和辻哲郎と中国人問題

先日から以下の本を読んでいる。

すると、次のような文に出会った。

戦前に和辻哲郎のような人は、中国人を軽蔑しながら、中国の一番いいところは日本にもあるという未証明の前提に立って、東アジアでの日本のヘゲモニーの支持につながる議論をしている […]。ヨーロッパ中心主義の一環としての日本のエスノセントリズムである。*1

私は正直に言うと、和辻哲郎氏 (1889–1960) の本を今まで一冊も読んだことがない。氏の論文の類いも全く読んだことがない。そのためよく知らなかったことから、今の引用文にあるように、氏が中国人を軽蔑しているという話を今回初めて私は目にした。この引用文に三島先生は註を付されている*2。その註で先生は典拠を和辻氏の『風土』、岩波文庫、1979年版、160ページにとっておられる*3。そしてその註の中で三島先生は坂部恵先生の著書『和辻哲郎』に言及し、「和辻氏の中国人蔑視の文章は、中国の方々にお見せするのもはばかられるものである」という主旨の坂部先生の言葉を引用されている。
そこで三島先生が坂部先生の著書から引用されている部分を原文で拝見すると、次のようにある。

また、[和辻氏の『風土』における] シナ人の〈無感動的〉な国民性についての叙述、とくに昭和四年雑誌掲載の原型のそれ ( [『和辻哲郎全集』、第8巻、岩波書店、1962年、242-256ページ所収。掲載された雑誌は岩波書店の『思想』、1929年7月。] ) には、あえて内容には立ち入らないが、今日そのまま中国語に訳して新中国のひとびとの閲覧に供することは何としてもはばかられるであろうような見解が含まれていることも否定できない。*4

三島先生の本では記されていないが、どうやら「昭和四年雑誌掲載の原型のそれ」が何より問題のようである。そこでまず最初に三島先生が参照されている、一般に流通している文庫本の『風土』、1979年版の方で問題とされている該当箇所を読んでみた。その該当箇所とは以下である。なおこれは、昭和十八年の原稿に依拠していると考えられることから*5、これを「昭和十八年版」と呼ぶことにする。

そして続けてこれと読み比べるように、「昭和四年雑誌掲載の原型のそれ」を copy して入手し、読んでみた。問題の「それ」とは次である。これを「昭和四年版」と呼ぶことにする。

  • 和辻哲郎  「付録 昭和四年版 『風土』 第三章 モンスーン的風土の特殊形態 第一節 シナ」、『和辻哲郎全集』、第8巻、1962年、岩波書店


これら二つの文献を読んだ正直な感想を述べる。
今挙げた文献中の前者、昭和十八年版では、中国や中国人への横柄で尊大な態度が、私には和辻氏の文章に幾分感じられた。「いささか危ないな」と思われた。ひやひやしながら読み終えた。
次に、今挙げた文献中の後者、昭和四年版を読んでみた。昭和十八年版と内容や構成がかなり変わっている。そして大変驚いた。はっきり言って shock だった。あまりにひどすぎる。読みながら、あまりのことでところどころ言葉を失い、立ち尽くして読み進むことができなかった。ここまでひどい差別感情を和辻氏が持っておられるとは知らなかった。私は読んでいる途中で幾度か、「終わっている…。これはもう、終わっている…。」と思った。まったく straight に差別的言辞を書き記しておられる。難しい哲学的言説の間隙から、微かに差別的意識が読み取れる、というような生やさしいものでは全くない。解釈によっては差別感情を読み取れるとか、あるいは読み取れないとかいうレベルでは全然ない。あからさまに過ぎて、全く弁解の余地がない。和辻氏を支持する陣営にとっても、これでは和辻氏を弁護しようとも、いかんともしがたいだろう。この昭和四年版の文章では、長々と中国および中国人への否定的評価が続くので、和辻氏の差別的記述を、単なる slip として看過できるものではないだろう。その証拠となる和辻氏の文章を、本来ならば、この blog の性格から言って、ここで引用してお見せしたいところだが、これは全く無理である。そんなことをすると、この blog が炎上すること必定である*6。実際に和辻氏が述べていることを知りたい方は、上記の昭和四年版をお読みいただきたい。それほど長い文章ではないので、私のように呆然として立ち尽くすことがなければ、短い時間で読み終えることができるだろう*7
その上困ったことに、和辻氏は、昭和四年版を昭和十八年版に書き改めることによって、中国と中国人を差別し蔑視する文章を削除したが、このような改変の理由として、「昭和四年版にあった左翼駁論の部分は風土の考察には無用なので削除した」という主旨の記述を残しているのみだ、という点が問題である*8。中国と中国人差別を述べた文章は左翼駁論と関係がないにもかかわらず昭和十八年版では削られており、中国および中国人差別の部分と、左翼駁論の部分を共に削った理由を述べるのに、「中国および中国人批判の部分と左翼駁論の部分は風土の考察に無用だから削除した」という主旨の十全な説明をせず、ただ「左翼駁論の部分は風土の考察に無用だから削除した」いう主旨の不完全な記述を残しているだけである。当時の中国人が皆左翼な訳ではないだろうから、中国人批判の部分の削除は、左翼駁論部分の削除には当たらない。従って削除部分の説明に際しては、「中国および中国人批判の部分と左翼駁論の部分を削除した」ときちんと述べるべきであって、「左翼駁論の部分を削除した」と述べるだけであってはならない。さもなければ和辻氏にとってはいらぬ誤解を招き、勘ぐられてしまうだろう。やましいところがなければ、削除について、きちんとした十全な説明ができるはずである。
和辻氏による削除理由のこの記述に関し、何より問題なのは、蔑視発言、差別発言を反省する記述を残してもいなければ、撤回する発言も記さず、ただ「左翼駁論の部分は風土の考察に無用だから削除した」いう主旨の理由を挙げているだけだ、という点である。今検討している昭和四年版が書かれて以降、和辻氏は先ほどからの蔑視発言、差別発言を保持したままでいるのかもしれない。「悪いことをした」、「すまないことをした」などの気持ちがないかのようである。そうであるとすると、これは怖い*9。いずれにしても、以上のようでは、昭和十八年版に準拠している岩波文庫版『風土』しか読んでいない読者には、和辻氏がかつて『風土』の昭和十八年より前の version で、どれほどひどい差別的発言をしていたのかが全然推測できない。これは恐ろしい。
思うに、Frege と Anti-Semitism や Heidegger と Nazism という問題があるのと同様に、和辻哲郎と中国人問題というものがあるのだろうと考えられる。昭和四年版を読んでしまった今となっては、もはや全く和辻氏の著作を読む気が起きなくなってしまった。元々和辻氏の著作には、さして関心はなかったのだが、もう無理である。昭和四年版を読んだ後に、氏が『倫理学』という名の書物を著しておられるのをみると、めまいがする。しかもそれが、重要な古典を集積していると一般には考えられている岩波文庫に最近収録されたのをみると、幻滅感を覚える。昭和四年版を見てしまった後では、どんなに偉い先生が和辻倫理学の重要性を切々と述べられても、和辻氏の著作を真剣に読んでみようという気が湧き上がってこない。私の倫理感覚では完全に無理である。もう、終わっている…。

とはいえ、なぜ和辻氏がこのような無残な結果に至り着いてしまったのか、この点を明らかにする必要があるだろう。そうすることによって、二度と同じ轍を踏まぬよう注意するためである。そのためにも、昭和四年版に見られる倫理観を無視して、和辻氏の倫理学を云々してみても、いみがないだろう。それでは全く説得力に欠く。昭和四年版を和辻倫理学の考察の基点に置き、この昭和四年版がどのようにして和辻倫理学の体系に結び付くのか、また、和辻倫理学の体系からどのように昭和四年版に見られる倫理観が現れるのか、昭和四年版から和辻倫理学体系への展開と、和辻倫理学体系から昭和四年版の倫理観の導出という、この往還を分析することによって、和辻氏の倫理観の実相を剔抉し、よってもってその危険因子に対し、警戒する策を講じなければならないだろう。私自身、不充分なところの大変多い人間なので、学んでいかなければならないと思っている。昭和四年版を読んでしまってからでは、和辻氏の、特に倫理学関係の文献を真剣に読むのは、私には心理的に難しくつらいところだが、向き合わねばならないのかもしれない。


最後に。
何にせよ、先ほどから述べている昭和四年版をご覧下さい。そしてご自分で、そこに書かれていることについて判断してみて下さい。私と同種の思いを抱かれるかもしれません。あるいは、私とは異なる見解を抱かれるかもしれません。いずれにしても、上記の私の話は絶対にそのまま受け入れず、必ず昭和四年版をお読みになられてから、私の評価を判断して下さい。
以上の記述に対し、誤解、無理解、事実誤認などがあるようでしたら、和辻氏に謝ります。大変申し訳ございません。その際は、訂正させていただきます。

*1:三島、58ページ。

*2:三島、237ページ、註(18)。

*3:岩波文庫の『風土』、改版2010年版では、197-199ページに当たる。

*4:坂部恵、『和辻哲郎』、20世紀思想家文庫、17、岩波書店、1986年、126ページ。

*5:和辻哲郎、『風土 人間学的考察』、岩波文庫岩波書店、初版1979年、改版2010年、6ページ。

*6:中国人に対する差別的記述のみならず、その他の人々に対する差別的記述も見られる。私が今回入手し参照している『和辻哲郎全集』第8巻所収の昭和四年版1ページ目にいきなりそのような言葉 (taboo word) が出てくるので (全集の242ページ)、本当に驚いた。現在ならば確実に本の回収騒ぎになる。しかもそのような言葉を書き付けているのが高名な学者であることから、今なら新聞沙汰にもなるかもしれない。

*7:この昭和四年版は、『和辻哲郎全集』、第8巻に掲載されているが、差別的言辞を含むこの昭和四年版を全集に収録する決断を下した編集委員と、それを許諾したご遺族の方々は、立派だったと思う。普通ならば、故人の評価をひどく貶める結果となるこのような文章を、故人の著作集には掲載させないよう画策するものだが、今回の件ではきっぱりと公にされているところは清いと思う。但し実際のところ、和辻全集に収録すべき文献を決定するに際し、編集委員やご遺族の間で、すんなりいったのか、もめごとが生じたのか、私は全く知らない。すんなりいったものと信じる。

*8:和辻、『風土』、岩波文庫、初版1979年、改版2010年、6ページ。

*9:但し、和辻氏がその後どこか別の文献や公開の場で、この点に関し、謝罪されているかもしれない。私の勉強不足により、私の知らないところでそのような謝罪の言葉があるとするならば、和辻氏に謝りたい。大変申し訳ございません。その際は、この件に関し、発言を撤回させていただきます。