入手文献: The Philosophy of Holes

  • Ian Rumfitt  “Hume’s Principle and the Number of all Objects”, in: Nous, vol. 35, no. 4, 2001
  • Alan Weir  “Naïve Set Theory Is Innocent!”, in: Mind, vol. 107, no. 428, 1998
  • James Levine  “On the "Gray's Elegy" Argument and its Bearing on Frege's Theory of Sense”, in: Philosophy and Phenomenological Research, vol. 69, no. 2, 2004
  • 加地大介  『穴と境界 存在論的探究』、シリーズ 現代哲学への招待、春秋社、2008年
  • サミール・オカーシャ  『科学哲学』、廣瀬覚訳、直江清隆解説、〈1冊でわかる〉シリーズ、岩波書店、2008年

加地先生の新刊についてだけ一言。
すごく面白そうです。
私が最初にholeについての哲学に触れたのは、Varziさんの文ではなかったかと思います。
初めてそのような文に接した時、‘hole’というのは何かの専門用語なのかと一瞬思いました。
あるいは何かのmetaphorなのかと感じました。
しかしそうではなく、holeのあるなしなどについて、本気で論じているらしいことを知り、ちょっとびっくりしました。
「本当ですか!? すごいな、それは…」という感じ。
確かにholeのあるなしを考えると、これは色々と興味深い疑問がすぐに多数わいてくるだろうと推測されました*1
しかし真面目にその辺りを考えるというのは、私にはできそうにありませんでした。
自分にはそのための能力も感性も欠けていますので。
だが今回先生が一書をなしていただいたおかげで、私などももう少し突っ込んで学ぶことができそうです。
後日少し読んでみようかな。
私自身は数学的対象について少し興味があり、何かが対象と言えるための条件(criterion of identity)のようなものがあれば、それは何だろう、と漠然とながら思っているので、holeという奇妙な何かについての考察を通じ、対象についての理解を深めることができたならばと願っています。


おやすみなさい。

*1:Holeの存在論について、Heideggerさんならどのような反応を示したでしょうか。「そのようなことは戯言であり、ここにもまた存在の忘却が示されている」と述べたでしょうか。それとも「holeは一種の無である。無は存在の核心である。そして無は不安という形で我々の日常を支配している。Holeもまた日常的にそこここで見受けられるものだ。したがって我々の不安があらわになったものとも見なせる、身の回りの日常的なholeについて考察することは、存在と無と我々との関係を明らかにしてくれるすぐれて形而上学的な営みである」とでもおっしゃったでしょうか。あるいはまったく違った感想をお持ちになったかもしれません。Heideggerさんならどうだっただろうかと、何となくふと思いました。