A Manchurian-Born Polish Logician in the Warsaw School of Logic

非常に些細なことを一つ、記しておきます。
Lesniewski について、ちょっとした小文を書き留めておこうと、調べ物をしていると、次のような HP を初めて見かけた。

    • Professor Jerzy Słupecki Home Page: http://www.math.uni.opole.pl/biogr/Slupecki/Slupecki_en.html

Zbigniew Bonikowski さんという方が、管理・運営されているようです。こじんまりとした HP で、Słupecki さんの伝記や業績の解説、および著作目録が掲載されています。但し、これらの伝記や業績紹介、目録は、以前に Studia Logica で刊行されたものを、net 上に転載しているだけなので、特に珍しいというものではないようです。
そしてここにある伝記を何気なく読み始めると、個人的にちょっと驚いた。全く些細なことなのですが、Słupecki さんは満州生まれの満州育ちのようです。全然知らなかった。Poland で生まれ育ったとばかり思っていた。1904年8月29日に満州ハルビンでお生まれのようである。そして大体17才辺りまで、当地で生活していたようである。その後で、Poland の Warsaw に移ったようである。お父さんが技師をされていて、東清鉄道 (The East China Railway) の建設にかかわっていたようです。清に対して Russia が満州地域の鉄道敷設権を獲得し、China と Mongolia と Russia の三つの国境が接する辺りからハルビンを通り Vladivostok 近くまでの東西の路線と、ハルビンから大連までの南北の路線を合わせた線路が大体のところ、東清鉄道のようで(但し、当時の満州地域の鉄道の名前や、どの路線をどの国が使用していたのかなどなどは、いくらか複雑なようですので、以上の私の記述は、極めて大雑把なものにすぎません。詳細かつ正確にはご自分でお調べいただければと存じます。)、これらの路線の建設に Słupecki さんのお父さんはかかわっていたようです。この鉄道は、後々満州国が誕生してからしばらくして、Soviet より満州国/日本が獲得し、いわゆる満鉄になる鉄道のようです。そういえば、Słupecki さんの師匠である Lesniewski さんも、生まれは Moscow の南ですが、育ちは Siberia で、バイカル湖の南の辺りだったはずであり、 Lesniewski さんのお父さんもシベリア鉄道の建設にかかわっていた通信技師だったと思います*1。このため、この師弟の間には次のような会話が、もしかすると交わされたことがあったかもしれません。「Słupecki 君、君は極東方面の出身だそうだね。」、「はい、先生。満州なんです。父が東清鉄道の建設に従事していたのです。」、「ほう、そうかね。うちの親爺も鉄道建設にかかわっていたよ。シベリア鉄道だ。私も若いころは東の方、つまりバイカル湖の南、Ulan Bator の北辺りに住んでいたな。」、「そうなんですか、先生。それはちょっと奇遇ですね。」 このような会話が本当にあったかどうか、全然わかりませんけれど…。

*1:Arianna Betti, ''Stanislaw Lesniewski,'' in Polish Philosophy Page, http://segr-did2.fmag.unict.it/~polphil/PolPhil/Lesnie/Lesnie.html.