先日入手した以下の文献を読んでいると
- 『みすず』、2008年読書アンケート、no. 568, 2009年1・2月合併号
飯田隆先生のご回答が掲載されていて、次の本を2008年の読書で印象に残ったものとして挙げておられる*1。
- George A. Reisch How the Cold War Transformed Philosophy of Science: To the Icy Slopes of Logic, Cambridge University Press, 2005
そして FBI が Carnap を監視していたことが意外であるとの旨、記しておられる。
私は上記の Reisch さんの本は読んだことがないが、Reisch さんの論文として以前に以下の文献を読み、
- George A. Reisch “From “the Life of the Present” to the “Icy Slopes of Logic”: Logical Empiricism, the Unity of Science Movement, and the Cold War”, in A. Richardson and T. Uebel ed., The Cambridge Companion to Logical Empiricism, Cambridge University Press, Cambridge Companions to Philosophy Series, 2007
Carnap が FBI にスパイされていたことや、Logical Empiricism in USA などについて、2008年5月5日の日記に‘Carnap and the FBI’と題し、メモしておいた。この辺りの詳しい話は今記した2008年5月5日の日記をご覧下さい。
ところで少し前に私は次の論文を入手していた。
- Robert Talisse “Pragmatism and the Cold War,” in Cheryl Misak ed. The Oxford Handbook of American Philosophy, Oxford University Press, Oxford Handbooks in Philosophy Series, 2008
この論文は Reisch さんの話題と関係ありそうに見える。Reisch さんの文では、Cold War Era において、Logical Empiricism がどのように変容せしめられたかが語られていたが、今挙げた Talisse さんの文を読めば、今度は Cold War Era において、American Pragmatism がどのように変容せしめられたかが語られているものと思われた。そこでこれを読んでみた。そして読んでみた結果を先に述べるならば、正確に言えば、今述べたようなことは、title から予想されるのに反して、書かれていない。書かれているのことを手短に述べれば次のようなことである。
通説では、Cold War Era において、Quine に代表されるような Logical Empiricism 系の Analytic Philosophy が Hegemony を握ると同時に、Pragmatism は影に追いやられ、退潮してしまう。しかし1980年代に Rorty によって Pragmatism は復活を遂げる。このような‘eclipse narrative’とでも呼べる通説が一般化しているようである。しかしそれは間違っていて、Cold War Era において Pragmatism は影に追いやられることはなかったのである。このようなことが主張されているのが、Talisse さんの論文である。
また Talisse さんの論文については次のようにも言える。そこでは Cold War がどのように Pragmatism を変容せしめたかが語られているのではなく、一般通念に反して、Cold War は Pragmatism を変容せしめた訳ではない、と書かれている。この論文は、Cold War Era における Pragmatism の話ではなく、Cold War Era における Pragmatism の話(narrative)についての話である。だから正直に言って、私が個人的に期待していたような論文ではない*2。
参考のため、Talisse さんの論文の概要を以下に記してみよう。逐一出典のページは記さない。Talisse さんの論文を前から順番に、若干補足を加えつつ、大まかながら要約してみる。
まず繰り返すが、Cold War Era において、Quine に代表されるような Logical Empiricism 系の Analytic Philosophy が Hegemony を握ると同時に、Pragmatism は影に追いやられ、退潮してしまう、としばしば語られている。しかし、例えば Quine は Pragmatism の系統に属する哲学者である。彼とその教え子たちが覇権を握ったとするならば、それは Pragmatism の斜陽ではないはずだ。
これに対し、Cold War Era における Pragmatism の退潮とは、publicly engaged な Pragmatism の退潮なのだ、という反論があり得る。実際 Pragmatist の J. Dewey は社会のあり方について模索していた。そして確かに Quine は publicly engaged ではない。しかしそうすると、Pragmatist の Peirce も通常 publicly engaged な哲学者ではないと考えられているだろうから、彼はそもそも Pragmatist ではなかったということになってしまう。
だがここでは仮に Pragmatism というものは、publicly engaged なものであると認めることにしよう。しかしそれでもやはり Cold War Era において publicly engaged な Pragmatism は影に追いやられ、退潮してしまった、というのは事実に反する。なぜなら当時 Pragmatist であった Sidney Hook が激しく publicly engaged な発言を盛んにしていたという事実があるからである。実際彼は共産党員である共産主義者が大学の教員となることに強く反対する campaign を展開していたのである*3。Cold War Era において Logical Empiricism 系の Analytic Philosophy が Hegemony を握り、(publicly engaged な) Pragmatism は退潮してしまったという‘eclipse narrative’は、どういう訳かこの Pragmatist Hook の存在を無視してしまっている。彼がいたことを考えれば、publicly engaged な Pragmatism は落日を向かえたなどというのは、まったく事実に合わない。
これに対し、むしろ当時の Pragmatism の退潮を促し決定付けたのは、他ならぬ Hook 自身なのだ、彼の存在こそが Pragmatism を斜陽期へと導いたのだ、という意見がある。というのは、Pragmatism というのは問題の置かれているその時々の背景を充分考慮して、その問題の解決にはいかなる戦略・戦術を取るべきかを実用的観点から勘案しつつ、目的達成を目指すものだが、Hook は当時、問題の背景に注意を払わず、盲目的に共産党員を危険視していたのであり、この点で彼は既に Pragmatist とは言えず、また彼のようなスタンスを Pragmatism が取るとするならば、そのような盲目的で不寛容なイズムは破産しているのである。このような理由から Hook によって Pragmatism は斜陽期へと向かったのである。だが、これは間違っている。なぜなら実際の Hook の見解を考察してみると、赤狩りを推進している陣営に組することになっているが、彼のその commitment はすぐれて pragmatic な観点からなされていたのである。Hook は実に pragmatic な観点から、合理的に疑うにたる人物を疑っていただけである。歴史的な結果からしてそれが正しかったかどうかは別として、彼は実際のところ pragmatic に考え行動していたのである。したがって、彼によって Pragmatism に引導が渡されたということはないのである。大学の内で、Quine たちが pragmatic であったとすれば、大学の外で、Hook は pragmatic であったのである。Pragmatism は大学の内でも外でも力強い動きを見せていたのである。
では、そうすると、一見したところ‘eclipse narrative’が説得力を持っているのは、なぜなのだろうか。Cold War Era において、Pragmatism が退潮しているかに見えるのはなぜか。それは Pragmatism がその典型例を Dewey の Pragmatism に持っていることに関係がある。当時、Peirce の見解は広く流布しておらず、James の Pragmatism は Pragmatism としての資格を疑われており、正統なものとは見なされていなかった。これに対し Pragmatism の主唱者と考えられていたのが Dewey である。実はちょうど Cold War Era の初め頃に Dewey は亡くなっており(1952年没)、彼の哲学的影響力が失われて行ったのが、この時期だったのである。そしてまた、彼は従来の様々な哲学に代わる、彼独自の comprehensive な哲学の grand theory を打ち立てるべく奮闘したが、ちょうどその当時台頭してきたのが、grand theory のような体系的哲学を構築する傾向性とは正反対の、minimal で piecemeal な problem-solving 型の哲学であったのである。Cold War Era において、Pragmatism が退潮しているかに見えるのは、Dewey の grand theoretic な Pragmatism が影響力を失ったからである。そして代わって台頭してきたのが、piecemeal な Pragmatism なのであり、その代表者が、Hook であり、Quine なのである。したがって Cold War Era において、Pragmatism は実際のところ斜陽の時代を向かえたのではない。ちょうどその時に、Dewey が亡くなり、彼の志向した systematic な Pragmatism から、それを改訂し鋳直した piecemeal な Pragmatism へと取って代わられ、Hook や Quine たちにより、大きなうねりとなって20世紀後半の哲学・思想の大河を形作って行ったというのが実情なのである。
以上が Talisse 論文の要約である。首尾よくできたかどうかは私にはわからない。彼の主張が説得力を持っているかどうかも、私なりの意見や印象はあるものの、説得力を持っては判断しかねる。
いずれにせよ、Cold War Era において、一方で、America の Logical Empiricism がいかなる変容を被ったかを考えるならば、他方で、American Pragmatism が当時いかなる状態を推移したのかも考察することが、必要であろうと思われます。
上の話は一気に書き下し、よく読み直していないので、間違いや誤記などがあれば済みません。前もってお詫び致します。