What Wittgenstein Didn't Take Over from Lichtenberg

毎年恒例の古書祭りで、次の古書を購入しました。

これは以前からほしいと思っていたものです。なぜほしかったかというと、Wittgenstein の Tractatus における aphorism という表現形式は、Lichtenberg などなどから影響を受けていると言われていたので*1、それならばぜひ Lichtenberg さんの aphorism 集が (和訳で) 見てみたいものだ、と思っていたからです。
さて、入手して早速 Lichtenberg さんの aphorism をいくつか拾い読みしてみました。そこで、Wittgenstein への影響に関し、一つわかったことがあります。それをごくごく手短に記してみます。

今回入手した池内先生編訳の訳本は、先生の original の編集本で、Wittgenstein が直接読んでいたものではありません。そして Lichtenberg の aphorism 全体を、過不足なく、偏向をきたすことなく、この訳本で捉えられているかどうかはわかりませんが、この訳本が大方 Lichtenberg の aphorism 全体の特徴を表すことができているとします。そのことを前提に訳本を読むと、Lichtenberg の aphorism の特徴は、誰にでもすぐわかるように、多くの場合、そこに humor が見られるということです。言い換えると、Lichtenberg の aphorism は、しばしば笑いを誘うところがあるということです。実際私も読んでいて、何度も軽く笑ってしまいました。Lichtenberg の aphorism が Wittgenstein の Tractatus に対し、影響を与えているのはその通りかもしれません。しかし、今回、先ほどからの訳本を読んで、一つわかった確かなことは、Lichtenberg の humor は Wittgenstein の Tractatus には反映されていないだろうということです。Wittgenstein は Lichtenberg の aphorism から Tractatus の表現形式に対し、影響を受けているのかもしれませんが、Lichtenberg の aphorism にしばしば見られる humor は、Tractatus に盛り込んでいないだろうと考えられます。多分、Tractatus を読んでも、誰も笑えないだろうと思います。Tractatus はおかしみをたたえているような本ではないと感じられます。Tractatus は何だか非常に serious に書かれているので、笑えないし、笑ってはいけないような感じさえします。WWI の前線で着想を受け、書き溜められた文章を元に Tractatus は作られているようですから、笑うに笑えない状況から生まれた作品ですので、笑うことができないのは当然かもしれません。
しかし、ちょっと個人的に思うのですが、Tractatus の、いわゆる resolute な読み、therapeutic な読みを採用した場合、そのような読み方が正しいとするならば、Lichtenberg のような humor を Tractatus に盛り込むことが望ましいのではないでしょうか。真面目に考えすぎて、にっちもさっちもいかず、瓶の中の蠅のように、哲学という窮境から抜け出せないでいる人には、はしごを蹴って捨てるのもいいですけれど、そのような苦境を笑い飛ばすことの方が、あるいは効果があるのではないでしょうか。もしくははしごを humor の笑いで燃やし尽くしてしまうことが、therapy になると言えるのではないでしょうか*2。Therapeutic な読みが正しいとするならば、Lichtenberg の aphorism に影響を受けているにもかかわらず、何故 Wittgenstein は Tractatus で humor を盛り込まなかったのでしょうか。絶えず自殺の衝動に駆られていたと言われる Wittgenstein は、生真面目すぎて、humor を自作に取り入れることなど思い付きもしなかったのでしょうか。今回、『リヒテンベルク先生の控え帖』を読んでいて、Therapeutic な読みが正しく、かつ Lichtenberg の aphorism に影響を受けているとするならば、Wittgenstein が Tractatus に humor を盛り込んでも不思議ではないし、むしろ自然でさえあるのに、何故 humor がそこに見られないのか、疑問に思いました。これは therapeutic な読みに対する、反証とまでは言えないとしても、何か不利な材料になっているのでしょうか。このような疑問が、的を射た疑問なのかどうか、私には全然わかりません。思い付きを記したまでです。激しい見当違いでしたら、大変すみません。


本日の記述に関し、誤解や無理解や誤記等がございましたら申し訳ございません。

*1:この件については、当日記、2010年7月18日、''Did Wittgenstein borrow his Tractarian aphoristic style from Tolstoy's The Gospel in Brief?'' を参照下さい。

*2:いわゆる Auschwitz の強制収容所に入れられていた心理学者の Viktor Frankl さんは、収容所内で生き延びるためには、humor が役に立ったと証言しておられます。一瞬だけではあるものの、困難な状況から距離を取ることができる手段として、humor を利用していたと述べておられます。ヴィクトール・E・フランクル、『夜と霧 新版』、池田香代子訳、みすず書房、2002年、71-73ページ。