入手文献: Supervenience が今求められている理由らしきもの

  • Michael Dummett  The Seas of Language, Clarendon Press/Oxford University Press, 1993
  • Peter Hylton  “‘On Denoting’ and the Idea of a Logically Perfect Language”, in M. Beaney ed., The Analytic Turn: Analysis in Early Analytic Philosophy and Phenomenology, Routledge, Routledge Studies in Twentieth-Century Philosophy, 30, 2007
  • Elias E. Savellos and Ümit D. Yalçon  “Introduction”, in their ed., Supervenience: New Essays, Cambridge University Press, 1995


Dummettさんの論文集は、まだ持っていなかったので入手。収録されている論文“What is Mathematics About?”を先日和訳で読み返し、原文でも確認してみたかった。


最後の文献は supervenience の解説論文。この概念のtechnicalな意味合いは、大まかながら理解していたものの、globalな観点からの意味合いについては、考えたことがなかったので、この解説論文(の初めの辺り)は参考になった。
Supervenience に対するglobalな観点からの意味合いというのは、この概念が、例えば心の哲学においてどのような意味で使われているのか、ということではなく、そもそもなぜまたこの概念が現在重宝されるようになっているのか、この概念がしばしば使われているということは、現在の哲学の中でいかなる潮流が生じているのか、ということをこの概念について考えてみた場合の意味合いということです。
私はこの概念について以前からtechnicalな意味合いばかり理解しようとしてきましたが、そのglobalな意味合いを考えてみると、いわゆるreductionismを放棄/拒否した、より穏健/穏当な立場が現代の哲学では求められているということを表わしているものと推測されます。
例えば、「AをBに還元する」と称してAを消去したり、AをBと同一視することでAをBに同化したりして、一方を他方に還元することがreductionismにおいて従来目指されていたものの、この試みが様々な哲学的問題解決において、今やしばしば見込みのないことが判明してきているのかもしれません。しかし一方を他方に還元できないからといって、AとBは並存していて両者の間の交通は、それが何であるか説明が付かない、ということでは、知的怠慢のそしりをまぬがれ難いところでもあります。
そこでちょうどよいのが supervenience の概念です。一方を他方に還元する訳でもなければ、一方と他方とは無関係である、と開き直らずにもすみます。一方を他方に還元する訳ではないが、しかし一方が他方に還元に近い関係を持っている、このことを表わすのが、恐らく supervenience という概念なのでしょう。強引な還元や基礎付けの試みが、哲学的問題解決の場面で破綻を来たしたらしい今現在、求められるのは supervenience なのかもしれません。


以上は、上記 Savellos and Yalçon 論文の一部を読んだ際、勝手に思ったまったく根拠のない感想です。
誤字・脱字、誤解・無理解があろうかと思われます。
寝しなによくよく推敲せずに書き流しているので、読みにくいことこの上なかろうと推察されます。お許し下さい。
お休みなさい。