What Is This Thing Called 'Mathematics'?: Russell's Reply

先日入手した次の文献を読んでいると、

  • Gregory Landini  ''[Review of] Michael Potter and Tom Ricketts, eds. The Cambridge Companion to Frege. Cambridge: Cambridge University Press, 2010. ISBN 978-0-521-62479-4. Pp. xvii+639,'' forthcoming in Philosophia Mathematica

その冒頭で、以下のような Bertrand Russell の有名な言葉が引かれていた。

[M]athematics may be defined as the subject in which we never know what we are talking about, nor whether what we are saying is true.

うまくない試訳を付すと

数学は、何について語っているのか、わかっておらず、言っていることが真であるかどうかもわからない、そのような学問として定義できる。

となるかもしれない。これはたまに見かける言葉ですが、ここでは一体何が言われているのでしょうか? 数学に取り組んでいる時に、私たちは自分たちが何について語っているのか、わからぬまま語っているとは思われないし、数学に取り組んでいる際、私たちは何事かを真であるとして、主張したり証明したりしているつもりのはずです。にもかかわらず、Russell は、私たちのこの常識を逆なでするような数学の定義を表明しているように見えます。Russell によるこの数学の定義は、面白くはあるものの、「本当にそのように言えるのだろうか? そもそも、どのような文脈を背景に、いかなるいみで Russell は、このように言っているのだろうか?」という疑念を呼び起こします。そこで、この言葉はどこに出ていたのか、手すさびに調べてみました。この言葉は、次の文献の該当ページに出てきます。

  • Bertrand Russell  ''Mathematics and the Metaphysicians,'' in his Mysticism and Logic, and Other Essays, Penguin Books, Pelican Books Series, 1918/1953, pp. 74-75, (this essay ''Mathematics and the Metaphysicians'' was written in 1901),
  • バートランド・ラッセル  「数学と形而上学者たち」、『神秘主義と論理』、江森巳之助訳、みすず書房、1995年、85-86ページ。


問題の言葉が出てくる前後を引用してみます。平易な英語だと思いますので、邦訳の掲載は省きます。問題の言葉は、以下の引用文の終わり近くに出てきます。引用文中の [1], [2] などは、引用者による挿入です。

 Pure mathematics [1] was discovered by Boole, in a work which he called the Laws of Thought (1854). This work abounds in asseverations that it is not mathematical, the fact being that Boole was too modest to suppose his book the first ever written on mathematics. He was also mistaken in supposing that he was dealing with the laws of thought: the question how people actually think was quite irrelevant to him, and if his book had really contained the laws of thought, it was curious that no one should ever have thought in such a way before. His book was in fact concerned with formal logic, and this is the same thing as mathematics [2], [5].
 Pure mathematics consists entirely of assertions to the effect that, if such and such a proposition is true of anything, then such and such another proposition is true of that thing. It is essential not to discuss whether the first proposition is really true, and not to mention what the anything is, of which it is supposed to be true [3]. Both these points would belong to applied mathematics [1]. We start, in pure mathematics, from certain rules of inference, by which we can infer that if one proposition is true, then so is some other proposition. These rules of inference constitute the major part of the principles of formal logic. We then take any hypothesis that seems amusing, and deduce its consequences. If our hypothesis is about anything, and not about some one or more particular things, then our deductions constitute mathematics [4], [5]. Thus mathematics may be defined as the subject in which we never know what we are talking about, nor whether what we are saying is true. People who have been puzzled by the beginnings of mathematics will, I hope, find comfort in this definition, and will probably agree that it is accurate.


この文章から読み取れる point を、いくつか記してみます。なお言うまでもなく、これら各 point は、私個人の理解を表しておりますので、誤っている可能性があります。鵜呑みにされず、上記引用文と突き合せて正しいかどうか、ご自分で判断してください。なお各 point, 1., 2., ..., に関連する上記引用文中の文を、[1], [2], ..., として、引用文中に指示することにします。


1.
Russell は数学を二種類に分けているようです。一つは純粋数学 (pure mathematics) で、もう一つは応用数学 (applied mathematics) です。Russell が、何をもって純粋数学とし、何をもって応用数学としているのかは、この引用文ではよくわかりません。いずれにせよ Russell が数学の定義として表明していたその数学とは、この場合、純粋数学のことだと思われます。応用数学ではないようです。したがって、Russell による問題の数学の定義は、数学は数学でも、純粋数学の定義だと考えられます。応用数学には Russell の言うような数学の定義は当てはまらない可能性があります。


2.
Russell は、形式論理学 (formal logic) を純粋数学と同じものと見なしています。これは Russell が logicism を信奉している結果と考えられます。


3.
純粋数学は、結局次のようなことを述べている主張から、専ら成るものとされています。その主張とは、もしも、しかじかの命題が任意の何事かについて真であれば、別のしかじかの命題がその何事かについて真である、というものです。この主張のうちの前件の命題が、実際に (really) 真であるかどうかは問題ではなく、この命題が真とされるような何事かが何なのかについても、問題ではないとされています。それらが問題になるのは、応用数学においてだ、ということです。純粋数学では、仮にその数学的命題が真であるとすると、別の数学的命題が真となる、と考えるだけであり、仮に真だとされている数学的命題が、この現実の経験的世界の何事について述べられているのかについては、問われておらず、しかも実際にその命題がこの経験的世界で現実に真であるかどうかも問われません。純粋数学の特徴は、「仮に … とすると、… 」という仮説性と、現実世界の特定の何事かについて述べているのではなく、述べられているのは特定のこれといったものではないという任意性にあるようです。


4.
純粋数学は、推論規則 (rules of inference) を使って、一つの命題から別の命題を演繹することにあります。一つの命題を任意のものごとについての仮説 (hypothesis) として立て、推論規則を使って別の命題を演繹すれば、これらの結果はすべて純粋数学を成します。言い換えると、純粋数学とは、任意のことについて述べている公理を立て、そこから推論規則を使って出てくるもの全部のことと思われます。


5.
ところで先の 2. で少し触れましたが、Russell は logicism を信奉しており、この引用文中全体においても、そのつもりのようですので、純粋数学で立てられる公理はどれも論理学の言葉によって構成されているものと考えられます。したがって、純粋数学の最初に立てられる、任意のものごとについて述べている仮説 (公理) とは、論理学上のことしか述べていない仮説 (公理) ということになると思われます。


以上のことが、上記引用文から、仮に読み取れるとしましょう。それでは問題の、Russell による数学の定義を引用文から抜き出してみます。

Thus mathematics may be defined as the subject in which we never know what we are talking about, nor whether what we are saying is true.


ここでは数学は、何について語っているのか、わかっていない学問だと言われていますが、それは、先に述べた point を念頭に置きますと、純粋数学における数学的命題の任意性にあるとわかります。特定のものごとについて語っているのではなく、任意のものごとについて語っているので、特定の何事について語っているのか、わからない学問だ、という訳です。さらに、Russell の logicism を踏まえてみましょう。純粋数学は、仮説 (公理) を立てて始まります。Logicism においては、その仮説は論理的な言葉のみでできていると考えられます。そして論理学の言葉は、内容を欠いた形式のみを語るため、その仮説も内容を欠いた形式のみしか語らず、そのような仮説から論理的規則によって演繹される結果としての命題 (定理) も、形式のみしか語らないと考えられます*1。そうすると、Russell にとって、純粋数学が何事について語っているのかわかっていないというのは、論理的に普遍的なことしか語っていないから、何事について語っているのかわかっていないということであり、あるいは、内容を欠いた形式的なことしか語っていないから、内容を持ったものとして、何事について語っているのかわかっていないということになります。純粋数学が何事について語っているのかわかっていないというのは、その数学が何も語っていないということでもなく、語っていることがわかっていないということでもなく、論理的に普遍的なことをわかって語っているのであって、形式的なことをわかって語っているのだ、ということだと思われます。

また、上に抜き出して引いた Russell における数学の定義では、数学は自らが語っていることが真であるかどうかわかっていない学問だと言われていますが、それは、先に述べた point を念頭に置きますと、純粋数学における数学的命題の仮説性にあるとわかります。Russell によると、純粋数学においては、仮に命題 p が真だとすると、命題 q も真になる、ということが述べられているだけなので、仮定の話をしているだけであり、実際の話をしているのではないので、数学が語っていることが実際に真であるかどうかはわからない、という訳です。さらに、Russell の logicism を踏まえてみますと、Russell にとって、数学は論理学に他ならず、論理学においては、論理学以外の実際上の真理が述べられている訳ではないので、論理学即ち数学で述べられていることが、現実に真であるかどうかは問題ではない、ということになります。ただし、論理学において、真理が一切語られていないという訳ではありません。もちろんそこでも真理は述べられています。例: 'p ならば p' が tautology であることは、真である。したがって、論理学においては、論理学以外の実際上の真理が述べられることは通常ないと思いますが、論理学における真理は、そこでも述べられていることになります。こうして Russell の数学の定義によると、数学は自らが語っていることが真であるかどうかわかっていないのではなく、むしろ、数学上の真理、即ち論理学上の真理は、わかって語られているということになると思われます。


ここまで、Russell による数学の定義が述べられている背景と、その背景を踏まえた Russell による数学の定義のいみを、極々簡単に確認してみました。この定義は数学について、常識にかなり背馳したことを述べているものと考えられたので、当初はいささか真意が読み取り難いところがありましたが、こうして手短かつ暫定的ながら確認を終えてみますと、Russell なりの思いがあって述べられていることがわかります。数学は何を語っているかわかっていないのではなく、任意のものについてわかって語っているのであり、あるいは形式についてわかって語っているという訳です。また、数学は真偽不明の前後不覚で語っているのではなく、仮説を述べているだけであり、あるいは論理学上の真理を語っているという訳です。こうして真意がわかれば、Russell の定義に対し、常識に背馳していることからくる心理的抵抗が幾分和らいできます。そして、その定義は、Russell の logicism を背景として語られていることが、はっきりしてきます。それは logicism を背景にしてこそ、表明できる定義なのかもしれません。したがって Russell による数学の定義を「面白い定義だ」として受け入れる人は、(純粋)数学は論理学に他ならず、数学の命題は内容を欠いた任意のことについて語っていて、それは仮説を述べているだけであり、もしくは数学でありながら論理学上の真理を述べているだけなのだ、ということをも受け入れる必要があるのかもしれません。しかしこれほど強い前提が Russell による数学の定義の背後で働いているとわかったならば、単に「面白い」というだけで件の定義を受け入れる訳にはいかなくなってくるかもしれませんね。


PS
ここまで扱ってきた Russell による数学の定義では、数学とは「もし、かくかくならば、しかじかである」ということしか述べていない、とされています。そうしますと数学とは、それを構成する各文や式が、条件文となっているようなものの集合であるとか、あるいは数学とは、証明における前提を条件文の前件とし、証明における結論をその条件文の後件とするような、そのような条件文の集合として捉えることができると思われます。このように数学とは、その各文や式が実は条件文なのであるとか、数学における証明は条件文として書き下せるのだとする立場を、一般に 'if-thenism' と呼んでいるようです。通常、if-thenism の典拠先は、

  • Bertrand Russell  Principles of Mathematics, 2nd ed., Routledge, Routledge Classics, 2010, (1st ed. published in 1903), Chapter 1: Definition of Pure Mathematics,

とされていると思いますが、先ほどまで扱ってきた Russell による数学の定義が出てくる ''Mathematics and the Metaphysicians'' も、元々は Principles of Mathematics, 1 ed. が書かれたのと同時期に書かれていますので(1901年)、if-thenism の典拠先も、この ''Mathematics and the Metaphysicians'' に取ってもよいかもしれません。今日の話はほぼ ''Mathematics and the Metaphysicians'' だけに限りましたが、今回の Russell による数学の定義を考える際には、Principles of Mathematics の Chapter 1: Definition of Pure Mathematics も参照されるべきでしょう。
ちなみに 'if-thenism' という言葉を作り出したのは、多分 Hilary Putnam さんで、その言葉の初出は恐らく次の文献と思われますので、

  • Hilary Putnam  ''The Thesis That Mathematics Is Logic,'' in his Mathematics, Matter, and Method, 2nd ed., Cambridge University Press, Philosophical Papers, vol. 1, 1975/1979, Section (3): 'If-Thenism' as a Philosophy of Mathematics, (this paper was first published in 1967),

if-thenism を考える際には、この文献も参照する必要があると思われます。ただし、ここで Putnam さんは Russell による if-thenism を詳しく描き出しているというよりも、Putnam さんが if-thenism と思うものを専ら擁護することに力が注がれていますので、Russell の数学観の歴史的研究としては、得るものは少ないと推測されます。


以上、本日の記述に対し、誤解や無理解や勘違い、誤字、脱字の類いがございましたら、誤ります。申し訳ございません。ご容赦いただければと存じます。

*1:See Bertrand Russell, Introduction to Mathematical Logic, Routledge, 1993 (first published in 1919), Chapter 18: Mathematics and Logic, ラッセル、『數理哲學序説』、岩波文庫岩波書店、1954年、第十八章、「數學と論理學」。