注文文献、入手文献

以下の新刊を書店で手に取って、中を拝見。

  • Luke Hodgkin  『数学はいかにして創られたか −古代から現代にいたる歴史的展望−』、阿部剛久、竹之内脩訳、共立出版、2010年

数学史の入門的な本。購入しようかなと考えながら、ページをめくってみる。訳者のまえがきを読んでみると、この本は「トマス・カーン(Thomas Kahn)」さんの見方に基づいて書かれている本のようだと、訳者が指摘されておられる。カーンさんとは誰なのだろう? 私はカーンさんを存じ上げていない。どのようなお考えをお持ちの方なのだろうか? この訳者まえがきには、カーンさんについて、本文の10ページを参照するようにとの指示がなされている。そこで10ページ目を開いてカーンさんのお名前を探してみる。しかし見当たらない。「おかしいなぁ」と思いつつ、念のためページの頭から終わりまで、人名らしき言葉を丁寧に拾い上げながら、もう一度確認してみる。しかし、やはり見当たらない。「どうしたことだろう?」と、軽く困惑しながらそのページを眺めていると、「クーン」という名前が見える。例の科学史家・科学哲学者のクーンさんだ。さらに目を先へと走らせると、「トマス・クーン(Thomas Kuhn)」という記述が見られる。ここでようやく合点した。そして軽い困惑は、本格的な当惑へと変化した。そしてさらに目を先へと進めると、クーンさんの著作の名が上げられており、そこには次のように書かれていた。「『科学の変革の構造』」。この時点で、当惑はピークに達した。私はとても残念な気持ちで本を棚へと戻した。面白そうなので、買おうかなと思ったが、買おうにも買えない気持ちになってしまった。
どんな本にもミスはある。私だってたびたびミスをしている。だから人のことは言えない。しかし、私にはこの本は無理だった。「これはきついな」と思ってしまった。数学の入門書や論理学の入門書なら、多少の誤植等は、それほど問題を私は感じない。それらの入門書レベルなら、自分の頭で考えながら読んで行くと、誤植かどうか判断が付くものだと思います。事実、論理学の入門書で誤植だらけのものを読んだことがありますが、それはすごく楽しかった思いが残っています。次々誤植を見つけるたびに手柄を取ったような気分になりました。自分で考える力も付いた気がします。しかし、数学史の知識のない私が上記の新刊を読んだ場合、何が正しく何が間違っているのか、判断できず、全部正しいものと思って読んでしまうことと思います。もしかすると、誤植は今記したところだけだったのかもしれません。それに Kuhn さんの例の本は、みすず書房の邦訳に対し、人々の間で色々と意見があるようで、本のタイトルも従来の「『科学革命の構造』」とせず、訳者の方々は何か重要な根拠を持って原著タイトルの‘Revolutions’を「革命」ではなく「変革」とされたのかもしれません。
いずれにせよ、人名のミスは痛かった。本の初めにあるまえがきで、このようなあからさまなミスを見せ付けられると、「共立出版さんは校正をされていないのか?」と疑ってしまう。この本は5,000円以上するけど、ほしかった。B5サイズの大きめの本で見やすく写真も豊富であり、「これは楽しそうだ、勉強になりそうだ」と、ちょっとわくわくしながらページをめくっていた。だけど、私には無理だった。事実関係の正確な記述をある程度重視せざるを得ない数学史の本で、たとえ訳者の方々のまえがき中とはいえ、とてもよく知られた人名の、「カーン(Kahn)」と「クーン(Kuhn)」はすごくきつい。今までに立派な論理学の本などを色々出していただいている共立出版さんであるからこそ、なお一層悲しい気持ちになってしまいました。本当に残念です。
なお、この本は、今上げた事柄以外は完璧な本なのかもしれません。そうであったとしたら、ネガティブなことを申しましてすみません。また、上で「トマス・カーン(Thomas Kahn)」、「トマス・クーン(Thomas Kuhn)」と記しましたが、もしかすると「トーマス・カーン(Thomas Kahn)」、「トーマス・クーン(Thomas Kuhn)」と書かれていたかもしれません。結局購入せずに帰ってきたので手元に問題の本がなく、記憶に頼って書いていますので、間違っていましたらお詫び申し上げます。すみません。