと思われる。
だが「論証数学」ということで公理論的ではない演繹的な数学のことをいみされているのならば、正しいかもしれぬが、それを言ったら恐らく先生も嫌われるEleaticsも、間接的証明法つまり背理法/帰謬法という演繹的方法を使っていたわけで、それでEleaticsが数学をした訳ではなかろうが、やはり先生が恐らく基本的には反対されるだろうSzaboさんに手柄を持たせる方向へと傾いてしまうのではなかろうか?
この辺りで今日はもうやめて起きます。
急いで書いたので見直しておりません。
誤字脱字脱文があるかもしれません。
それ以上に斎藤先生の所見に対し、誤解があるやもしれません。
大体、入門的解説に細かいことは言わない方がよいのかもしれません。
実際先生は詳細な論証は省いておられるので。
ただちょっとミスリーディングな感じがしたので、今日のようなことを記した訳です。
いずれにしましても、勘違いしておりましたら大変申し訳ございません。
お詫び申し上げます。
おやすみなさい。