(以下のこの話では、標記のような疑問に対し、何か決定的な答えを与えているというものではありません。あらかじめお断りしておきます。)
先日次の文献を購入した。
- 足立恒雄 『数とは何か そしてまた何であったか』、共立出版、2011年
書店で購入後、café で ice coffee を飲みながら、少し拝見させていただいた。そしてちょっと驚いた。
上記の足立先生のご高著は、数の歴史についての本ですが、そこで何度か Spengler が引用され、かつ先生が Spengler を非常に高く評価されており、Spengler のとても強い影響下で先生はこのご高著をお書きになられているようです。正直に言いますと、私は Spengler については無知であり、Der Untergang des Abendlandes も読んだことがありません。ドイツ語でも英語でも日本語でも読んだことがありません。Spengler さんには申し訳ないのですが、聞くところによると、Der Untergang des Abendlandes は、あまり正確、公正、客観的な歴史書ではないと言われており、真面目に読むに値するような本ではないとの話でしたので、私は今まで全く未見、未読でした。読まずに言うのも何ですが、学術的な書物ではないと、私は思ってきました。恐らく出版当時もそうだったかもしれませんが、現在も多分歴史学の世界では、一般社会に対するその影響力は無視できないものの、その本の内容自身の妥当性は、考慮の外だろうと思われます。
いずれにせよ、読んだことはないものの、Spengler の Der Untergang des Abendlandes が歴史書であって、文明の興亡を描いているということは知っていました。文明や王朝の栄枯盛衰を語っている書物であると思っていました。そのような思いなしを持ちつつ上記足立先生のご高著を手に取り、第1章の最初のページ *1 を見ると Spengler の Der Untergang des Abendlandes からの文章が引用されていました。そしてその引用文の出典情報をよく確かめると「『西洋の没落』 […], 第1章 「数の意味について」」となっていました *2。私はこの時、ちょっと驚きました。文明や王朝の栄枯盛衰を物語っているばかりと思っていた Spengler の Der Untergang des Abendlandes が、数についても論じていることを知って意外に感じました。私はてっきり Spengler の Der Untergang des Abendlandes では、ただただ戦争や王朝の話が詳しく書かれている本なのだろうと、漠然と思ってきたのですが、数について、恐らく数の歴史や数学史についても論じられているらしいとは、今回足立先生のご高著を拝見するまで全く知りませんでした。
今、私はちょっと驚いたと言いましたが、もう少し正確に言うと次の通りです。Wittgenstein を読んでいる方は皆知っていることだと思うのですが、Wittgenstein が Spengler に大きな影響を受けていたということは、私も知っていました。きっと Spengler の文明観や歴史観に Wittgenstein は影響を受けたのだろうなと、ぼんやり思ってきました。しかし、今回足立先生のご高著から Spengler の Der Untergang des Abendlandes では、数についても論じられていると知るに及んで、Wittgenstein の Spengler からの影響が、もしかすると単に文明観や歴史観に関する影響のみならず、数や数学についても何か影響を受けているのではないかと、ふと思いました。驚いたというのは、正確に言うとこのことです。Wittgenstein の Spengler からの影響が、文明観や歴史観に関する影響のみならず、数や数学についても影響を受けているかもしれないということです。そのようなことがありうるのでしょうか?
そこでさっそく和訳で『西洋の没落』を手に取ってみました。そして第1章「数の意味について」を、眺めてみました。すると次のような言葉が目に入ってきました。
数それ自体というものは存在していないし、また存在し得ない。*3
これはいかにも Wittgenstein が言いそうな言葉ではなかろうか。但し、Spengler はここで、様々な文化ごとに様々な数学があり、よって様々な数があるのであって、ただ一つの数があるというのではない、と言っているようです。こういうことまで Wittgenstein が言いたかったかどうかは私には現時点ではわかりません。ぱらぱらと第1章を眺めただけなので、他にも Wittgenstein が言いそうな文言が見つかるかもしれません (あるいは Wittgenstein なら絶対に言うはずがない、というような文言も見つかるかもしれませんが…)。
この件に関し、諸家はいかなる記述をしているでしょうか? あれこれと調べてみましたが、私が手短に見てみた限りでは、詳しく論じているものはほとんどないようでした。細かくなるので、調べてみた文献の一部だけを以下に掲げてみます。
- レイ・モンク 『ウィトゲンシュタイン 天才の責務 1 』、岡田雅勝訳、みすず書房、1994年
- ブライアン・マクギネス 『ウィトゲンシュタイン評伝 若き日のルートヴィヒ 1889-1921』、藤本隆志、今井道夫、宇都宮輝夫、高橋要訳、叢書・ウニベルシタス 453、法政大学出版局、1994年
- S. トゥールミン、A. ジャニク 『ウィトゲンシュタインのウィーン』、藤村龍雄訳、TBSブリタニカ、1978年
- 野家啓一編 『ウィトゲンシュタインの知88』、新書館、1999年
- 山本信、黒崎宏編 『ウィトゲンシュタイン小事典』、大修館書店、1987年
- Hans-Johann Glock A Wittgenstein Dictionary, Blackwell Publishing, Blackwell Philosopher Dictionaries Series, 1995
大まかに見た感じでは、詳しく論じているものはありません。これらのうち、相対的に Spengler についての記述が他と比べて若干多いと感じられるのは Glock さんの Dictionary でした*4。しかし、全く充分とは言えません。もう少し調べると、今の book list 以外で参考になる文献に気が付きましたので、それを掲げます *5。
- ルドルフ・ハラー 「ウィトゲンシュタインはシュペングラーに影響されたか」、『ウィトゲンシュタイン研究: ウィトゲンシュタインとオーストリア哲学』、林泰成訳、晃洋書房、1995年
- 飯田隆 「ウィトゲンシュタインとゲーテ的伝統」、『モルフォロギア』、特集 ゲーテと自然科学、no. 23、2001年
前者は題名から明らかです。後者では論文後半に Spengler についての考察が幾分出てきます。そもそも Spengler は Der Untergang des Abendlandes を、Goethe の影響のもとで書いたという主旨の記述を残しているようです。Der Untergang des Abendlandes 第1巻の初め辺りの註で、そのことを彼本人が述べていたと記憶しています *6。和訳を眺めていてそのことに気が付きました。ですから、飯田先生が Goethe と一緒に Spengler を論じていることは、至って自然なことです。
今挙げた二つの論文はともに Spengler の Wittgenstein への影響を、その方法論の点にある、としているようです。つまり現在の自然科学とは異なった、Goethe の Morphology において展開されている方法を、Spengler は歴史に適用し、Wittgenstein は哲学に適用したと大まかながら言えるものと思われます。そしてこの挙げたばかりの二つの論文をざっーと見渡してみると、Spengler の数に対する考えが、Wittgenstein に影響を与えたというような話は、出てきていないように見えます*7。
Spengler の Wittgenstein への影響を、文明観、歴史観、方法論を越えて、数の概念、数の観念に見ることは可能でしょうか? このことに答えることは、私のとって今後の課題です。(とはいえ、本当に答えるつもりがあるのか、答えることができるのか、差し当たり自分でも不明ですけれど…。)
本日の記述はよく見直していませんので、誤解や無理解、誤字や脱字があると思います。気が付けば、後日訂正させていただきます。ごめんなさい。決して真に受けず、上で掲げた文献に当たり、裏を取るようにして下さい。
追記 (2011年7月18日)
Spengler の Wittgenstein に対する影響については、以下の 141-44ページでも論じられており、
- 古田裕清 「ヴィトゲンシュタインの倫理についての考え方」、中央大学人文科学研究所編、『ウィーン その知られざる諸相: もうひとつのオーストリア 』、研究叢書 22、中央大学出版部、2000年
Wittgenstein の、文明と文化に対する考え方が、Spengler から来ていると述べられています。そしてこの論文の154ページの註 (29) を見ると、Spengler の Wittgenstein に対する影響に関しては、次の本が詳しく扱っていると書かれていました。
- Wolfgang Kienzler Wittgensteins Wende 1928-1932, Suhrkamp, 1998
私はこの本は未見です。但し、webcat, worldcat, Kienzler さんの HP で調べてみた限りでは、このような本は存在せず、古田先生は以下の本のことを言っておられるのではないかと思います。
- Wolfgang Kienzler Wittgensteins Wende zu seiner Spätphilosophie 1930-1932: Eine historische und systematische Darstellung, Suhrkamp, 1997
この本に Spengler と Wittgenstein の関係が詳説されているようです。
*1:足立、1ページ。
*2:同上。
*3:O.シュペングラー、『西洋の没落』、第1巻、定本版、村松正俊訳、五月書房、2001年、71ページ。なおこの引用文には傍点が打たれている。
*4:単に Spengler の略歴を伝えるのではなく、Spengler の考えが Wittgenstein の考えにどのような影響を与えているのかということを記述しているものとしては、Glock さんの記述が、この book list 中、他より少し多い、ということです。
*5:Wittgenstein を研究している文献は、山のようにあるので、私には調べ切れない。もっと調べれば、もっと関連文献が出てくるだろうと思います。
*6:今手元に本がないので、記憶に基付いてこのことを書いています。
*7:飯田先生の論文の註を見る限りでは、先生は Spengler の Der Untergang des Abendlandes を、ドイツ語、英語、日本語、いずれにおいても参照されていないように見えます。Spengler の Der Untergang des Abendlandes の第1章を見れば、きっと先生にとって啓発的だと思います。