On Lesniewski

まず、洋文献。

  • Rafał Urbaniak and K. Severi Hämäri  ''Busting a Myth about Lesniewski and Definitions,'' April 26, 2011, preprint, final version, forthcoming in History and Philosophy of Logic
  • Nuel Belnap  ''On Rigorous Definitions,'' in: Philosophical Studies, vol. 72, nos. 2-3, 1993
  • Lewis Carroll  Alice's Adventures in Wonderland and Through the Looking-Glass and What Alice Found There, Centenary ed., edited with an introduction and notes by Hugh Haughton, Penguin, Penguin Classics, 1998

1本目の Urbaniak and Hämäri 論文は、個人的に大変興味深い。定義に関する theoretical な現代の理論においては、何かが定義であるためには、それが少なくとも二つの要請を満たすものであることが求められている。その要請とは conservativeness (non-creativity) と eliminability である。この要請に思い至り、それらを理論的に定式化した最初の人物が Lesniewski である。多分このことはよく知られた事実である。私も随分前から、詳細は別としても、知っていた。ところが上記の Urbaniak and Hämäri 論文によると、これは間違っているとのことである。ちょっとこれには驚いた。では、Lesniewski でないなら一体誰なのか、ということになるが、それは Lukasiewicz or Ajdukiewicz であるらしい*1。40ページ以上あるこの論文の出だしの辺りと結論部分をまず読み、現在、論文の半ば辺りを読んでいる。後日この日記で、上記の論文の内容を報告するかもしれない (しないかもしれないけれど)。私にとっては非常に興味深い話題である。
(どうしてこのような話題に興味を持っているのかを一言述べておく。Hume's Principle は、implicit definition であるとか、implicit definition のようなものであると言われることがある。しかし、Hume's Principle が定義の一種だとすると、その Principle は定義としては問題があるとも言われている。その Principle は定義なのだろうか。あるいは定義としては問題があるため、定義とは見なし得ないのだろうか。これらのことに私は興味がある。そのため、そもそも定義とは一体何か、ということに以前から興味がある。そこで定義に関する theoretical な現代の理論を学ぶ必要がある。そしてそれを学んでいると、この現代的な理論の起源が Lesniewski にあると言われている訳である。しかし、上記の Urbaniak and Hämäri 論文は、Lesniewski に起源を求めるのは間違っている、と言うのである。これは初めて知った*2。とても興味深い。本当に Urbaniak and Hämäri さんたちの言い分が正しいのか、私なりに考えてみたい。)


次に、和文献。

これは古書ではなく、新刊として入手。ここには Cantor や Gödel の論文が翻訳され、掲載されている。既にそれらは copy して所有しており、一部拝読させてもらっていた。そのため今すぐ何としてもこの古い雑誌を確保する必要があるという訳ではなかったが、まだ新刊として書店に並んでいたので購入しておいた。

この雑誌は、野心的で先進的な論文を掲載することが多く、私も今まで大変お世話になりました。しかし、商業誌で、きちんとした校正が行われていないためなのか、なかには致命的な誤植が見られる場合もあります。そのため、慎重に拝見する必要を感じます。上記の号ではないのですが、次の号の中に

  • 『哲学』、第6号、vol. III-1, 臨時増刊 「生け捕りキーワード '89, ポスト構造主義以後の最新思想地図」、哲学書房、1989年

以下のような一般向けの解説が収録されています。

  • 藁谷敏晴  「レシニェフスキー」

ここでは Lesniewski の Protothetic, Ontology, Mereology が手短に説明されており、各体系の公理が具体的に掲げられています。Protothetic の公理として、'AI' [sic] と名付けられたものが、Ontology の公理として、'A2' と名付けられたものが、Mereology の公理として、'A3' と名付けられたものが掲載されています。これら各公理は、この解説文の要を成しており、Whitehead and Russell による、dot を使った記法で書かれているのですが、これら三つの公理のすべてにおいて、誤植が見られます*3。AI [sic] では2ヶ所、A2 では1ヶ所、A3 では4ヶ所、私が気付いた限りでは、文字・記号の誤植・脱落の類いが見られます。実際にその様子を記しておきます。(引用符は省いて記します。)

AI [sic] 前者が、雑誌に印刷されている通りの式。後者が私によって訂正された式。以下同様。ここでは式の後半で : と . が脱落しているので、修正された式ではそれらを追加しています。

    • [pq]::p≡q.≡⠇[f]:.f(pf(p[u].u)).≡[r]:f(qr).≡q≡p
    • [pq]::p≡q.≡⠇[f]:.f(pf(p[u].u)).≡:[r]:f(qr).≡.q≡p

A2 式右端の a は、正しくは b です。

    • [ab]:.aεb.≡:[∃x].xεa:[xy]:xεa.yεa.⊃.xεy:[x]:xεa.⊃.yεa
    • [ab]:.aεb.≡:[∃x].xεa:[xy]:xεa.yεa.⊃.xεy:[x]:xεa.⊃.yεb

A3 ここではまず . が2ヶ所で脱落しています(初めから一番目と二番目の⊃記号の右側)。また、[≡fg] の ≡ は、正しくは ∃。加えて、[≡fg] の右の方で出てくる d は、正しくは b。

    • [ab]::::aεel(b).≡:::.bεb:::.[ca]:::[d]::dεc.≡:.[e]:eεa.⊃eεel(d):.[e]:eεel(d).⊃[≡fg].fεa.gεel(e).gεel(f)::.dεel(b).bεa::.⊃.aεel(c)
    • [ab]::::aεel(b).≡:::.bεb:::.[ca]:::[d]::dεc.≡:.[e]:eεa.⊃.eεel(d):.[e]:eεel(d).⊃.[∃fg].fεa.gεel(e).gεel(f)::.bεel(b).bεa::.⊃.aεel(c)

確かに Whitehead and Russell による dot 記法は、煩瑣に感じられるところがあり、間違えやすくはあると思うものの、「それにしても…」と感じてしまいます。重要な三つの公理、すべてについて誤記・誤植があり、あまりのことに嘆息してしまいます。日本語の誤植なら、日本語を母語とする者は、大抵の場合、すぐにそれが誤植だとわかりますが、あまり一般的ではない記法で書かれた論理式内の誤植では、すぐにはそれが誤植だとは、わからないので困ってしまいます。
とはいえ、私もこの日記で誤記入していることがしばしばあります。後になってそのことに気が付きます。人のことは言えません。以上の私の記述に対しても、誤りが含まれている可能性が大です。上記の三つの公理の誤植については、しばらく前に気が付き、誤植を修正した訂正版の公理の方が正しいことを、その時確認しましたが、今回上記の訂正版公理をここに書き付けるに当たって、改めて私の記述の方が正しいのかどうか、再確認するまではしていません。そのような訳で、私の記述を真に受けず、この日記を読まれた方が各自、本当に私の記述が正しいのか、お手数ですがご確認いただければと存じます。間違っていたら大変すみません。謝ります。申し訳ございません。

*1:2012年1月9日追記: 今朝、目が覚めて布団の中にいる時、「そういえば、件の要請を最初に定式化したのは、実は Lesniewski ではなく、Ajdukiewicz の可能性がある、という話は、以前に別の文献を読んでいる時に、そこに書いてあったな。今回のこの種の話は Urbaniak and Hämäri 論文で初めて教えられたのではなく、既に聞いたことがある。きっちりと証拠を示して、Ajdukiewicz であると断定しているのではなく、少なくとも Lesniewski ではない可能性を示唆するだけのものだったが、とにかく Lesniewski 起源説に疑問を呈する文献を前に読んでたな。」ということを思い出した。次を参照のこと。Anil Gupta, ''Definitions,'' in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2008, section 2.3 Conservativeness and eliminability, note 3, 'The criteria are commonly attributed to the Polish logician S. Leśniewski. According to Rafal Urbaniak, however, they were first stated by K. Adjukiewicz.'

*2:2012年1月9日追記: 初めて知ったというのは言いすぎである。一つ前の註を参照のこと。

*3:藁谷、「レシニェフスキー」、56-57ページ。