The Influence of Fichte and Eckhart on Weyl

先日購入したばかりの以下の本の一部を拾い読みしていると、

  • Paolo Mancosu  The Adventure of Reason: Interplay Between Philosophy of Mathematics and Mathematical Logic, 1900-1940, Oxford University Press, 2010

私個人にとってはちょっと驚いてしまう記述に出会った。引用してみます。

The recent literature on Weyl's philosophy of mathematics and physics has also emphasized, in addition to the Husserlian influence, the important role of Fichte on Wely's thought.*1

Fichte!? あの Fichte? Husserl の影響が言われるのは聞くけれど、ドイツ観念論の Fichte の影響があるというのは知らなかった。H. Weyl の基礎論に興味がない訳ではないが、そこまで手が回らず、かつ手を回すと色々と呻吟しそうなので、Weyl の基礎論や彼の哲学的側面に関する論文が出てきても、その一切を敬して遠ざけてきた。そのつけが回ってきたようで、Fichte の Weyl に対する影響を全く知らずに今日まで来てしまった。Fichte が Weyl に与えた影響を検討した論文は、既に数本は出ているようである。そこで、例えば次の論文を入手してみた。

  • Norman Sieroka  “Weyl’s ‘Agens Theory’ of Matter and the Zurich Fichte,” in: Studies in History and Philosophy of Science Part A, vol. 38, no. 1, 2007
  • John L. Bell  “Hermann Weyl's Later Philosophical Views: His Divergence from Husserl,” in Richard Feist, ed., Husserl and the Sciences: Selected Perspectives, University of Ottawa Press, Collection Philosophica, vol. 55, 2004 (Electric version downloaded from Author's HP)

また、次の文献もちょっと覗いてみた。

  • John L. Bell  “Hermann Weyl,” in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, First published in September, 2009.


私は Weyl も Fichte もよく知らないので、Weyl が Fichte の何にどのような影響を受けているのかを詳述することは、ここではできない。ただ、何があったのかだけ、上記の文献から抜き出して、以下に記してみたい。


まず、Weyl の、Fichte を巡る疑問点と、それを解消するカギを掲示してみよう。

Prima facie, it is unclear why Weyl, being a mathematician and a political liberal, should have read Fichte. After all, Fichte is presumed to have been the most mathematically ignorant of all famous German Idealists, and throughout the first decades of the twentieth century his work was most prominent in a national conservative practical philosophy. Hence, I suggest that Weyl's intensive consideration of Fichtean philosophy can only be understood by looking at the interaction between Weyl and the philosopher and famous Fichte scholar Fritz Medicus, who was Weyl's colleague at the ETH in Zurich and who read Fichte in a particular and liberal way.*2

なぜ、数学者でありかつ政治的にリベラルな Weyl が、数学を知らずかつ保守的と思われる Fichte を読んで影響を受けたのか? それは、Zurich にいた頃の同僚で、Fichte 学者であった Fritz Medicus に依るところが大きいとのことである。この Medicus さんについて記す前に、Weyl の実際の証言を以下に提示しておこう。最初に掲げる英文は、Sieroka さんがドイツ語から英訳したものである。

It was in those years [Zurich years] that, not entirely without his influence [Medicus's influence], I got deeply involved in Fichte and Eckhart, […]*3

これもまたちょっと驚いたことに、Weyl は Zurich 時代に Fichte に入れ込んだのみならず、Meister Eckhart にも入れ込んでいたようである。Eckhart! 

また、Weyl による次のような文もある。
判断とは何か? 事態とは何か?性質とは? 対象とは? 命題とは何か? これらのことをある程度説明した後で、Weyl は言います。

 We cannot set out here in search of a definitive elucidation of what it is to be a state of affairs, a judgment, an object, or a property. This task leads into metaphysical depths. And concerning it one must consult men, such as Fichte, whose names may not be mentioned among mathematicians without eliciting an indulgent smile.*4

さらに次のような文もある。
性質と集合との関係を述べた後で、Weyl は続けます。

The failure to recognize that the sense of a concept is logically prior to its extension is widespread today; even the foundations of contemporary set theory are afflicted with this malady. It seems to spring from empiricism's peculiar theory of abstraction; for arguments against which, see the brief but striking remarks in Fichte (1912 [Werke. Edited by F. Medicus. Leipzig: Meiner.], 6:133ff.) and the more careful exposition in Husserl (1913a [Logische Untersuchungen, 2nd ed. Halle: Niemeyer.]: 106-224).*5


さて、Fritz Medicus さんとは誰で、どうして Medicus さんは、数学を知らずかつ保守的な Fichte をもって、数学者でありかつ政治的にリベラルな Weyl に影響を与えることができたのだろうか? Medicus さんが誰であるかの詳細は、ここでは記さない。略述するにとどめるが、Medicus さんは、Fichte の有名な伝記を書いたり、Fichte の学説の発展史を解説する本を出版したりして、Fichte 学者なら皆知っている人のようである。彼の書いた Fichte の伝記は和訳もある。また、彼は Fichte の著作集を編んだことでも Fichte 学者に知られているようだ*6。Hegel が亡くなり、ドイツ観念論が人気を失った後で、Fichte を人々に紹介し、ドイツ観念論の再評価を促した人物として人々に記憶されているみたいである*7
このような Medicus さんは、哲学的 jargon を振り回すことをひどく嫌ったようで、哲学的問題を内輪にしかわからない秘教的術語で述べることはせず、誰もが取り扱うことのできる言い方で定式化していたそうである。このために、わかりにくい Fichte 哲学の背後に、何か数学的に hint となるようなことを想像せしめることを可能にしていたみたいである。この結果、数学者の Weyl にも Fichte 哲学に興味を持たせることができたようである*8
また、Medicus さんは、真の自由を標榜した Fichte の道徳論を地で行く人で、かなり熱心な民主主義者であったそうである。Nazis の蛮行が escalate していく中で、反対の声を上げていたらしい。このような Medicus さんと Weyl は気性が合ったようである。ドイツに戻った後、Weyl は自身の政治的態度は Swiss 時代に決定されたと述べているらしい*9。Fichte は Nazis が政権を取っている頃、国粋主義的な哲学者として賞揚されていたが、Fichte を自由を追い求める哲学者として捉えていた Medicus さんに導かれてリベラルな Weyl は Fichte に親しむことができたようである。

こうして Weyl は Medicus さんを通して Fichte に親しむことができたようだ。


なおこの他に、Sieroka 論文を見ていて驚いたことに、Weyl は Medicus さんに Fichte ついて教えを受けていたが、その Medicus さんの先生のうちの一人が、Frege だそうである!*10 これは言ってみれば、Frege にとって Weyl は孫弟子に当る訳だ。Weyl は Frege にも言及することがあるから、これはそれほど不思議なことではないかもしれない。でも個人的にはちょっと驚きである。振り返ってみるに、先程、性質と集合との関係を述べた後の Weyl の引用文冒頭では、次のように記されていた。

The failure to recognize that the sense of a concept is logically prior to its extension is widespread today; even the foundations of contemporary set theory are afflicted with this malady.

これは全く Frege も言うであろう言葉だと思われます。Set や class に関し、含まれたり集められたりする対象を第一に取るのではなく、概念を優位に置いて、この後者を論理的に先行するものと捉えるのは、正に Frege の立場です。Weyl は Frege の孫弟子であるとともに、set や class について、そこに集められる対象よりも概念を先行させる点で、集合観に関しCantor の継承者というよりも Frege の継承者であり、たとえ部分的ではあれ、Frege を継承している面があることがわかります。


それはさておき、Weyl は Fichte を通して具体的に何を考えていたのかについては、私の能力を超えるので、説明することができない。上に掲げた Weyl の判断とは何か? 事態とは何か? などに関する引用文からわかることは、哲学の基礎的な概念の理解に Fichte の哲学が資すると Weyl が考えていたということがうかがえる。また、最初の方に挙げた John L. Bell さんの二つの文献を見ると、自己と他者と世界との三者の一般的な関係を、あるいはそこに神を含めた四者の関係を見定めたいがために Weyl は Fichte を読み込もうとしているようである。しかしこの三者ないし四者の関係を説明した Bell さんの文章は非常に思弁的で観念論的であり、私にはきちんと理解できない。
そもそも、Weyl が Fichte の哲学をどのように考えていたのかを把握しようとするならば、まずは Fichte の全知識学の根本原理である 事行 (Tathandlung) についてわかっておかなければならないが、正直に言うと、私には Fichte の事行なるものがよくわからない。少し前のことだが、この事行なるものを理解しようとしたものの、わからずに理解の試みをすぐに投げ出してしまったことがある。今回改めて解説などをいくつか見てみたが、やはりよくわからない。但し、前回よりかは少しは何となくつかめるものが今回はあった。
極めて大雑把に言うと、事行という考えの core にある idea (の一つ) は、自己が在るとすることと、自己が在ることとは同じことである、それらは同時であるということだと思われる。言い換えると、自己を定立する行為と自己を定立したと結果とは同じことである、同時であるということのようである。これは例えば関数や写像に引き付けて言うと、f(f) のことだろうと類推される。f(f) は自分自身に作用する関数だと捉えることができるとともに、f(f) は自分自身に作用する関数の、その操作の結果のことだとも、捉えることができる。どちらのことなのかわからないから、λ 記法が利用される訳だが、Fichte の事行は、どちらともいえない自他未分の状態を表しているだろうから、ただそのまま ‘f(f)’ としておくのがよいと思われる。そこで今、E を自己定立関数なるものとするならば、事行とは ‘E(E)’ と表されるだろう。
このように、取り合えずは関数に引き付けて類比的に事行を、何となくではあれ、以前よりかは不正確にしろ感覚的につかむことが今回はできた。こんなのでいいのかはわからないが…。いずれにせよこの程度のいい加減な理解では、Weyl が Fichte の中に何を見ていたのかを把握し説明することは不可能である。従って、Fichte による Weyl への具体的な影響内容についての説明は、ここでは潔く放棄させてもらいます。


ところで Weyl はFichte のみならず、Eckhart の影響を受けていることを、上の引用文の通り、自身で明言していた。これはいかなる影響だったのだろうか?
Sieroka さんは、この点については微妙な問題であり、議論を呼ぶものであるから、詳述はできないとしつつ、Weyl による Eckhart の受容は、Eckhart の知性の理論をドイツ観念論の主観性の観念に結び付けようとする、やや特殊な (particular) ものであったと述べておられるようである*11
一方、この点について Bell さんの文章を読むと、Weyl は Eckhart を、私たちがそうするように、神秘的な宗教家と見て、この神秘主義者を通して、霊魂や神などについて Weyl は考察を繰り広げているようである*12。Bell さんは Weyl にとっての Eckhart の思想を、実存主義 (existentialism)、宗教的神秘主義 (religious mysticism) と表現している*13。Bell さんの説明によると、Eckhart の考えに Weyl の全実存がかかってくるかのような印象が私にはある。
Weyl にとって Eckhart の考えは、Sieroka さんの言うように、特殊限定的なものだったのか、それとも Bell さんが言うように、何か全的なものだったのか、私にはどちらなのか判断できない。 Weyl, Fichte および Eckhart と、私の不得手な人々ばかりが出てきているので、今のところ、私には判断がつきません。しかし、Weyl が Fichite だけでなく、Eckhart まで持ち出すというのは、知りませんでしたし、ちょっと驚きです*14


最後に、Sieroka 論文を見ていてふと思ったことは、「そういえば、似たような話が日本にもあったかもしれないな」ということでした。Weyl は数学の基礎にある基本的な概念や観念を哲学的に説明するに際し、Fichte を持ち出して来ているようなのですが、日本でもかつて数学の基礎や基本的事項を根拠付けるのに、観念論的な哲学を引き合いに出すということがあったのではなかろうか、ということです。実際に私が思い出したのは、次の啓蒙書にある一節でした。

この本の中で、矢野先生が「0.9999 … = 1 となるのはなぜですか?」という質問に回答されており、その答えは要するに左記の「9」の数 n が無限に大きくなって行くと、その極限では 0.9999 … は 1 になることを、簡略に「0.9999 … = 1 」と書いているのですと返答され、その後に次のように記しておられます。

数学者の末綱恕一先生は、

   0.999999 …

を 1 と理解するのは、哲学者西田幾多郎先生の言われる行為的直観の例になっていると言っておられます。*15

これに関連して、最近文庫化された次の本を、書店店頭でひも解いてみると、

田辺先生は、末綱先生が西田幾多郎先生の行為的直観という概念でもって数学を基礎付けようとしているが、それに一定の評価を与えるのにやぶさかではないものの、しかし首肯しかねる部分があると言って、そのような基礎付けに批判的検討を加えられているようです*16。その際、田辺先生は末綱先生の次の本を参照されているようです。

  • 末綱恕一  『數學の基礎』、岩波書店、1952年

私はこの本は未見です。図書館・図書室にはあるでしょうし、古書店古書即売会で時々見かける本ですが、随分昔の本なので、あまり益するところはないかもしれないと思い、いまだに購入はおろか、記憶に間違いがなければ手に取って開いてみたこともないと思います。ひどく怠惰ですみません。いずれにせよ、恐らくですが、この本の中に矢野先生の典拠があるのではないかと推測されます。そのうち機会があれば、確認してみたいです。
何にしろ、数学の基礎付けの一環として、Weyl は Fichte などなどに依拠したようですが、本邦では同種のことを、西田哲学をもってして行おうとしていた歴史があったのではないかと思われます。この辺りの歴史的事情を掘り起こすことは重要だと考えられますが、べたべたの観念論的基礎付け、神秘主義的基礎付け、決断主義的基礎付けから何か哲学的に重要な事柄が出てくるのかどうかは、私にはわかりません。西田先生の行為的直観論文をちらちら見ても、正直なところを告白すれば、私には行為的直観なるものが何なのか、全くわかりません。まぁ、ちらちら見ているだけではわかるはずもないでしょうし、そんな状態では、哲学的に重要なことについて、出てくるものも出てこないでしょうけれど…。西田先生に見られる、いわゆる典型的な観念論的哲学の文体は、私にはどうにも合わないようなので、何だか Frege の勉強に早く戻りたくなってきました。これを書き終えたら、Frege へ戻ろう。

PS
こんな私ですが、西田先生の記念館まで出かけて行って、先生の遺品を拝見させていただいたこともありました。結構楽しい思い出として私の中に残っています。その節は大変ありがとうございました。

*1:Mancosu, p. 257.

*2:Sieroka, p. 85.

*3:Sieroka, p. 87.

*4:Hermann Weyl, The Continuum: A Critical Examination of the Foundation of Analysis, Dover Publications, 1994 (Originally Published in German in 1918), p. 7.

*5:Weyl, “The circulus vitiosus in the Current Foundation of Analysis. (From a Letter to O. Hölder),” in his The Continuum, pp. 110-11. This letter was published in 1919.

*6:加藤尚武編、『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場 カントとドイツ観念論 【18-19世紀】』、中央公論新社、2007年の巻の参考文献表フィヒテの部分を参照。

*7:Sieroka, pp. 88-89

*8:Sieroka, pp. 89-90.

*9:Sieroka, p. 89.

*10:Sieroka, p. 88.

*11:Sieroka, p. 87, n. 13.

*12:John L. Bell, “Hermann Weyl's Later Philosophical Views,” p. 8.

*13:Bell, “Hermann Weyl's Later Philosophical Views,” p. 9.

*14:とはいえ、分析系の rigid な哲学が好きな私も、人間理性の理解を超えているかのような、若干神秘的なところもある、Levinas さんの倫理思想に魅かれたりするので、Weyl さんの気持ちも、僭越ながら何となくわかる気がします。

*15:矢野、52ページ。

*16:書店店頭で開いてみただけで、これらのことがこの本の何ページ目に記されていたのかをここに明記することはできません。この本をお持ちの方は索引で調べていただければ、すぐにわかると思います。