Russell's Separation of Logical and Semantic Paradoxes (2009年11月16日の日記から一部再録)

次の文章は2009年11月16日の日記の続きです。下記の「(ここからが本日の日記です。)」という文から下が、本日書き足した日記です。


先日、以下の論文を斜め読みした。

  • Gregory Landini  “Russell's Separation of Logical and Semantic Paradoxes,” in: Revue Internationale de Philosophie, vol. 58, no. 229, 2003
  • Ditto    “Russell's Schema, Not Priest's Inclosure,” in: History and Philosophy of Logic, vol. 30, no. 2, 2009


一読して大変面白いものを感じた。私は Russell について無知なため、これらの論文を充分理解できたとは言えない。しかしそうではあっても上記の二論文を読んでいて、かなり通説とは異なる主張をされていることに少し驚いた。以下に私自身が上記の論文で意外に感じたことを箇条書きにしてみる。

    1. 種々の paradox を一括りにまとめて解決しようと Russell は考えていたと一般に思われているようである。しかし初めから最後までそう考えていた訳ではない。彼は Ramsey に指摘される前に、paradox たちを二つのグループに分けて、それぞれに対し解決策を立てようとしていたことがある。
    2. Vicious circle principle を立てることが、paradox に対する解決策であると Russell は考えていたと思われているようである。しかしこれは間違いである。
    3. Russell が ramification を導入した理由は、それによって semantic paradoxes を解決しようとしたからであると考えられているようである。しかしこれは間違いである。
    4. Russell はしばしば使用と言及の区別を守っていないと、Quine などに指摘され、非難されることがある。しかしこれには Russell に対する誤解あるいは無知がある。


(ここからが本日の日記です。)

次に上記の各箇条について補足する。但し、私は当該の両論文をきちんと理解できていないので、極々簡単な補足にとどまる。そして取り合えず、上記各項目のうち、1 と 2 についてのみ補足を記す。


1.
種々の paradox を二つのグループに分けるということは、一般に Ramsey によって提唱されたと考えられていると思われる。私自身も最近までそう思っていた*1。しかし彼よりもずっと前に Peano が同じようなことをなしているようであり、またここのところ、関連する文献を色々と見て回っていると、「Peano が最初であろう」という話はあちこちで見ることができ、Peano が先駆者であるということは、この辺りの専門家の方々にとっては周知の事実のようである。
ところで上記の二つの Landini 論文によると、実は Russell も paradox たちを二つに分類しているのだそうである*2。このことは以下の文献で確認できるようである。

  • Bertrand Russell  “On ‘Insolubilia’ and their Solution by Symbolic Logic,” in his Essays in Analysis, Douglas Lackey ed., Allen & Unwin, 1973 (First Published in French in 1906)*3


一般には種々の paradox を一まとめにして解決しようと Russell は考えていたと思われているようである。Russell の専門家でさえ、そのように考えているようである。

Russell was always convinced that there should be a single, unified solution to the paradoxes of logic. This differs from the currently popular point of view, since most logicians follow Peano and Ramey in making a distinction between set-theoretical and semantical paradoxes*4.

引用文冒頭の‘always’に注目すべきだろう。
しかし Landini 論文によると、Russell は paradox たちを二つのグループに分けて、それぞれに対し解決策を立てようとしていたことがあるとのことである。少しだけ具体的に述べると、Russell は Russell Paradox のような logical な paradox は substitutional theory で対処し、Richard Paradox のような semantical な paradox は、言語に階層を設けるなどして対応しているようである*5。後者の paradox たちは、実際には混乱を示しているのであって、その混乱を整序してやれば事は解決すると Russell は考えて、言語に階層を設けてやることにより、対処しているようである。これは Tarski のやり方の先駆だとのことである*6。Russell はいつもずっと paradox たちを一まとめにして一挙に解決しようとしていた訳ではないようである。


2.
Vicious circle principle を立てることが paradox の解決方法であると一般には考えられているかもしれない*7。しかし Landini 論文によると、vicious circle principle を立てれば、それで paradox の解決になると Russell は考えていた訳ではないようである。あるいは vicious circle principle を立てること自体が問題の解決そのものだと Russell は考えていた訳ではないようである*8。実際のところは vicious circle principle は問題解決のための指標・指導原理 (regulative principle) のような役割を果たしていたと考えられるようである*9。つまり vicious circle principle とは、その原理に適うように理論を構成せよ、という指南車のようなものになっている。これは例えて言うならば、ある病気にかかっている証拠として、体の表面に或る赤い発疹が生じる場合、「その赤い発疹が身体表面に出ていてはならない」という罹患に対する指標を立てるようなものである。そのような指標を立てても、解決そのものにはならない。解決するためにはそのような指標に適うような治療法を確立せねばならない。そのような治療法として Russell は両面作戦を取っているようである。両面作戦というのは、種々の paradox を logical paradox と semantic paradox の二つのグループに分け、前者には logic の根本原理の抜本的改訂によって対処し、後者には logic の根本原理とは無関係と考えられる言語の階層化などによって対処しようとしているようである*10。結論を言えば、Landini 論文が正しいとするならば、vicious circle principle は、paradox 解決の方法なのではない。Paradox 解決のための指標である。

*1:当日記、2009年10月11日、項目 “The Progenitor of Ramsey’s Division of Paradoxes” を参照。

*2:Landini, 2003, p. 267. Landini さんの2009年論文については、手間なので以下においていつも出典を明示するとは限らない。今後は Landini 2003年論文を中心に記述する。

*3:私はこの英訳論文を持っているが、面倒なので確認はしていない。不精なことを言って怒られそうだが、事実なのでここにそのことを記しておく。

*4:Alasdair Urquhart, “The Theory of Types,” in N. Griffin ed., The Cambridge Companion to Bertrand Russell, Cambridge University Press, Cambridge Companions to Philosophy, 2003, p. 291.

*5:Ibid.

*6:Ibid., p. 275, Landini, 2009, pp. 130-31.

*7:例えば、三浦俊彦、『ラッセルのパラドクス −世界を読み換える哲学−』、岩波新書岩波書店、2005年、43-45ページ。

*8:Landini, 2003, p. 274.

*9:Ibid. 戸田山先生もこれと同じことを述べておられる。戸田山和久、「ラッセル」、飯田隆編、『哲学の歴史 第11巻 論理・数学・言語 【20世紀】』、中央公論新社、2007年、251ページ。

*10:Landini, 2003, pp. 274-75.