Anecdotes about Sir Michael Dummett, 3

2012年5月19日、23日の日記に続き、今回も Dummett さんの逸話を、以下の文献から抜き出してご紹介しようと思います。

  • ''Remembering Michael Dummett,'' in: Opinionator: Exclusive Online Commentary from The Times, The Opinion Pages, The New York Times, January 4, 2012, 3:30 pm, http://opinionator.blogs.nytimes.com/2012/01/04/remembering-michael-dummett/.

今日は Dummett さんの陽気な面、お茶目なところを伝える話を四つ並べます。そしてそれぞれに試訳を付けます。
前からも申しています通り、私の試訳は非常に信頼がおけないので、そのままでは信用しないでください。誤訳が紛れ込んでいると思います。絶対に英語本文をお読みください。そして万が一、英語本文に意を取りにくいところがありましたら、その場合に限って試訳を参考にしてみて下さい。その際も、必ず英語原文と試訳を突き合わせて、間違っていないか、確かめながら参照して下さい。絶対に試訳だけを読んで終わりにするということはやめて下さい。
学術文献の翻訳ではありませんので、試訳はわかりやすさや日本語の調子の滑らかさを考慮し、逐語訳、直訳は避け、英語原文が透けて見えるような訳も取らないようにしています。ご存じの通り、英語では人称代名詞の類いが頻繁に現れますが、試訳の日本語では、逐一英語の人称代名詞を日本語に律儀に置き代えるということはしていません。文脈から明らかな場合は、置き代えることはしませんでした。また、ところどころ開いて訳しています。これらの点をご理解いただければと思います。いずれにしましても、含まれているであろう誤訳に対し、この場でお詫び申し上げます。


1.

Smoke and Milk

Those who knew him say he had a jovial side too. When I saw him in that pub many years later, I was waiting to be served while the barman found Dummett his cigarettes. Dummett pointed to a sign on the bar that said “draught milk.” “Draught milk? Is that a joke?” he cackled. I smiled enthusiastically, but was completely lost for words. It was only later that I learned the story of how Dummett had met Wittgenstein at Elizabeth Anscombe’s house in Oxford. Wittgenstein had only said one thing to him: “Do you know where the milk is?” Dummett did not know.


I like the fact that these two meetings over milk linked me to Dummett, and Dummett to Wittgenstein.


Tim Crane, University of Cambridge

彼を知る者は、彼には陽気な面もあったと言っている。何年もあとにその [Oxford の] pub で彼を見かけた時、私は飲み物が出されるのを待っていたのだが、その間、bartender は Dummett のために、注文された cigarette を出そうとしていた。Dummett は「draught milk を (樽詰め milk を)」 と言って、counter の上の menu を指さした。「draught milk ? 冗談でしょ ?」と言って bartender は、声を上げて笑った。私は満面の笑みを浮かべたが、一方その突拍子のなさに全く唖然としてしまった。あとになって初めて知った話に、Dummett が Oxford にあった Elizabeth Anscombe の家で Wittgenstein に会った際の様子を語ったものがある。Wittgenstein は Dummett に、ただ一つのことだけを言った。「Milk はどこにあるのだろう ?」 Dummett にはわからなかった。


Milk をめぐるこれら二つの出会いが私を Dummett に結び付け、その Dummett は Wittgenstein に結び付いている。こんな風に結び付いていることをうれしく思う。


Tim Crane, Cambridge 大学

私はお酒をほとんど飲みません。そのため、お酒のことについては無知です。'draught' というのは、たぶん England では draught beer のことで、木製の樽とか金属製の樽型容器に入れられている beer のようです。二酸化炭素か窒素を使って樽・容器の中に加圧されて入れられており、低温殺菌が行われているものみたいです。Draught beer が提供されているんだったら、milk でも同じようなものが提供されているだろうからということで、「そいつを一杯もらおうじゃないか」ということでしょうか。



2.

The Philosopher’s Laugh

Dummett’s stratospheric philosophical reputation and his occasional fierceness were such that one could easily forget that he had a great sense of humor and freely laughed his strange infectious laugh. I had just finished telling him a joke about self-knowledge, at which he had chuckled, when he said that he knew one of the same kind. “A prominent politician is running for election and goes to visit a nursing home to campaign,” he began. “He is standing in the middle of the garden and the residents are passing him by without so much as a hello. Finally, he loses his patience and shouts at the next elderly lady who walks by: ‘Do you know who I am!?’ And she replies, ‘No, dear, but if you ask Matron over there, she’ll tell you.’” And then came that rolling laughter that slowly built — ha, haha, hahaha — until his body shook and his eyes became glistening slits.


Alexander George, Amherst College

地球大に及ぶ Dummett の哲学的名声と、時折見せる激しさとによってふと忘れがちになってしまうのは、彼はすぐれた humor の sense を持っており、不思議ともらい笑いを誘うような屈託のない笑顔を見せる人物であったということである。私が自己知について joke を飛ばしてみせるや、彼はくすくす笑って、その手のものを一つ知っているよと言って、話し始めた。「ある有名な政治家が選挙に打って出て、遊説のために老人ホームを訪れるんだ。庭の真ん中に立っていると、入所者たちが挨拶もせずにそばを通り過ぎて行く。しまいに我慢できなくなってそばを歩いてきた年配のご婦人に大声で言うんだ。「私が誰だか知ってます!?」 「いいえ、生憎存じませんわ。だけど向こうの院長さんに尋ねてみれば、彼女なら名前を教えてくれるでしょう。」」 すると Dummett は、「は、はは、ははは、… 」と、最初はゆっくりと、しかし段々回転を速めるように笑い出し、ついには体を揺らして笑って、両目を細め、涙がこぼれそうになっているのであった。


Alexander George, Amherst 大学

哲学者にとって、自己知をめぐる話題は、一種の十八番のようなものですね。その種の話は、元はと言えば、Socrates までは遡れるでしょうし。



3.

Through the Smoke, a Clearing

Many years later, I found myself sitting in the New College Senior Common Room after lunch discussing the meaning of the word “if” with another philosopher. Dummett was huddled over a newspaper elsewhere in the room. I remarked how odd it was to think that the word “if” could have radically different meanings on different occasions of use, for example one meaning in a sentence like “If Oswald didn’t kill Kennedy, someone else did,” and another meaning in a sentence like “If Oswald hadn’t of [sic] killed Kennedy, someone else would have.” From a cloud of tobacco smoke halfway across the room, Dummett piped up, “I wonder if you really think that.”


Jason Stanley, Rutgers University

何年もあとになって、私は New College の Senior Common Room に座っていた。昼食のあと、他の哲学者と「もしも」という言葉のいみについて議論をしていた。Dummett は部屋のその辺で新聞を持って大きく開きながら、身を丸めるようにして読んでいた。「もしも」という語が、使用場面の異なるごとに、ひどく異なる複数のいみを持ち得ると考えることは、何と奇妙なことだろうと私は言い、「もしも Oswald が Kennedy を殺していなかったならば、誰か他の者が殺したのである」というような文で「もしも」が持っているいみが、「もしも Oswald が Kennedy を殺していなかったとしても、誰か他の者が殺しただろう」というような文では別のいみを持つのだろうか、と例を挙げてみせた。すると部屋の真ん中辺り、モクモクとしたタバコの煙の間から、Dummett が不意に声を張り上げて言った。「もしや本当にそんなふうに思っているのかね?」


Jason Stanley, Rutgers 大学

最初の「もしも Oswald が Kennedy を殺していなかったならば、… 」における動詞は直説法 (外延的な真理関数的文脈) の形態を取っており、二番目の「もしも Oswald が Kennedy を殺していなかったとしても、… 」における動詞は仮定法過去完了 (反事実的条件法) の形態を取っています。最後の「もしや本当に … 」は、一種の間接疑問文の形態を取っており、丁寧な依頼を表していると考えられ、pragmatics の観点から捉えることのできる文かもしれません。また、この最後の文は、自問自答の中で発せられれば、当人の信念を報告する文、あるいは当人の命題態度を記述している文になるのかもしれません。'I wonder if ... ' という文については、今では様々な言語学的知見が得られているのでしょうが、私は全く知りませんので、これ以上、論及することを避けます。



4.

An Inspiration, and a Neighbor

One day when my daughter was about 7 or 8 I let her walk to the shops on her own with a friend who lived on the street. On the way home she and her friend got into an “argument” about some topic or other. They came home to report that Michael Dummett had been walking behind them, and interrupted to put them straight on a point — if only she could remember what it was! It seems such a short time ago that Michael could be seen shuffling down the street of Park Town to church, to New College for lunch, or just to buy a pack of cigarettes. He is a figure I shall very much miss in both my home and my working lives.


Anita Avramides, St Hilda’s College, Oxford

ある日、娘が7, 8才ぐらいだったころ、近所の友達と二人だけでお使いに行かせてやったことがあった。帰り道、何かの話題で二人は「議論」になった。帰ってきてから教えてもらったところによると、Dummett が後ろをずっと付いて来て、二人に割り込み、何かの点について二人の間違いを正そうとしたそうである。その何かが何だったのか、覚えておいてくれたらよかったのに! それはついこのあいだのことのように思えるので、Michael が Park Town 街から教会へ、お昼ご飯に New College へ、あるいはただ cigarette をたくさん買い込むために、今も歩き回っているのを見ることができそうなぐらいである。私生活においても、一緒に働いていた大学の職場においても、彼という人がいなくなると、とても寂しい。


Anita Avramides, St Hilda’s カレッジ、Oxford 大学

お茶目というか、生真面目というか…。しかし、気を付けないと、stalker 扱いされかねないので、もうやめて下さいね。


以上、試訳については、誤訳が含まれていると思います。ここで改めてお詫び致します。大変申し訳ございません。