'What a Diff'rence They Make!': Why Did Frege Think That Natural Number Begins with 0? Why Did Cantor and Other Scholars Think That Natural Number Begins with 1? What's the Difference Between Them?

些細なことのように見えますが、もしかすると少しは重要かもしれないことについて、以下に記します。

2011年3月21日の当日記、'Was Frege the First to Take 0 as a Natural Number?' において、自然数を1から始めるのではなく、0から始めるようにしたのは Frege が最初らしいという足立恒雄先生のお話を報告しました*1。また、D. A. Gillies さんによると、Frege は自然数を0から始めるのに対し、Dedekind and Peano は1から始めていると述べておられます*2自然数を0から始まるものとしたのは Frege が最初らしいという話は、私には何だか意外に感じられました。もっと前から誰かがそうしているものと何となく思っていたからです。そのような訳で、この話をかつて日記で報告したのですが、ただ意外だなと感じただけで、特に深いいみはありませんでした。数学においては自然数を0から始めようが、1から始めようがどちらでもよいこととされているので、今ではその違いは些細なことかもしれません。自然数を0から始め出したのが Frege であろうが誰であろうが大したことではないと感じられます。0であろうが1であろうが、Frege であろうがその他の誰であろうが、何だってよいほどの瑣事であるように感じられます。

しかし、次の本を読んでいると、自然数を0から始めたのは Frege が最初らしいという話が、さもありなんと思わせる一文に出会いました。

その問題の文を読むと、0と1とを共に自然数に含めるか否か、0を、1以降の自然数とは根本的に異なる特別な数と見なすか否かは、数の観念 (notion) を理解する人間の歴史的な試みにおいて、ちょっとした watershed, turning point をなしているのかもしれないと感じられました。つまり、自然数を0から始め出したのが Frege であるということは、たまたまそうだった、というようなことではなく、それなりの理由があってのことだったらしい、ということです。大真面目に言えば、そこには必然性があったのだ、ということです。また、自然数を0から始めようが1から始めようが、そんなことはどちらでもいいと言えそうな気がしますが、実際はそんな風には言えるものではなく、自然数を0から始め出したことは、人々が抱いてきた従来の自然数の観念に対し、一つの歴史的断絶が生じていることを表しているかもしれない、ということです。ちょっと大真面目に言えば…。


その問題の一文を引用してみます。その文は、上記書籍の村田先生の手になる文章です。村田先生は Cantor の論文に対し、その書籍の中で解説を書いておられ、その中のある脚注で次のように記しておられます。

0を「数」から除外したのは、彼 [Cantor] が「数」に対するギリシア的伝統 −数は単位の集まり− に忠実だったことを意味するのであろう (本書2頁脚注参照).*3

ここで村田先生はなぜ「「数」」と、括弧で括っておられるのか、および、そうやって括られた表現が表す数とは正確には何なのか、私には厳密なところ、よくわかりません。この脚注が付された本文では、超限順序数が論じられているので、問題の数とは恐らく超限順序数のことであろうと思われます。そしてわざわざ括弧で括られているのは、ただ超限順序数をいみするだけではなく、註が付された本文では0, 1, 2, 3, ..., などの有限な順序数も論じられているので、これら有限な順序数は、基数に一致することから、基数または自然数をもいみさせるために括弧で括っておられるように感じられます。
そうすると、この脚注で述べられているのは Cantor が0を、超限順序数や基数/自然数から除外しているということのように思われます。本当に村田先生の言われる通り、Cantor が0をそのように特別視しているのかどうかは、私はよくよくは確認しておりません。仮に村田先生のおっしゃる通りとしておきます。いずれにせよ興味深いのは、ギリシア伝来の考え方によると、数とは単位の集まりのことであり、さすれば0は数ではない、あるいは数であるとしても特別な数である、という事柄です。そしてこの従来からある考え方に Cantor が忠実であったらしいということです。


今引用した文の最後に、「(本書2頁脚注参照)」と書かれていました。そこで念のために、その部分を以下に引用してみましょう。この文も村田先生の手になるものです。

「カルジナル数 [Kardinalzahl]」を単位 ( 一者 (モナス) ) の集まり ( 多者 (アリトモス) ) とし、それを、集合 M の「われわれの心」への投影としてその存在性を述べているところには、カントルの中に「数」についてのプラトン的な考え方が働いていたことが示唆されていよう. これはまた、彼が要素をもたない「空集合」を考えなかった理由にもなるであろう.*4


さて、二つ前の引用文にあった、数は単位の集まりであるというギリシア的伝統の淵源を調べてみると、どうやら Euclid に行き着くようなので、Euclid を調べると、次のような文言がありました。翻訳から引用してみます。

1. 単位とは存在するもののおのおのがそれによって1とよばれるものである。
2. 数とは単位から成る多である。*5

なるほど、確かに数は単位、すなわち1の集まりだ、ということになっています。この伝統に忠実だったため、Cantor は0を順序数もしくは自然数から除外していたのかもしれません。


ところで、そもそも単位とは何かということについて、Frege が Grundlagen の前半の数節を使ってあれこれ論じていたことは、多分有名な話だと思います。その部分で Frege は単位を何だと考えていたのでしょうか。Frege は単位が何であるかについて、あれでもない、これでもない、という風に、長々と他の人々の説を論駁した後、自説を提示しています。彼の結論だけを取り出して、ここで述べてみますと、単位とは数が付与される概念のことだ、ということになります (Grundlagen, §§46, 54.)。例えば、文「木星は4つの衛星を持つ」について言えば、木星の衛星という概念に数4が付与されると言われます。木星の衛星には少なくとも Io, Europa, Ganymede, Callisto の4つがあります。現在ではもっと多数の衛星が見つかっていますが、Galileo Galilei が見つけたのが、今記した4つのようです。ここでは仮に木星の衛星は4つしかないとしておきます。さて、Euclid によるならば、木星の衛星の数である数4とは、この場合、各単位 Io, Europa, Ganymede, Callisto から成る多ということになります。しかし Frege は、この伝来の考え方と異なり、Io, Europa, Ganymede, Callisto を単位とは考えず、これらが帰属する木星の衛星という概念を単位と見なします。Io などの諸対象が、単位である 概念 木星の衛星に帰属する様を一覧にすると、次の通りです。

1. Io は、木星の衛星である。(Io は、概念 木星の衛星に帰属する。)
2. Europa は、木星の衛星である。(Europa は、概念 木星の衛星に帰属する。)
3. Ganymede は、木星の衛星である。(Ganymede は、概念 木星の衛星に帰属する。)
4. Callisto は、木星の衛星である。(Callisto は、概念 木星の衛星に帰属する。)
   そして、これら以外に木星の衛星はない。

そうすると、木星の衛星は4つあることになります。つまり、木星の衛星の数は4に等しい、即ち、木星の衛星の数 = 4, これが Frege にとって、文「木星は4つの衛星を持つ」の内容です (Grundlagen, §§54, 57.)。Frege は Io などの諸対象が帰属する概念を単位と見なしていますが、一方、Euclid によるならば、概念に帰属する諸対象の方を単位と見なします。ところで、金星には現在衛星は見つかっていませんので、次が真です。「金星は0個の衛星を持つ。」 Euclid のように、単位とは概念に帰属する諸対象のことであり、数とはこれら単位から成る多であるとするならば、金星の衛星という概念に帰属する対象はなく、したがってその数を成す単位もないので、金星の衛星を表す数はないことになります。つまり、「金星の衛星の数はいくつか?」と問われても、それを表す数がないので、答えられなくなります。この場合、金星の衛星の数については、帰属する対象も単位もないので、そもそも何も言えなくなり、「その数は0である」とも答えらえれません。しかし、Frege は概念を単位とし、概念に帰属する諸対象を単位とはしないので、金星の衛星の数に対する質問に答えることができます (Grundlagen, §46.)。Euclid の見解を忠実に受け取れば、0は数ではない、ということになりそうですが、しかし、Frege によるならば、0は立派な数です。1, 2, 3, ..., と何ら変わらぬ数です。0を特別視する必要はありません。0と1, 2, 3, ..., の間には、断絶はなく、それらはひと連なりに0, 1, 2, 3, ..., として扱うことができます。


さて、この日記項目の初めに戻ります。足立先生のお話によると、自然数を1から始めるのではなく、0から始めるようにしたのは Frege が最初らしい、と述べました。また、村田先生のお話によると、Cantor は0を「数」から除外していたとのことでした。本当に Frege が最初なのか、本当に Cantor は0を除外していたのか、きちんと精査する必要がありますが、それが本当だとしても、よくよく顧みることがなければ、Frege が最初に0を自然数に含め出したのは、ただの偶然だろうと感じられるかもしれません。そして今では自然数を0から始めるのか、1から始めるのか、それはどちらでもよく、重要な問題ではないと考えられています。しかし、ここまで述べてきたことを振り返ってみると、どうやらそれは偶然とは言えないかもしれず、また、自然数を0から始めることは、2000年近く続いてきた、自然数に対する伝統的見解に、反旗を翻すような試みだったと言えるのかもしれない、ということが窺われます。

初めは、「Frege であろうがなかろうが、どっちでもいいだろうし、0から始めようが1から始めようが、やっぱりどっちでもよいのではないか」と感じもしましたが、上記村田先生の文章を読んで、どっちでもいいとか偶然だとか、そのように軽くあしらうのはまずいかもしれないと思うようになりました。Cantor の無限に対する考え方が、歴史上、大きな変化であったと同様に、Frege による基数/自然数に対する考え方も、やはり歴史上、大きな変化であったのかもしれませんね。


以上の記述につきまして、誤解や無理解や、誤字や脱字等がございましたら、謝ります。すみません。

*1:足立恒雄、「フレーゲデデキント、ペアノを読む 現代における算術の成立、第1回 いわゆる「ペアノの公理系」について」、『数学セミナー』、2011年4月号、2ページ。

*2:D. A. Gillies, Frege, Dedekind, and Peano on the Foundations of Arithmetic, Van Gorcum, Methodology and Science Foundation, no. 2, 1982, p. 2.

*3:村田全、「解説」、『超限集合論』、156ページ、脚注**。

*4:村田、『超限集合論』、2ページ、脚注**.

*5:ユークリッド、『原論』、追補版、中村幸四郎、寺阪英孝、伊東俊太郎、池田美恵訳・解説、共立出版、2011年、第7巻、定義、149ページ。なお、東京大学出版会から、現在『エウクレイデス全集』として、いわゆる『原論』の新訳が進行中ですが、まだ第7巻は新訳が刊行されていません。そこで、共立版のみをここに引用しておきます。