Aristotleの公理論・定義論の背景を成した数学書

先日以下の文献を読了する。

一つだけ、とても気になった部分があったので、そこを次に引用しておく。
数学史上、最初に公理論的手法を開発し実行したのは誰なのか、あるいはどのgroup, schoolなのか、この点に私は興味があるのですが、このことについて以下の引用文は示唆的であることと、またAristotleの公理論・定義論の背景を形作った数学的素材が何であったのか、この点についても教えられるところがあります。なお、佐々木先生が付しておられる註は省いて引用します。

ユークリッド『原論』の前史
ユークリッドの『原論』はヘレニズム時代初期に編纂されたものと考えられているが、その書はユークリッドによって突然陽の目を見たわけではない。そのことは、プロクロスの『ユークリッド『原論』第一巻註釈』に収録されたエウデモスの『幾何学史』の記述に沿った数学史的素描によって知られる。プロクロスによれば、数学的諸命題を秩序立てて並べた書物を最初に書いたのは、前五世紀のキオスのヒッポクラテスであった。その後、とりわけ前記テオドロスによって数学の手ほどきを受けたと考えられるプラトンのアカデーメイアとなんらかの関係をもった学者たちの手によって『原論』の原初版は拡充されていった。[…]
ここで記憶に値する数学者は、マグネシアのテウディオスである。彼は、プロクロスによれば、『原論』原初版を驚嘆すべき仕方で整序しただけではなく、定義(とそれから定理)の多くをより一般的な形態で述べた。彼は数学だけではなく哲学の素養をも持っていたらしい。重要なこととして、アリストテレスがアカデーメイアにいた時代に数学の教科書として用いられたと見なされるのはテウディオスの手になるものであった*1


公理論的手法を最初に考え出して使ったのはHippocrates of Chiosだったのだろうか。斎藤憲先生はHippocrates of Chiosだと述べておられるように見える*2
そしてAristotleが彼の公理論・定義論を考えた際に念頭に置いていたと見られるものは、上記佐々木先生の引用文の通りだとすると、(Platoの教説とは別に)Theudias of Magnesiaの数学書だったということになりそうである。するとAristotleの公理論・定義論という重大な理論を理解するに際しては、Theudias of Magnesiaの著作にまでさかのぼり、検討を加えてみる必要があることになる。もしもTheudias of Magnesiaの著作が残っており、そこにAristotleの公理論・定義論の先駆的形態でも見出されるとするならば、大変興味深いことである。とても重要なことだと思われる。非常に興味深い。

*1:佐々木、105ページ。

*2:斎藤憲、「『原論』解説 (I-VI巻)」、エウクレイデス、『エウクレイデス全集 第1巻 原論 I-VI』、斎藤憲訳・解説、三浦伸夫解説、東京大学出版会、2008年、98-100ページ。しかしW. Knorrさんは公理論的な数学はHippocrates of Chiosが考え出したのではなく、Theodorus of Cyreneが考え出したと述べておられる。Wilbur Richard Knorr, “On the Early History of Axiomatics: The Interaction of Mathematics and Philosophy in Greek Antiquity”, in Jean Christianidis ed., Classics in the History of Greek Mathematics, Kluwer Academic Publishers, Boston Studies in the Philosophy of Science, vol. 240, 2004, pp. 86-7.