Carnap Meets Heidegger

先日以下の論文を読み終える。

  • Michael Friedman  “Overcoming Metaphysics: Carnap and Heidegger”, in Ronald N. Giere and Alan W. Richardson ed., Origins of Logical Empiricism, University of Minnesota Press, Minnesota Studies in the Philosophy of Science Series, volume 16, 1996

大変面白かった。とてもよい刺激になった。二つ、三つ 興味を感じた点がある。そのうちの二つを日記に記したい*1。今日はその一つ目を極簡単に記す。

2008年1月20日の日記で、CarnapはHeideggerに会っていたのではないか、と記した。1922-25年にCarnapはFreiburgにおり、確かHeideggerは1922年に当地にいたと記憶している。
ところで上記Friedman論文を読むと、両者は確かに会っていたとのことである。それはDavos Disputationの際に会っていたのだそうだ。しかも哲学に関する話を交わしているそうである。
1929年3月17日から4月6日にかけて、CassirerとHeideggerはSwitzerlandのDavosで講演と討論を行った。Carnapもそこに行っていたようで、3月18日、3月30日、4月3日に、あるいはその日かその日前後のいくつかの日に、恐らく会って会話を交わしていたものと思われる。このことはCarnap自身の日記に記されているらしい*2。これは知らなかった。両人共に本当に会っていたのだ、しかも哲学的な議論までしているようだ。つまりCarnapのHeidegger批判論文には前哨戦があったという訳だ。
その際両人は一体どんな議論をしたのだろう。Davos Disputationは新カント派の評価を巡る論議であったから、Carnap-Heideggerも、あるいは新カント派に関して議論を戦わせたのかもしれない。それはどんな議論だったのだろう。もしかしてその際両人共議論がかみ合わずすれ違ってしまい、その結果CarnapはHeideggerのことを「わけのわからない人間だ」と感じて、最終的に例の批判論文を書くに到ったのだろうか。だが、それだけではないはずである。「Heideggerはわけのわからない形而上学をしゃべっている。そんなのは無意味だ。よし、批判論文を書いてやろう。」というようなわかりやすい話では事は終わらないようである。それは例の、CarnapによるHeidegger批判論文の性格を改めて確認してやればわかってくる。
今度は、Friedman論文により、このCarnapによるHeidegger批判論文が書かれた動機・状況を、この日記に記してみたい。


おやすみなさい。

*1:三つ目は、少し話が大きいので、このような日記ではまとめ切れない。そのためそれはここに記すのはやめる。

*2:Friedman, pp. 45-6, especially p. 46.