Carnap vs. Heidegger

先日以下の論文を読んだ。

  • Michael Friedman  “Overcoming Metaphysics: Carnap and Heidegger”, in Ronald N. Giere and Alan W. Richardson ed., Origins of Logical Empiricism, University of Minnesota Press, Minnesota Studies in the Philosophy of Science Series, volume 16, 1996

そして大変興味深いことを教わった。そのことのうちの一つを2008年3月12日の日記で記した。CarnapはHeideggerに会ったことがあり、しかも哲学の議論を行っていたという事実である。

そしてもう一つ、上記の論文から教わった興味深い事柄をここに記したいと思う。それは例のCarnapによるHeidegger批判論文についてである。どのような動機のもと、Carnapは問題の批判論文を書いて刊行したのか、ということである。

以前の私は問題の批判論文を次のように理解していた。

そこではCarnapは自らの理論に基づいて、Heideggerの形而上学を批判している。しかしその批判は結局のところ、Carnap自身の理論が有する瑕疵により、首尾よく行かず、失敗に終わった。Carnapを代表者とするLogical Positivismの理論でもって、Heideggerの形而上学を批判することは、もはや理論的に有効ではなく、有意義でもない。

恐らく私以外の多くの方も、同種の見解をお持ちであろうと想像する。Carnapの試みは理論的に失敗してしまっているのだ、と。しかし上記のFriedmanさんの論文を読むと、Carnapの問題の批判論文に若干違った印象を抱くことになる。それはいかなる動機に基づいて、あるいはいかなる状況のもと、Carnapは件の批判論文を書いていたのか、ということを思ってみるならば、彼の批判論文が幾分違った面持ちで見えて来るということである。

結論を先に述べてしまうならば、件の批判論文が理論的に失敗しているのは、それはそれでよい、しかし件の批判論文は単なる理論的論文に尽きるものではない、ということである。もっとあからさまにはっきり言おう。Friedmanさんの研究が正しいとするならば、件の批判論文は、一種の政治文書だ、ということである。あるいみで政治文書として書かれている、ということである。つまり思想戦の一環として政治的動機に基づいて書かれている、ということである。そこではリアル・ポリティクスを考慮した覇権争いが行われているのだ、ということである。単にアカデミズムの中の主導権争いではなく、当時の現実のヨーロッパにおける政治闘争の一環として書かれている、という訳である。したがって件の論文を哲学的理論の観点から評価するだけでは、その論文を一面からしか捉えていない、ということになるのである*1

実際にCarnapは自らの批判論文を政治的文脈の中に置いて理解しているようである*2。Heideggerもまた、Carnapによる批判論文を実際に政治的文脈の中に置いて理解している*3。恐らく現代の分析哲学において、互いに哲学的な議論をする際に、相手の具体的な政治的立場を表面化させて論じ合うということは、まれなことだろうと推測する。政治哲学や倫理学の議論でもなければ、形而上学存在論について、相手の政治的立場が問題になることはまずなかろう。しかしCarnapとHeideggerはそのことを念頭に置きつつやりあっていたようである。

具体的にはCarnapはMarxismを支持する左翼の立場から件の批判論文を書いている。そのことは彼の日記に記されている*4。彼にとって形而上学批判が必要なのは、現状における社会改革上の障害を除去するためだけに必要なのである。そのためだけに必要なのだ(only necessary)と彼自身で書いている*5。当時彼が置かれていた政治的文脈の中でだけ必要だったのである。一般的に形而上学批判を行っていたのではなく、ある政治的段階の中で必要とされたので、それを行っているのだ、と言うのである。単に一般的な理論上の批判なのではなく、政治戦略的な批判なのである。

Carnapはいわゆる進歩的モダニストなのであろう。一方Heideggerはcommunismに反対し、technologyに反対し、存在者ならぬ存在そのものが生きていた遥かなる古代ギリシャの昔にさかのぼり、そこから取って返して新たな未来が作られねばならぬと考えていたようである。そしてその未来をNazismに見た彼は、いわゆる保守革命を夢見る反動的モダニストなのだろう。つまるところCarnapにとって、Heideggerは哲学的にはもとより、政治的に敵だったのである。

要するに、ごく簡単に言ってしまえばCarnapは左で、Heideggerは右である。今では想像しがたいが、哲学の論文を書くことで、何らかの政治的立場にcommitせざるを得ない時代があった訳である。それは日本においても同様で、1970年を過ぎる頃までは右なり左なりを考慮しなければならなかったのではなかろうか*6。1927年におけるHeideggerのSein und Zeitは当時の二十歳前後の若者にとって、単なる理論的な哲学書なのではなく、政治倫理の本として写っていたようである。しかも右寄りのだ*7。それに対してCarnapはNeurathとともに、左からの戦線を張っていた訳だ。彼らのVienna Circleの政治的な例の綱領が、将来に渡る彼らの戦略を示していたとするならば、1932年におけるCarnapの件の論文は、その戦略の中で展開された一つの戦術の実行であり、局地戦だったのであろう。Hitlerの1933年はもうすぐそこである…。HeideggerがHeil Hitlerを三唱するのももうすぐのことである…。



最後に。

次の文献は、野家啓一先生によって、Carnap vs. Heideggerを理解するのによい本として、ご推薦されている本である*8

この本ではCarnap vs. Heideggerが「対立する異なった思考習慣のあいだの深い文化的分裂の表れであり、」*9 異なる文化間の対立であると述べている。文化間の対立だ、と主として述べられている。そしてその一方で、両者の対立が政治的な対立だとも指摘している*10。ただし、そのように指摘はするが、実際に政治的なスタンスを持ってCarnapが件の論文を書いていた、とまでは言い切っていないようである。Friedmanさんの研究が正しいものとするならば、恐らくクリッチリーさんの見解表明は、よく言えば穏当、悪く言えば煮え切らない、ということになるだろう。私自身はクリッチリーさんのご意見に、隔靴掻痒の感を抱いてしまう。大変興味深い見解だが、Friedmanさんの論文を読んだ後では、押しの弱さが感じられてしまう。

なお、クリッチリーさんは、Heideggerが、公刊された文献の中では、Carnapについて一度だけ、暗に言及していると述べておられる。HeideggerがCarnapに暗に言及しているとクリッチリーさんがおっしゃる文章を孫引いてみる*11

今日の「哲学」がそのもっとも対極にある立場から[…]追究する骨折り仕事の今なお隠された中心。今日これらの立場を、技術的=科学的言語理解ならびに思弁的=解釈学的言語経験と呼ぶ。

この引用文の「技術的=科学的言語理解」が、Heideggerによって刊行された文献のうち、唯一Carnapに言及しているところだとクリッチリーさんはおっしゃっているようである。しかし、ここがCarnapへHeideggerが唯一言及しているところではなく、註3で記した文献でもっとはっきりと彼の論文に言及して反論を展開しているという事実がある。クリッチリーさんの論考では、HeideggerがCarnapにはっきりと言及し、反論しているという文献をまったく考慮せずに話を進めておられるようである*12。これは一体どういう訳なのだろう? 見落とされたのか、それとも何か意図があってこの文献を考慮せずに済まされたのか、私にはよくわからない。いずれにせよ看過しかねる論の運び方だと思われるのだが…。



例によって、以上の話は一気に書き下した。読み返していない。花粉症で呼吸困難になりながら書いているので、誤字・脱字がどこかにあるはずである。そしてもちろん誤解・無理解も。前もってお詫び申し上げます。

また当方としてはCarnapにもHeideggerにも肩入れしておりません。私はお二人ともにそれぞれ興味があります。


おやすみなさい。

*1:Friedman, pp. 46-53.

*2:Friedman, pp. 51-52.

*3:マルティン・ハイデガー、「手稿の第一草稿、三一 − 三六頁」、『形而上学入門』、岩田靖夫、H. ブフナー訳、ハイデッガー全集 40、創文社、2000年、242-243ページ。ここでHeideggerは、はっきりとCarnapによる件の論文に言及し、この論文の主張に対し、断固として反対を表明している。そしてこの論文に見られる考え方はRussian communismとAmerica 社会に必然的に結びついていると主張している。

*4:Friedman, p. 52.

*5:Friedman, p. 51.

*6:私自身は当時のことは知らないのだが。

*7:ヘンリー・パクター、「ハイデッガーヒトラー ―精神と政治の不調和」、『ワイマール・エチュード』、蔭山宏、柴田陽弘訳、みすず書房、1989年。

*8:野家啓一、「思想の言葉 形而上学復権あるいは分析的形而上学の可能性」、『思想』、岩波書店、no. 966、2004年、第10号。

*9:クリッチリー、63ページ。

*10:クリッチリー、58, 116, 130, 134ページ。

*11:クリッチリー、137ページ。なお引用文中で「[…]」により、一部省略して以下に引用する。そこには原著者か、訳者の方によってと思われる「[カルナップ→ハイデガー]」という語句が入っているが、略して引用する。

*12:註3で記したこの文献も、草稿とはいえ後々刊行された文献である。なおクリッチリーさんが引用されている文も、草稿と同様のprivateな書簡からの文章のようである。どちらにせよともに公刊された文献である。