On the Significant Points of Professor Alessandro B. Duarte's Manuscript ''On the Rule of Substitution for Functions in Begriffsschrift''

先日、次の文献を拝読致しました。

  • Alessandro Bandeira Duarte  ''On the Rule of Substitution for Functions in Begriffsschrift,'' Manuscript, September 5, 2011,
  • Alessandro Bandeira Duarte  ''Frege May Have Been a Neo-Fregean,'' Manuscript, August 9, 2011.

Alessandro B. Duarte さんについては、私は最近まで存じ上げておりませんでしたが、このあいだ、次の新刊を読み、

  • Gregory Landini  Frege's Notations: What They Are and How They Mean, Palgrave Macmillan, History of Analytic Philosophy Series, 2012,

ここで氏のことを初めて知りました。この本では氏のことが高く評価されています。そのような訳で、氏の上記二文献を拝読致しましたところ、個人的に大変興味深く感じましたので、これらの文献の内容を以下に記してみたいと思います。

まずは、最初の二文献のうちの前者です。これら二文献のうちの後者は可能であれば後日、記したいと思います。そして原則的に後者を参考にせず、前者の感想を記すことにします。なお、前者の文献は長さも大変短く、書かれている内容も極々平易なものですが(後者の文献も短めで、ほとんど平易です)、この前者に対する以下の感想は、私のごく個人的な感想であり、充分推考した結果を書き記している訳でもありませんので、間違っている可能性が非常に高いため、決して鵜呑みにせず、批判的な目で見ていただくようにお願い致します。繰り返しますが、絶対にどこか間違っているはずですから、真に受けないようにしてください。あらかじめ、含まれている間違いに対し、お詫び申し上げます。加えて申しますと、以下の感想には、私の original な考察はほとんど含まれていないことを、ここに記しておきます。また上記二文献は、氏の home page を通し、無料で閲覧可能になっています*1

  • Alessandro Bandeira Duarte  ''On the Rule of Substitution for Functions in Begriffsschrift,'' Manuscript, September 5, 2011.

さて、この論文が扱っている the rule of substitution (RS) ですが*2、これは、ある記号に、ある記号を代入するという操作に関する規則です。あるいは、ある記号を、ある記号に書き換える際の規則のことです。辞書の一般的な定義を見て確認してみましょう。

substitution, rule of a rule of inference in formal systems: [ ... ] a rule which allows for uniform replacement of a sentence-letter by any formula, and of a name-letter by any term. (There is a similar, more complex, rule for predicate-letters.) Replacements of this kind in a valid formula preserve validity; [ ... ]*3

本質的には、記号を入れ替えたり書き換えたりするだけの規則です。例えば 'f(x)' の関数記号 (述語記号) 'f' を、関数記号 (述語記号) 'g' で書き換えて、'g(x)' とすることです。これは瑣末で皮相な規則に映るかもしれません。ただ、上の引用文にもありますように、Duarte 論文でも問題にされている predicate-letters に関する RS は、結構ややこしく、初心者がすぐさま把握できるというものではないと思われます。


RS の詳しい説明は、次を参照してみてください。

  • Alonzo Church  Introduction to Mathematical Logic, revised and enlarged edition, Princeton University Press, Princeton Landmarks in Mathematics Series, 1956/1996, pp. 192-193.

この説明を簡略化したもので、日本語で読めるものとしては、次があります。

  • 杉原丈夫  『数学的論理学』、数学選書、槇書店、1967年、91-94, 99-104, 151ページ。

Church 先生、杉原先生とは別種の説明としては、日本語で読めるものに、次があります。

  • ペー・エス・ノヴィコフ  『記号論理学』、石本新訳、東京図書株式会社、1965年、149-157, 215-216, 220ページ。

最近のもので、日本語により読めるものは、次です。

ただ、戸次先生の説明については、私はちらっと見ただけで、読んではおりません。


Church 先生、杉原先生のご高著にある説明をご覧いただければわかるように、predicate-letters に関する RS は、一読して直ちにわかるというものではないと思います。特に predicate-letters に関する RS が満たすべき二つの条件のうち、二つ目の条件が結構わかりにくいと思います*4。それらの条件の狙いなり目的なりはわかっていても、二つ目のその条件がその狙いなり目的なりに、どのように落とし込まれているのかが、すぐにはわからないと思います。少なくとも私はそうでした。一発でわからないのは、私が初心者だからですが、しかし歴代の名だたる論理学者たちも、この規則に関しては、当初、正確に把握できていた訳ではないようです。初めの頃は、Hilbert, Ackermann, Carnap, and Quine の先生方は、不正確あるいは不十分にしか理解できておらず、Hilbert and Bernay の例の大著の第1巻をもってして初めて正しく規則が書き下されたようです*5。また、この規則はややこしいので、初心者が学ぶのは、充分論理学に習熟してからか、あるいは、そもそもこのような規則をなしにした論理学を学生には教えた方がよいとも Henkin さんは述べており*6、Church さんも、大筋そのことに同意されているぐらいです*7

ということもありますし、the rule of substitution for functions (RSF) を*8、私は自家薬籠中のものとは充分にできていないこともありますから、ここでは RS の説明は上記の諸文献に任せることにして、その一切の説明は省きます。なお、注意すべき点として、上記諸文献にある RS の説明が、そのまま Frege の Begriffsschrift and/or Grundgesetze の system における RS の説明に当てはまるかどうかは、確認を要する事柄だと思います。Frege の system と現代の論理学の system が、まったく同じであるとか、本質的には同じであるとかは、無思慮に即断できないことですので、上記諸文献の RS の説明を、何も考えずに Frege の system に適用することは、かなり危険だと考えられます。特に、上の方で述べた、Landini さんの新刊を読んだ後では、その危険性が実感されます。というのも、Landini さんの件の新刊では、Frege の system と現代の論理学の system が、私たちが通常思うよりもはるかに異なっていると、説得力を持って強調されているからです*9


ここまで、the rule of substitution for functions (RSF) について、comment してきましたが、以下に記します話では、RSF の細部を知らなくても大丈夫ですので、RSF に関する今までの comment は、あまり気にされなくてもよいと思います。


さて、Duarte 論文の内容を、当方で色々と敷衍しながらまとめてみましょう。

Duarte さんによると、Frege は、1879年の Begriffsschrift において、論理主義を目指そうとしていました*10。そこでは普遍的に成り立つ推論規則を使って、算術の定理が証明可能であることを示す予備的考察が行われています*11


Frege によると、いわゆる内容線は、判断可能な内容を表す表現に前置されねばなりません*12。次をご覧ください。

Was auf den inhaltsstrich folgt, muss immer einen beurtheilbaren Inhalt haben.*13


内容線の後に続くものは、常に、判断可能な内容をもたなければならない*14


Frege によると、判断可能な内容とは、真理を問いうる何かだと考えられます*15。次をご覧ください。

Ein Urtheil werde immer mit Hilfe des Zeichens

   ⊢

ausgedrückt, welches links von dem Zeichen oder der Zeichenverbindung steht, die den Inhalt des Urtheils angiebt. Wenn man den kleinen senkrechten Strich am linken Ende des wagerechten fortlässt, so soll dies das Urtheil in eine blosse Vorstellungsver bindung[sic] verwandeln, von welcher der Schreibende nichit ausdrückt, ob er ihr Wahrheit zuerkenne oder nicht.*16


判断は、常に、記号

   ⊢

を用いて表現するものとする。そしてこれは、判断の内容を示す記号または記号結合の左に書かれる。水平な線の左端にある小さな垂直な線を省くと、この判断は単なる表象結合に変わり、[判断の] 書き手は、それを真と認めるか否かについては何も表現しないことになる。*17

この引用文では、'⊢' の左端の垂直な線を省くならば、判断の内容については、それを特段真とは認めないし偽とも認めない、と言っています。この対偶を取ると、判断の内容について、その真理性を問い、表現する場合には、水平な線の左端に垂直な線を書く、ということになります。ここから判断可能な内容とは、Frege にとって真理を問いうる何かだと考えられます。

念のため、1879年刊の Begriffsschrift に近い、1882年発表の文献から、次もご覧ください。

Wenn ich einen Inhalt als richtig behaupten will, so setze ich an das linke Ende des Inhaltsstriches den Urtheilsstrich:


   ⊢ 2 + 3 = 5.*18


もしある内容を真と主張しようと思えば、私は内容線の左端に判断線を付す。すなわち、


   ⊢ 2 + 3 = 5.*19

判断を下して判断線を付すということは、判断の内容を真と認めることだと思われます。ここでも判断の可能な内容とは、Frege にとり、真理を問いうるもののことだとわかります。


Frege によると、真理を問いうるものは、通常、文または式で表されます。Frege は、ある判断を表わす '⊢ A' から、その左端の垂直な線を省いた '− A' について、次のように述べています。

Wir umschreiben in diesem Falle durch die Worte ,,der Umstand, dass“ oder ,,der Satz, dass“.*20


われわれは、このような場合には、「  ということ」あるいは「  という文」という語で書き換える*21

また、次もご覧ください。

Vor den Ausdruck eines beurtheilbaren Inhalts wie 2 + 3 = 5 setze ich einen wagerechten Strich, den Inhaltsstrich, der sich durch grössere Länge vom Minuszeichen unterscheidet:


   − 2 + 3 = 5.*22


たとえば、2 + 3 = 5 のような判断可能な内容の表現の前に、私は水平な線、つまり内容線を付す。これは、かなり長いので、マイナスの記号から区別される。


   − 2 + 3 = 5.*23

これら二つの引用文からわかることは、判断可能な内容の表現は、'2 + 3 = 5' のような、現代で言う式あるいは文だろうということです。なお、Grundgesetze では、この限りではありません。このことは強調しておかねばなりません*24


一方、Frege によると、真理を問い得ないものは、例えば名前で表されると考えられます*25。次をご覧ください。

Nicht jeder Inhalt kann durch das vor sein Zeichen gesetzte ⊢ ein Urtheil werden, z. B. nicht die Vorstellung ,,Haus“. Wir unterscheiden daher beurtheilbare und unbeurtheilbare Inhalte.*26


内容を表す記号の前に ⊢ を書けば、それで、あらゆる内容が判断になる訳ではない。例えば、「家」という表象は判断にはなり得ない。それゆえ、われわれは判断可能な内容と判断不可能な内容を区別する。*27

ここでは判断不可能で真理を問い得ないものとして、家の表象が上げられていますが、「家」という名前に話を移すことができるものと思われます。


ところで、Begriffsschrift における、いわゆる内容の相等性記号 '≡' の両辺には、文や式がきてもよいし、名前がきてもよいことになっています。式に相当するものが内容の相等性記号 '≡' の一つの辺に現われている典型的な例は、Begriffsschrift の定理67 と 68 に見られます。そこでは '≡' の左辺に、いわゆる全称文に相当する式が現れています。一方 '≡' の各辺に名前が現れている例は、Begriffsschrift において、内容の相等性記号をもっぱら解説している §8 Die Inhaltsgleichheit (内容の相等性) に見られます。そこでは 'A' という名前を持った点と、'B' という名前を持った点が、実は同一の点であることを表すのに、

   ⊢ (A ≡ B)

と書き付けられています*28

つまり、Frege によると、内容の相等性記号 '≡' の両辺には、判断可能な内容の表現も(文や式)、判断不可能な内容の表現も(名前)、どちらの表現がきてもよいということです*29。なお、内容の相等性記号 '≡' を現代の同値記号、双条件法記号と見なさないようにお願い致します。正確、厳密には、 内容の相等性記号 '≡' は、同値記号でも双条件法記号でもありません*30


以上の Frege の主張を、ここで列挙しておきます。

    1. 内容線は、判断可能な内容を表す表現に前置されねばならない。(判断不可能な表現に前置されてはいけない。)
    2. 判断可能な内容とは、真理を問いうる何かである。
    3. 真理を問いうるものは、文または式で表される。
    4. 真理を問い得ないものは、名前で表される。
    5. 内容の相等性記号 '≡' の両辺には、判断可能な内容の表現(文や式)、または判断不可能な内容の表現(名前)の、どちらがきてもよい。


さて、Frege は Begriffsschrift で、いくつかの推論規則を陰に陽に使用しています。陰に使用している推論規則に、the rule of substitution (RS) があります。そしてこの規則の一つに the rule of substitution for functions (RSF) があります*31。Frege は Begriffsschrift で証明を遂行する際に、しばしば証明図の左側に縦長の線を引き、その両側に記号を書き付けていますが、この縦長の線とその両側の記号が RS に当たります。


Duarte さんが指摘する、Begriffsschrift 内での RSF の問題点ですが、それは Frege が Begriffsschrft で実際に行っている定理75の証明の際に、露わになってきます*32。なお、Tex / Latex の詳しい知識か、Frege の Begriffsschrift 記法の soft がないと、定理75がどのような式なのかを正確に記すことはできませんので、ここではその定理の正確な表現は提示致しません。詳細は Begriffsschrift をご覧ください。閑話休題。Frege は定理75を証明する際に、公理52を利用しています。この公理は現代の記法を加えて書きますと、次の通りです。

    • 公理52 ⊢ ( c ≡ d ) → ( −f(c) → −f(d) ).


'⊢' の横棒、'−f' の横棒は、いずれも内容線、式中の矢印は条件法記号です。この公理52を利用した定理75の証明において、Frege は the rule of substitution for functions (RSF) を使用しています。具体的には次のような感じになります*33


Frege は

    • 公理52 ⊢ ( c ≡ d ) → ( −f(c) → −f(d) )


の c に Γ を、d に Δ を代入しています*34。すると以下になります。

    • ⊢ ( Γ ≡ Δ ) → ( −f(Γ) → −f(Δ) ).


この後、Frege は、f(Γ) を Γ に、f(Δ) を Δ に書き換えています(ここで実質的に RSF が使用されています。)。すると、こうなります。

    • ⊢ ( Γ ≡ Δ ) → ( −Γ → −Δ ).


この時、Frege が f(Γ) を Γ に、f(Δ) を Δ に書き換えているのは、彼が f を恒等写像と見なしているからだと思われます*35

今、I を恒等写像とするならば、任意の Γ に対して、

    • I(Γ) = Γ


が常に成り立ちます。こうして Frege が f(Γ) を Γ に書き換えるのは、f に I を代入し(ここで RSF を使用)、できた I(Γ) の値は常に Γ になるので( I(Γ) = Γ )、I(Γ) の I を略して Γ としているものと思われます。こうして先のように

    • ⊢ ( Γ ≡ Δ ) → ( −Γ → −Δ )


となる訳です。


ところでこの式の前件の Γ と Δ には、しばらく前に確認しましたように、式はもとより、名前が入ることも許されるのでした。今、n, m を名前としましょう。すると

    • ⊢ ( n ≡ m ) → ( −n → −m )


は、Begriffsschrift で well-formed なはずです。しかし、後件内の −n と −m は well-formed ではありえません。と言うのも、内容線 '−' は、判断可能な式に前置されねばならないのに、ここでは判断不可能な名前 n, m に前置されてしまっているからです*36


以上が示していることは、次のようなことだと思われます。Begriffsschrift における the rule of substitution for functions (RSF) が、所定の条件を満たす状況で使用された時、つまり RSF に課せられた適用条件を満たしつつ、well-formed な表現に適用された時、いつでも well-formed な表現を結果するとは限らない、ということです。端的に言えば、Begriffsschrift においては、RSF が普遍的には成り立っていない、ということです。所定の条件下で、普遍的に成り立つことが論理的な規則には求められると思われますが、しかし、Begriffsschrift では、普遍的に成り立って当然と思われる RSF が、おそらく Frege の意に反し、Begriffsschrift 執筆当時は彼に気付かれないまま、その普遍性を欠いている、ということです。つまり、Begriffsschrift の RSF は、論理的な規則の条件を満たしていない、ということです。これは Frege にとって、論理主義遂行の障害になると思われます。なぜなら、算術の定理を論理的な規則のみで導出しなければならないのに、論理的でない規則を Frege は使ってしまっていることになるからです。これが Duarte さんの指摘する、Begriffsschrift 内での RSF の問題点です*37


では、どのような方向を取りながら修復を試みればよいでしょうか。障害の原因は、おそらく RSF か、内容線 '−' か、内容の相等性記号 '≡' にあるものと推測されます。そしてどうやら Frege は、少なくともこのうちの後の二者に手を付け、改変、深化、発展させることを試みたのではないかと思われます。

RSF が Begriffsschrift において、普遍的には成立しない理由は、内容線に後置される argument place が、真理を問いうる判断可能な内容を表した表現しか受け付けないことにあります。この「欠陥」故に Begriffsschrift では RSF が普遍的には成立しません。普遍的に成り立って当然とも思える RSF に、その普遍性を回復すべく、内容線の後にくる argument place に、真理を問い得ない内容を表した表現をも許容するよう内容線を拡張せしめたのが Grundgesetze の水平線です。この水平線は、その入力値として、真でも偽でも、どちらでも許容するとともに、真偽以外でも、つまり真理値以外でも許容するのは周知の通りです。RSF を普遍的に成立せしめるべく、普遍性欠如の因って来たる原因としての内容線の機能を、その拡張された水平線へと改変したのは、Frege が Begriffsschrift の論理体系に満足せず、Grundgesetze の論理体系へと再構築を果たした、少なくとも一つの要因を成していると考えることができます*38

これとともに Frege は、内容の相等性記号 '≡' も、改変、深化、発展させたものと思われます。この記号の両辺に、名前でも式でもどちらでもきてよいとしたままで、あるいは元々名前ではない式や文が '≡' の各辺にくる場合は、式や文をまず文基 (Satzradikal) と解し、この文基の名前が '≡' の各辺にくるのだとすることで、'≡' の両辺に置かれるのはすべて名前であると統一化を図りつつ、その上で、'≡' の両辺の表す判断可能な内容について、1879年以降、細かな腑分けをも試みたのではないかと推測されます*39。この結果、'≡' の両辺にくる表現がいみしているのは、Sinn und Bedeutung だとして、いみを細分化し、このことにより、'≡' を数学でも使う通常の等号 '=' に切り替えることが可能になったのだろうと思われます*40


ここで、私たちが今取り組んでいる Duarte 論文の、私が最も重要と考える考察、洞察は、Begriffsschrift 体系から Grundgesetze 体系への Frege による移行、発展の、少なくともその一つの要因に、今まで述べてきたことと関係のある、内容線 '−' や内容の相等性記号 '≡' の不備の克服があったのではないか、という推察です。少なくとも、内容線 '−' や内容の相等性記号 '≡' の不備の克服のために、Frege は Begriffsschrift の論理体系に満足せず、Grundgesetze の論理体系へと前進したのではないか、ということです*41

加えて、同様に重要と思われる考察、洞察は、Frege による Sinn und Bedeutung といういみの区別が、単に言語哲学的観点からなされたのみならず、内容線 '−' や内容の相等性記号 '≡' の不備の克服を駆動因として、そのような区別が導入されているのではないか、という推察です。ともすると私たちは、Frege を現代の言語哲学の祖として第一に捉え、そのつもりで ''Über Sinn und Bedeutung'' を読むことがあるかと思いますが、そうすると、この ''Über Sinn und Bedeutung'' を Frege の論理主義の中にどのように位置づければよいものか、俄かにはわかり難くなります。ただ哲学的な理由だけから Sinn und Bedeutung といういみの区別が持ち込まれたのではなく、論理的な問題点を乗り越え解決するために持ち込まれたとするならば、その必要性、必然性を、論理主義の文脈の中で、より容易に理解できることになるとともに、より説得力が増すものと思われます。Hegel が述べたように哲学の歴史は阿呆の画廊ではないとしても、哲学的理由のみでは説得されない人々も、その論理的必然性による説明を聞かされたならば、いくらか説得されることもあるのではないかと考えられるからです*42


ここまで私たちが取り組んできた Duarte 論文では、一見瑣末に見える the rule of substitution for functions (RSF) の適用障害から、Frege の論理学の発展と、その論理学のいみの理論の進展が、論理学上の、いわば小さな問題の克服により生じていることが示唆されているという点で、重要な論文であるように思われます。哲学的にそれらの発展、進展を云々するだけでは、阿呆の画廊に新たな絵画を陳列するだけに終わってしまう可能性がありますが、論理学的観点から、Frege にとっては必然的にそれらの発展、進展が行われているとするならば、私にとってはそのような説明に、とても魅力と説得力を感じるのです。あるいは、些細と見える the rule of substitution for functions (RSF) の、その小さな適用障害が、本当に Grundgesetze 体系への発展や、Sinn und Bedeutung の導入のきっかけになっているかどうかは少なくとも別にしても、現代の通常の論理学にはない内容線なるものが、Frege の論理体系において、無視できないものであることは、以上の話から、いくらかおわかりになられたかと思います*43。内容線を持たない、私たちが通常学ぶ論理学を使って Frege の論理体系を理解しようとすれば、その体系の重要な側面が抜け落ちてしまうことが、以上の簡単な話から、おわかりになられたのではないかと思います。


追記

上で私たちが取り組んできた Duarte 論文ではまったく触れられていない事柄を一つ、記します。

The rule of substitution for functions (RSF) は、Comprehension Principle (CP) に同値であることが知られています*44Begriffsschrift における RSF が、Duarte さんの述べるごとく、Begriffsschrift において普遍的には成立しないとするならば、 RSF に同値な CP も Begriffsschrift においては普遍的には成立しないということになるのでしょうか。言い換えると、Begriffsschrift において RSF が、いわば trouble を抱えているならば、それに同値な CP も trouble を抱えているということになるのでしょうか。単に記号を代入するという一見自明に見える RSF も、Russell Paradox 以前なら成り立って当然と思える CP も、それらの自明さ、当然さにもかかわらず、Begriffsschrift においては、普遍的には成立していない、このことを Duarte さんは間接的にであれ、指摘していることになるのでしょうか。後々 CP が Russell Paradox という trouble を引き起こすことが判明しますが、既に Begriffsschrift において CP に同値である RSF がtrouble を起こしているということは、CP が Russell Paradox という trouble を引き起こしてしまう前触れを表しているのでしょうか。個人的には、Begriffsschrift で RSF が普遍的に成立しないとしても、RSF に同値な CP までも Begriffsschrift においては普遍的には成立していないということにはならないと思いますが…。なお、件の Duarte 論文では、RSF が CP に同値である云々という話は一切出てきていません。


以上の話に対し、誤解や無理解や勘違い、激しい間違いがありましたらお詫び申し上げます。誤字、脱字の類いに対しても、お詫び申し上げます。大変すみません。どこか間違っているはずですので、そのまま受け取らず、一旦ご自分でお考えになられた上で、取るべきものは取り、捨てるべきものは捨てていただきますようお願い致します。

*1:http://ufrrj.academia.edu/AlessandroDuarte

*2:以下、本文ではこの規則を 'RS' と略記しますが、わかりやすさを考慮して、時に略記しないこともあります。

*3:Thomas Mautner ed., The Penguin Dictionary of Philosophy, 2nd ed., Penguin Books, Penguin Reference Books Series, 2005, p. 601.

*4:Church 先生の本では、条件の (2), 杉原先生の本では、条件の (エ) のことです。

*5:Church, Introduction to Mathematical Logic, pp. 289-290.

*6:Leon Henkin, ''Banishing the Rule of Substitution for Functional Variables,'' in: The Journal of Symbolic Logic, vol. 18, no. 3, 1953, p. 201.

*7:Alonzo Church, ''Review: Leon Henkin, Banishing the Rule of Substitution for Functional Variables,'' in: The Journal of Symbolic Logic, vol. 20, no. 2, 1955, p. 179.

*8:本文で表記の通り、以下でこの規則を 'RSF' と略記しますが、わかりやすさを考えて、しばしば略記しないこともあります。

*9:当日記、2012年7月15日、項目 'Why Did Frege Need Judgement Strokes and Horizontal Strokes in his Grundgesetze der Arithmetik?' を参照ください。

*10:Begriffsschrift の当時から、Frege が論理主義を目指していたのかについては、異論があるようですが、今は問わないことにしておきます。

*11:Duarte, ''On the Rule of Substitution for Functions ..., '' p. 1.

*12:Duarte, p. 2. および同ページの脚註2.

*13:Gottlob Frege, Begriffsschrift und andere Aufsätze, Zweite Auflage, Mit E. Husserls und H. Scholz' Anmerkungen, herausgegeben von Ignacio Angelelli, Olms, 1993, S. 2. 斜体は Frege 本人によります。また、Frege の書いている単語のつづりは、現代の標準的なつづりと異なることが、たびたびあります。例えば、Frege は 'Urteil' を 'Urtheil' と、しばしば書いています。そこでそれを逐一 'Urtheil[sic]' という具合に注記していると煩雑極まりないので、そのような注記は原則的に一切省きます。以下同様。

*14:G. フレーゲ、「概念記法 −算術の式言語を模造した純粋な思考のための一つの式言語」、藤村龍雄訳、藤村龍雄編、『フレーゲ著作集 1 概念記法』、勁草書房、1999年、11ページ。太字は邦訳原文のままです。

*15:Duarte, p. 2.

*16:Frege, Begriffsschrift, SS. 1-2. 斜体は Frege によります。引用文の '⊢' は、原文では '−' となっていて、左端の縦線が欠けています。脱落と考えられるので、縦線を補っています。なお、横線 '−' は、原文ではもっと横長ですが、便宜上、短いまま引用し、左端に縦線を補っています。これらのことに関しては、フレーゲ、「概念記法」、11-12ページに記されている訳註*2を参照。

*17:フレーゲ、「概念記法」、10-11ページ。太字と「[判断の]」は、邦訳書原文にあるままです。

*18:Gottlob Frege, ''Ueber den Zweck der Begriffsschrift,'' in seiner Begriffsschrift und andere Aufsätze, Zweite Auflage, Mit E. Husserls und H. Scholz' Anmerkungen, herausgegeben von Ignacio Angelelli, Olms, 1993, S. 101. この文献の表題は、'Über' ではなく、ドイツ語原文においては 'Ueber' となっています。引用文における '⊢ 2 + 3 = 5' の内容線である '−' が、あまり横長ではありませんが、横長の線が利用できませんので、便宜上、短めの水平な線で代用しておきます。以下同様。

*19:G. フレーゲ、「概念記法の目的について」、藤村龍雄、大木島徹訳、藤村龍雄編、『フレーゲ著作集 1 概念記法』、勁草書房、1999年、217ページ。

*20:Frege, Begriffsschrift, S. 2. 斜体は Frege によります。

*21:フレーゲ、「概念記法」、11ページ。太字は邦訳原文の通りです。邦訳原文では「「− ということ」あるいは「− という命題」」となっていますが、ここに現われている「−」という表現に関する紛らわしさを回避し、ドイツ語原文の 'Satz' をより直截な「文」という言葉に置き代えて引用しています。また、ここの邦訳では、「書き換える」しか太字になっていません。

*22:Frege, ''Ueber den Zweck der Begriffsschrift,'' S. 101. 内容線があまり長くないのは、ここだけの便宜上のことです。

*23:フレーゲ、「概念記法の目的について」、217ページ。内容線があまり長くないのは、ここだけの便宜上のことです。

*24:See Gregory Landini, Frege's Notations: What They Are and How They Mean, Palgrave Macmillan, History of Analytic Philosophy Series, 2012, 当日記、2012年7月15日、項目 'Why Did Frege Need Judgement Strokes and Horizontal Strokes in his Grundgesetze der Arithmetik?' を参照。

*25:これに関連することとして、see Duarte, p. 7, n. 10.

*26:Frege, Begriffsschrift, S. 2. 斜体は Frege によるものです。

*27:フレーゲ、「概念記法」、11ページ。太字は邦訳原文のままです。

*28:Frege, Begriffsschrift, S. 15, フレーゲ、「概念記法」、29ページ。

*29:Duarte, p. 3. Also see Landini, Frege's Notations, p. 44.

*30:Duarte, p. 6, n. 9. 細かいことを言いますと、論理的同値関係と必要十分条件は、厳密には一応別物であり、両者を混同してはなりません。これは簡単なことなのですが、説明し出すと話が逸脱して行きますので、ここでは致しません。次を参照ください。W. V. Quine, Methods of Logic, 4th ed., Harvard University Press, 1982, pp. 49-51, 66-67, W. V. O. クワイン、『論理学の方法』、原書第3版、中村秀吉、大森荘蔵、藤村龍雄訳、岩波書店、1978年、46-48, 63ページ。

*31:Duarte, p. 4.

*32:Duarte, pp. 5-7. 定理75の証明の際に RSF のある使用例が見られるのですが、同様の使用例は Begriffsschrft における別の証明の際にも、いく度か現れています。私が気付いた限りでは、定理89, 100, 105の証明の際に同じような使用例が見られます。

*33:「感じ」と言っているのは、定理75を、先ほど述べた理由により、正確にそのままここで表現できないためです。

*34:以下、引用符 ' ' を適宜省きます。また、c と d に代入されるのは、実際にはもっと複雑な表現なのですが、先ほどから述べている通り、ここではそれを正確に再現できませんので、Γ と Δ で代用しています。このような代用は、この後の議論に対し、本質的な影響を与えることはありません。

*35:Duarte, p. 5, n. 7. Duarte さんはこの脚注7で、'identity mapping' という言葉は使っておられませんが、事実上、f が恒等写像に当たることを指摘されています。なお、この脚注7に現われている 'Γ' は、'f' の間違いだと思われます。

*36:Duarte, pp. 6-7.

*37:Duarte, p. 7.

*38:See Landini, Frege's Notations, p. 43. ここでは、内容線が水平線に改変されたことは、Frege の算術の哲学の発展にとって、中心的な重要性を持つ、と指摘されています。

*39:Duarte, p. 7, n. 13.

*40:内容線 '−' や内容の相等性記号 '≡' の不備の克服が、Frege による Sinn und Bedeutung といういみの区別の導入のきっかけになっているという話は、この日記項目の最初でも触れた Alessandro Bandeira Duarte, ''Frege May Have Been a Neo-Fregean,'' Manuscript, August 9, 2011 において、もう少し踏み込んで論じられています。この paragraph の話は、今言及した8月9日の Duarte 文献を参考にして書いています。

*41:Duarte, p. 7, n. 13. この註で、Duarte さんは、私が今述べたほど明確なことは述べておられませんが、私が今述べたようなことを思わせる示唆を、記しておられます。一つ前の脚註も参照願います。

*42:Duarte, p. 7, n. 13. この註で、Duarte さんは、やはり私が今述べたほど明確なことは述べておられませんが、私が今述べたようなことを思わせる示唆を、記していると考えられます。内容線 '−' や内容の相等性記号 '≡' の不備の克服が、Frege による Sinn und Bedeutung といういみの区別の導入のきっかけになっているという話は、Duarte, ''Frege May Have Been a Neo-Fregean,'' において触れられており、それを参考にして、この paragraph を書いています。

*43:ただし、P. Martin-Löf の Intuitionistic Type Theory には、内容線に相当する表現があるとする指摘が、岡本先生によってなされています。岡本賢吾、「「命題」・「構成」・「判断」の論理哲学 フレーゲ / ウィトゲンシュタインの「概念記法」をどう見るか」、『思想』、岩波書店、no. 954, 2003年、10月号、167ページ以下の第三節。次にも再録。日本科学哲学会編、野本和幸責任編集、『分析哲学の誕生 フレーゲラッセル』、科学哲学の展開 1、勁草書房、2008年、154ページ以下の第3節。

*44:次の諸文献を参照してください。George Boolos, '' Reading the Begriffsschrift,'' in: Mind, vol. 94, no. 375, 1985, p. 337, and in William Demopoulos ed., Frege's Philosophy of Mathematics, Harvard University Press, 1995, p. 171, and in George Boolos, Logic, Logic, and Logic, Richard Jeffrey ed., Harvard University Press, 1998, pp. 161-162. Also see Edward N. Zalta, ''Frege's Logic, Theorem, and Foundations for Arithmetic,'' in the Stanford Encyclopedia of Philosophy, 1998 / 2012, Section 1.3 The Rule of Substitution and Section 1.4 The Theory of Concepts, Richard G. Heck Jr., ''A Logic for Frege's Theorem,'' in his Frege's Theorem, Oxford University Press, 2011, p. 279, n. 26, 田畑博敏、『フレーゲの論理哲学』、九州大学出版会、2002年、105ページ、註14。