(以下では、いわゆる「です・ます」調の柔らかい文体は使わず、「である・だ」という断定的な文体を使います。いささか尊大・横柄な響きがあり、謙虚さに欠ける雰囲気をそのような文体からは感じさせますが、どうか気になさらないで下さい。虚飾を剥ぎ落とせば、中身は大したことを言っていません。また、この項目の title になっている疑問に対して、以下ではその答えを明示していません。ですから、最後まで以下の文を読まれても、直接答えは出てきません。あらかじめお断りしておきます。)
Frege の "Über Sinn und Bedeutung" では、何が論じられているのだろう? それが何であるかは、言語哲学を学んでいる者にとって周知のことである。だから言うまでもない。いわゆる固有名や確定記述句などの単称名のいみ*1として、Sinn と Bedeutung を区別すべきだということが論じられているのである。
しかし私が質問しているのはそのようなことではない。私の質問をもう少し正確に言うと、こうである。件の論文の大部分で論じられている問題とは何か、である。
これも言語哲学を学んでいる者にとっては周知のことである。副文の分析である。
しかしこれも私が聞きたいことなのではない。私が聞きたいのは、なぜ Frege はこまごまと副文を分析していたのか、である。なぜその必要があったのか、である。そのような分析は、件の論文の論証全体の中で、いかなる位置を占め、いかなる役割を持っていたのか、である。
そもそも件の論文で、副文の分析はどの程度なされていたのだろうか?
"Über Sinn und Bedeutung" は元々ある学術誌に掲載された (Zeitschrift für Philosophie und philosophische Kritik, 100, 1892)。次の著作に収められている "Über Sinn und Bedeutung" を基に、
- Gottlob Frege Kleine Schriften, Zweite Auflage, Herausgegeben und mit Nachbemerkungen zur Neuauflage versehen von Ignacio Angelelli, Georg Olms, 1990
元々掲載された学術誌の何ページ目から何ページ目までに、この論文は載っていたのかを確認すると、その雑誌の25ページ目から50ページ目まで、より詳しくは、25ページ目の半ば辺りから、50ページ目の半ば辺りまでに載っていたようである。そうすると、26ページ目から49ページ目までで24ページ分をこの論文は使い、25ページ目と50ページ目はそれぞれ半ページずつ、計約1ページ分を使っているとするならば、全部でおおよそ25ページ分をこの論文は使っている。
この論文の内容を、ページに即して見てみると、おおまかには、以下のようになる。
まず25ページ目の半ば辺りから単称名の分析が始まり、32ページ目に入ってすぐにその分析は終了する。つまり単称名の分析に、大体6ページ半を費やしている。これは論文全体の26%に当たる。
今度は32ページ目の頭近くから主張文 (Behauptungssatz) の分析が始まり、文の分析自身は論文のほぼ最後まで続くが、主張文自体の分析は、36ページ目の半ばまで続く。つまり主張文の分析に、大体4ページ半を費やしている。これは論文全体の18%に当たる。
次に36ページ目の半ばから副文 (Nebensatz) の分析が始まり、50ページ目に入った直後にそれは終わる。つまり副文の分析に、大体13ページ半を費やしている。これは論文全体の54%に当たる。(主張文と副文を合わせた文の分析ならば、論文全体の72%を占める。)
最後に、50ページ目の残り、半ページほどは論文の総括に当てられている。これは論文全体の2%である。
わかりやすく図式的に記すと、以下のようになる。
-
- 単称名26% + 主張文18% + 副文54% + 総括2% = 100%
主張文と副文を文としてひとまとめにすれば、
-
- 単称名26% + 文72% + 総括2% = 100%
である。
これを見ると、文の分析は単称名の分析の、実に3倍近くもある。
副文だけに限っても、単称名の分析に対し、2倍以上もある。
全体として見れば、Frege のこの論文は、文について、特に副文について、分析した論文なのである。単称名を分析している論文というよりも、むしろ文を、副文を、分析している論文なのである。
では、なぜこれほどまで副文について Frege は長々と分析しているのだろうか? このような分析は、この論文の論証全体の中で、何を狙いとして行われていたのだろうか? そしてこの論文を超えて、副文の分析は、Frege の学問上の目標の中で、いかなる位置付けにあったのだろうか?
私たちの理解では、Frege は自然言語の体系的ないみの理論を構築しようと生涯をかけた人物ではなかった。いわゆる論理主義を完遂しようと研究生活の多くを費やした人物である。こまごまとした副文の分析は、最終的に、自然言語の体系的ないみの理論を打ち立てたくて、していた訳ではないものと予想される。恐らく論理主義の遂行のために、何ほどかの役割を持っていたから、長々とそれを分析していたものと推測される。しかし論理主義の遂行に際し、考慮されるべきは、数学の (形式的な) 証明で使われる外延的言語なのであって、なぜ内包的な文脈を構成する副文について、Frege はあれこれ省察しなければならなかったのだろうか?
Frege の論理主義の中で、いかなる位置にあったのかはさておくとして、件の論文の論証全体の中で、副文の分析が何を狙いとして行われていたのかは、副文の分析が始まる直前のところと、副文の分析が終わるその最後のところを見ればわかる。
副文の分析が件の論文の中でいかなる役割を持っていたのかについては、次の論文から教示を受けた。
- Ignacio Angelelli "The Mystery of Frege's "Bedeutung"," in: Revista Patagónica de Filosofía (Patagonian Journal of Philosophy), vol. 2, no. 1, 2000
件の論文自身を読んでも、その狙いはわかる。この Angelelli 論文を読んでもわかる。読めばわかる上、今は時間がないこともあるので、その狙いが何であったのかは、ここには記さない。可能ならば、後日この日記に記したい。
私の現在の思いでは、件の論文中で、この論文の半分以上を占める副文の分析が、いかなる狙い・役割を持っているのかを理解していないならば、そもそも "Über Sinn und Bedeutung" が何をやっている論文なのか、何のために書かれているのか、それが理解できないことになる考えられる*2。単称名のいみとして、Sinn と Bedeutung を区別すべきだということが論じられている論文だ、と言うだけでは、この論文を理解していないに等しいものと思われる。この論文でなぜ 副文が分析されているのかを理解していないならば、Frege にとって彼の Bedeutung とは何であったのかを正しく理解することは、できないものと感じられる。そして副文の分析がいかなる狙いを持っていたのかを理解していなかったがためと思われるが、その理解の欠如のために、Frege の Bedeutung について、彼の考えに忠実な理解を示しているとは言えないような文献が散見される。重要で影響力がある文献の中に、Frege に忠実ではない Bedeutung の解説が見られるのである。私は今、そう感じている。*3
以上は私が間違っていなければの話である。だが、間違っている可能性が極めて高い。多分間違っている。間違っているはずである。これは批判的な検討が必要とされる話題である。
ここまで、一気に書き下ろしました。見直していませんので無理解や誤解や誤字、脱字などがありましたら、お詫び申し上げます。どうかお許し下さい。もう寝ます。おやすみなさい。
*1:この「いみ」という言葉を前理論的に使用する。専門用語としては用いない。術語としての 'Sinn' や 'Bedeutung' の訳語ではない。最広義の含みを持たせて極めて一般的に、素朴に使用している。
*2:但し、副文の分析に多くのスペースがこの論文で割かれているといっても、それは副文という言語現象が、ただ単に難しく複雑だから、それだけスペースを取ってしまっているのだということも考えられる。だが、当座の問題の解決には無関係だから、スペースを食うこの難しくて複雑な言語現象の分析は差し当たりパスしておくと言わず、わざわざ真剣に Frege が長々とその分析に取り組んだのはなぜなのか、という疑問は残る。その疑問の答えは、副文の分析が通りすがりの副次的な問題ではなく、件の論文全体の中心的課題を解明するのに必要不可欠な問題だと Frege が考えたからだ、というものになると思われる。
*3:但し私が Frege の件の論文を、人々よりも深く詳しく理解しているということではない。実際にはほとんど理解できていない。ただ、以前の自分に比べて、わずかだけ、自分なりに理解が進んだような気がするようになったというだけである。そしてこれは気のせいかもしれないとも、若干感じている。