残念に思ったこと

私は普段、net の新聞は読むのですが、紙媒体の新聞は読みません。しかし昨日ちょっと出かけた先で時間があったので、たまたまそばに置いてあった新聞を手に取って見てみると、ちょっと驚くようなことが書いてあった。ある大学の先生の悲しい話で、その話の中に学会誌『科学哲学』の名が見える。全国紙に『科学哲学』の名前を見たのは多分初めてだと思う。その記事には先生の名前は書かれていなかった。しかし大学名とその所属先が書いてある。もしかしてと思って帰ってから確かめてみると某先生のことであった。別に誰かがお亡くなりになったという話ではない。しかしこれは知的自殺行為だと思う。少し前、人づてに休職されるとお聞きしたことがあった。病気らしいと聞いた。だが、もしかするとこれが原因で、お休みになられたのかもしれない。
私のこの日記では、単なる個人的感想の類いを書き連ね、他人の受け売りばかりで original なことは何も言っていない。すべて他人様のお手柄話のみだから、日記中で盛んに出典情報を記している。くどいぐらい細かい書誌情報を掲載している。人様の手柄を自分の手柄とする訳にはいかないし、それに blog という media の性格上、お読みになられている方が、blog の内容を信用できるのか、事実を記しているのか、それぞれの方がご自分で確認が取れるように、その都度、詳細な出典情報を記している。(あと、備忘録として仔細に書誌情報を記入している。) 正直に言って、しつこいぐらい出典情報を記載しないと、ついつい、いい加減になって、人様の手柄を人様の手柄と明記せず、自分の手柄だと明言はしなくとも、何だか自分の手柄であるかのようにも読めるような文章をつづってしまうことになると思う。大した人間ではないことを自分自身で毎回確認する意味も込めて、これは自分の手柄ではなくて出典先の方の手柄ですと思いながら、書誌情報を記している。私は大したことのない人間だから、書誌情報を記さずにはいられない。書誌情報を記さない方が、不安なぐらいである。まぁ、これはこれでちょっと過ぎたことかもしれない。うまい具合に中庸が取れれば一番いいのですが…。何にしろ、学問上の priority については、改めて気を付けなければならないと感じます。みんなそれでしのぎを削っているのですから。
とにかく残念な話だった。さびしく感じる。みんな悲しんでいると思う。