It Was Ajdukiewicz Who First Formulated the Criteria of Definition.

(可能であれば、まず当日記の 2012年1月10日 'Even Professor Patrick Suppes Sometimes Nods.' をお読み下さい。左記の日記項目を読まなくても、以下の日記は理解可能ですが、左記の日記項目を初めに読んでおいた方が、よりよいと思います。)

先日、次の文献を読んだ。

  • Rafał Urbaniak and K. Severi Hämäri  ''Busting a Myth about Lesniewski and Definitions,'' April 26, 2011, preprint, final version, forthcoming in History and Philosophy of Logic

定義というものを、現代の形式化された理論 (formalized theory) において導入する際には、通常、その定義は二つの条件を満たさねばならないとされています。Conservativeness (non-creativity) と eliminability です。そしてこの二つの条件を最初に明示的に定式化したのは、Leśniewski だと言われています。この二条件を最初に定式化したのは Leśniewski だとする情報の source は、一般に、次の文献に依っています。

  • Patrick Suppes  Introduction to Logic, Van Nostrand Reinhold, 1957, reissued by Dover Publications in 1999, p. 153, footnote.

しかし、上記 Urbaniak and Hämäri 論文によると、件の二条件を最初に定式化したのは Leśniewski ではないそうです。彼らの論文に基付くならば、少なくとも Poland で最初に定式化した人物は、Lukasiewicz または Ajdukiewicz とのことです。以下において、個人的な備忘録として、この点をごくごく簡単に記しておきます。


Urbaniak and Hämäri 論文の Section 8 Lukasiewicz and Ajdukiewicz on definitions (pp. 19-24) を見ると、まず最初に Lukasiewicz が1928年の3月に2回、研究発表を行っているようで、その発表において Lukasiewicz は creative definitions に反対し、定義は conservativeness (non-creativity) という性質を保持すべきだと述べているようです*1。そしてこれらの発表では conservativeness (non-creativity) という性質の詳しい明示的な定式化は行われておらず、eliminability については、論じられていないようです。
次に、Ajdukiewicz ですが、彼は1928年に大学で講義するための講義ノートの中で、現在の eliminability に相当する事柄を論じているようです*2。そして1936年の Paris で行われた研究発表の際に、Ajdukiewicz は eliminability と conservativeness (non-creativity) を共に詳細に定式化しているようです*3

以上のことは、Urbaniak and Hämäri 論文の Section 10 Final remarks の items 9-12 で、簡潔にまとめ直され、箇条書きされています*4

それでは、Leśniewski は conservativeness (non-creativity) と eliminability の定式化に、何ら寄与することがなかったのかというと、必ずしもそうでもないようです。ではどのように寄与したのかというと、直接的な寄与ではなく間接的な寄与であったみたいです。この点を補足するならば、定義は形式的な理論において、いかなる条件を満たすべきか、という論点を Leśniewski は Lukasiewicz と Ajdukiewicz に突き付けたという点から寄与したようです。Leśniewski は creative definitions を支持し容認しましたが、Lukasiewicz は、それに反対する論陣を張る中で、conservativeness (non-creativity) に言及し、定義はこの要件を満たすべきだと主張しました*5。また、Ajdukiewicz は、Leśniewski によって示された定義の従うべき syntactical な規則に不満を感じ、定義の満たすべき一般的な要件として conservativeness (non-creativity) と eliminability の定式化を行ったようです*6。このように、Leśniewski は Lukasiewicz と Ajdukiewicz に定義を再考するための impetus を与えたという点で、定義が満たすべき条件の定式化に対し、間接的に寄与したと推測されます。


最後に、個人的に若干気になったことを記しておきます。Urbaniak and Hämäri 論文では、conservativeness (non-creativity) と eliminability を Leśniewski はどこにおいても定式化していないと主張しています。Leśniewski の失われた遺稿においてもそうだと主張しています。Frederick Rickey さんの証言によるならば、遺稿を預かっていた Bolesław Sobocinski さんは Leśniewski の遺稿中に conservativeness (non-creativity) と eliminability を定式化しているような記述はなかったことを認めていたそうです*7。これを根拠に Urbaniak and Hämäri 論文は Leśniewski の遺稿に件の二条件がなかったと主張しています*8。Leśniewski の遺稿が第二次世界大戦末期の Warsaw で失われてしまったということは、よく知られています。この失われた遺稿中に、件の二条件の定式化が存在しないということを遺稿管理人の Sobocinski さんが Rickey さんに述べたそうです。しかし、本当に遺稿中に問題の二条件がなかったのかどうかは、正確なところはわからないと思います。Urbaniak and Hämäri 論文は、この遺稿について、ほとんど注意を払っていません。もちろん、失われているのだから、私を含め、誰も今さら注意を払いようもない訳ですが、もしかしたらいくらか二条件について述べた部分があったかもしれないという留保を Urbaniak さんと Hämäri さんは、もう少し付けてもよかったのではないかと私は感じます。彼らの論文中では、Rickey さんを通した Sobocinski さんの話が詳しく記されておらず、正確に言って、Sobocinski さんはどのような理解のもと、どんなふうに Rickey さんに答えたのか、何もわかりません。定義に関する話は何であれ、まったく微塵も遺稿に含まれていなかったと Sobocinski さんは答えたのか、それとも定義に関する話はあったが、二条件はなかったと答えたのか、それとも二条件らしきものはあったが明確な定式化はなかったと答えたのか、どのように Sobocinski さんは Rickey さんに答えたのか、全然 Urbaniak and Hämäri 論文からはわかりません。Urbaniak and Hämäri 論文は全部で42ページあるのですが、論文半ばあたりの12ページ目になってやっとわずかに遺稿について触れて、そして即、遺稿に二条件があった可能性を排除してしまい、後は論文最後の結論部分で、やはり遺稿に二条件はなかったと同じことを短く述べているだけです。私は彼らの論文を最初から読み進めながら、遺稿にまったく言及しないまま Urbaniak さんと Hämäri さんが、 「Leśniewski の書いたものには、問題の二条件を記した箇所はまったく存在しない」と主張していることを不思議に感じました。そうやって読み進める中で、ようやく論文の中ほどでわずかばかり遺稿への言及を見た訳です。「なぜ遺稿について全然言及しないまま話が進んでいるのだろう? 変だなぁ」と不審に思いながら読んでいました。もう存在しないとはいえ、遺稿を軽く扱いすぎているように感じます。
また、今取り上げている論文中では、Leśniewski に反対する形で、Lukasiewicz と Ajdukiewicz は自ら定義の条件を定式化しようとした、とされています。ところで戦間期に Leśniewski, Lukasiewicz, Ajdukiewicz たちが、しばしば研究会のようなものを持って研究発表を行い、たびたび意見を交換し合っていたということは、彼らの考えを勉強している者にとっては周知の事実です。そのような場で Leśniewski が件の二条件を口頭で述べてみせたことがあったとか、黒板を使って書き出してみせたことがあったという可能性はないのでしょうか。Lukasiewicz と Ajdukiewicz が自ら定義の条件を定式化する前に、既に彼らの会合の場で Leśniewski がいくらかなりともその条件を述べていたという可能性はないのでしょうか。このような可能性については Urbaniak and Hämäri 論文では語られていないようです。口頭の談話では、議事録の類いが残っていない限り、その可能性を今ここで追究することは誰にもできませんが、歴史的な研究の場合、その可能性を排除しないでおくことは、真実を求めるに際して必要な態度だと思います。したがって Urbaniak and Hämäri 論文では「今現在、私たちに接することが可能な資料の範囲内では、またその範囲内に限り、Leśniewski が件の二条件を定式化している文言を残しているところは見当たらない」と、明確で抑制のきいた主張を行うべきだったと思います。このようなはっきりとした留保条件をきちんと強調する形で Urbaniak and Hämäri 論文は書かれるべきだったと思います。
とは言っても、今述べた私の気になったことがらは、いささか要求が過大だったかもしれません。Square に考えすぎたかもしれません。そうだったかもしれませんが、私は基本的に Urbaniak and Hämäri 論文の結論を支持します。恐らく Urbaniak and Hämäri さんがおっしゃる通り、「最初に現代風に conservativeness (non-creativity) と eliminability を定式化したのは、きっと Ajdukiewicz さんだったんだろうな」と、お二人の論文を拝読して感じました。何にしろ、なかなか力の入っている論文でした。

それにしても、Ajdukiewicz さんは重要そうですね。今回、conservativeness (non-creativity) と eliminability を最初に定式化したのは、Leśniewski さんではなく Ajdukiewicz さんだと教わりましたが、Tarski さんの有名な真理の定義に対して強い影響を与えたのも、Leśniewski さんではなく Ajdukiewicz さんであると言われています*9。何かと Leśniewski さんが目立ちますが、Ajdukiewicz さんは通常考えられているよりも、ずっと重要な方なのかもしれませんね。


以上、生意気なことを言ってすみません。間違っていましたら謝ります。どうかお許し下さい。

*1:Urbaniak and Hämäri, pp. 19-20.

*2:Urbaniak and Hämäri, pp. 21-22.

*3:Urbaniak and Hämäri, pp. 21-23.

*4:Urbaniak and Hämäri, p. 29.

*5:Urbaniak and Hämäri, p. 21, also p. 20.

*6:Urbaniak and Hämäri, pp. 21, 34.

*7:Urbaniak and Hämäri, p. 12, p. 29, item 8.

*8:Ibid.

*9:Arianna Betti, ''Polish Axiomatics and Its Truth: On Tarski's Lesniewskian Background and the Ajdukiewicz Connection,'' in D. Patterson ed., New Essays on Tarski and Philosophy, Oxford University Press, 2008, pp. 61-62. また 2008年10月19日の当日記も参照下さい。