Why Is the Slingshot Argument Called So?

いつも身に着けている腕時計の電池が突然切れる。それで電池交換に出かける。
いつも履いている靴の紐が、擦り切れてきて、近々交換しなければならないことが判明する。それで、靴紐の替えを買いに行く。
いつも聴いている Walkman のヘッド・フォンのイヤー・パッドが寿命を迎えて破れる。それで、大型電気店に替えを購入しに行く。
いつも乗っている自転車のベアリングが、寿命を迎えそうな感じである。異音がする。もうすぐ乗り換えなければならないと思われる。
そして自転車に油を差し、タイヤに空気を入れる。
ところが、空気を入れたところで、いきなり激しく空気が抜けてしまう。
よく見るとバルブ部分にある、いわゆる虫ゴムがひどく劣化していることがわかる。
そこで少し離れた自転車屋さんに虫ゴムを買いに行く。


面倒だとは思ったが、晴れて天気もいいし、手ぶらでのんびりと街並みを眺めながら歩いてゆく。
虫ゴムを入手した後は、近所の大型公園を散策する。何かお祭りのようなことをやっている。
子供たちが楽しそうに走り回っている。子犬たちも追い駆けるように走っている。
空はどこまでも青く、木々の葉は新鮮な緑の色をして揺れている。


道すがら、何気なく古書店に入り、browsing. そして次の古書を購入。

これはとにかく買わなければならないと思った。読もうが読むまいが、買わなければならないと思った。


帰り道に、ちょっとお洒落な感じの素朴な cafe に入り、coffee を飲みながら、宮田先生の本を拝読する。
Coffee がとても mild で大変おいしい。久しぶりにおいしい coffee に出会った。


しかし、本の内容はつらいことが書かれている。読んでいて少し胸が熱くなる。涙が出そうになる。
Frege がとても小さく見える。Heidegger もとても小さく見える。そして私たちも…。