読書: Euclid's Elements の論証的/公理論的数学の起源に関する学説史

Euclid's Elements 生成史に関する現在の研究状況からすると、Euclid's Elements に見える論証的/公理論的数学*1の起源は、今では恐らく数学自身に求められているものと思われる。しかし少し前までは Euclid's Elements の論証的/公理論的数学の起源は Eleatics にその起源があるものとされていたように思われる。この Eleatics 起源説が有力であったのは多分1960年頃から1980年を過ぎる頃までだと推測される。そしてこれ以前には Euclid's Elements の論証的/公理論的数学の起源は Plato's philosophy に求められていたようである。この Plato's philosophy が起源だとする説は、1913年頃から1960年頃までであろう。
以上を簡潔に図式的に言い直すならば、次のように書けよう。

Euclid's Elements の論証的/公理論的数学の起源に関する学説史:

    • Plato's Philosophy (1913) → Eleatics (1960) → Ancient Greek Mathematicians before Euclid (1981)


Plato's philosophy 説の代表者とその代表的論文は

  • H. G. Zeuthen  “Sur les connaissances géométriques des grecs avant la réforme platonicienne de la géométrie” (1913)


Eleatics 説の代表者とその代表的論文は

  • Árpád Szabó  “Anfänge des euklidischen Axiomensystems” (1960)


Ancient Greek Mathematicians 説の代表者とその代表的論文は

  • Wilbur Richard Knorr  “On the Early History of Axiomatics: The Interaction of Mathematics and Philosophy in Greek Antiquity” (1981)

になるものと推測される。


ところで、Euclid's Elements の論証的/公理論的数学の起源が Plato's philosophy にあるということを説いているらしい論文を、しばらく前にcopyして入手していたことを先日思い出した。そこでcopyの山の中からその論文を引っ張り出してくる。以下がそれである。

  • F. ソルムゼン  「数學的方法の構成に及ぼせるプラトーンの影響」、長澤信壽訳、『哲學研究』、京都大学哲学会、第20巻(第236号)、1935年(昭和10年)*2


そこでこの翻訳を参考までに読んでみた。
まず、大変読みにくい。70年ぐらい前の日本語で書かれているためかもしれない。それに私自身がPlatoやAristotleの哲学に精通していないためかもしれない。とても意が取りにくい。私の能力不足のためであろう、よくわからない。時間をかけてじっくり一文一文、現代語に重訳しながら読めばわかるかもしれない。


とりあえずこの論文の結論らしきものを記しておくと、次のようになるのではないかと思われる。

    1. Euclid's Elements の証明(αποδειξις)*3方法は、Platoによるειδοςの階層関係・秩序を反映している。
    2. Euclid's Elements に見られる定義(οροι, υποθεσις)は、元々Platoが開発した定義の考えを起源に持つ。
    3. Euclid's Elements の公理・共通概念(αξιωματα)における共通性・普遍性というものは、Platoによるειδοςの普遍性から来ている。

本当にソルムゼン論文がこのような結論を述べているのかは、私は断言しません。この論文を充分読めているとは、自分でも言えませんので…。
そしてもしもこれらのような結論をソルムゼン論文が述べていたとしても、そのような結論が実際に成り立つのかは、私には判断できません。
ただ、近年の研究では、上に記したように、Euclid's Elementsにおける論証的/公理論的数学の起源を、Platoなどの哲学には求めようとしていないようですので、ソルムゼン論文の結論は、もしかすると最近の研究者によってはあまり支持されないものかもしれません。


おやすみなさい。

*1:論証的数学と公理論的数学は、一応区別すべきだと私は思います。公理論的数学はどれも論証的数学でしょうが、論証的数学がどれも公理論的数学であるわけではありません。論証的数学とは、大まかに言うならば、数学上の知識を演繹によって確保・正当化している数学的理論です。公理論的数学とは、大まかに言うならば、古代ギリシャにおいては、何か第一原理とでも言うべきものを想定して、そこから数学の知識は演繹され確保・正当化されるとする数学的理論です。あるいは言い換えると、個々の数学的知識は、そこへと到る演繹の連鎖をさかのぼって行くと、第一原理とでも言うべきものへたどり着くのだ、という想念の下に展開されている数学的理論が、古代ギリシャの公理論的数学だ、と言えましょう。恐らくこのような古代ギリシャの公理論的数学は、公理を任意に選べるとする現代の公理論的数学とは異なるものだろうと推測されます。そしてそうしますと、Euclid 以前に論証的数学を展開した人は幾人かいたでしょうが、その誰もが今述べたいみでの公理論的数学までも展開していたとは即断できません。Euclid 以前には誰もこのような公理論的数学を展開した者はいなかったかもしれませんし、あるいは一人ぐらいはいたかもしれません。それが誰であったのかは、まだ私はよく知りません。

*2:この翻訳の元になった論文は1929年に刊行されている。

*3:Breathingsは省いてある。以下同様。