書店店頭で次の新刊を手に取ってみました。
- 足立恒雄 『新版 楽しむ数学10話』、岩波ジュニア新書 729, 岩波書店、2012年
そして、この本の前書き「はじめに」の冒頭に、以下のように書かれていました。
中学校では未知数を x であらわし、文字を使った等式や不等式を扱うようになりますが、それは、その結果小学校で覚えた鶴亀算などの技法をまたたくまに忘れてしまうほど、便利で強力な道具です。また日常生活でも「このことを A とあらわすと」というように、命題を文字であらわすことを平気でやります。しかし、数学や論証において文字を使うのは昔からあった手段ではありません。たとえば、古代ギリシアに書かれたエウクレイデス (英語圏ではユークリッドと呼ばれています) の『原論』では、未知数といった考え方はいっさい出てきません。*1
私には、これはとても意外に感じられました。足立先生は、本書本文の38ページで、「数学で未知数に x, y, z, ... などの文字が使えなかったら、どんなにか不便でしょう。」と述べておられるのを見ましても、上記引用文「はじめに」冒頭の未知数 x は、いわゆる variable のことだと思われます。このような variable が、Euclid の Elements では使われていないとおっしゃっておられます。さらに上記引用文では、その文中に「論証」という言葉が出てきていることから、Euclid の当時の論理学においても、variable が使われていなかった、ということが、暗に述べられているような印象を私は受けました。実際、本文の52ページで、その種のことが書かれていると読めます。
私が上記引用文に対し、大変意外に感じられたのは、当時の論理学において、variable が使われていなかった、ということが述べられているような印象を受けたことにあります。私の理解では、当時の論理学である Aristotle の syllogistic/syllogism では、variable が使われていた、と思っていました。ちなみに Aristotle の生没年は 384-322 BC と考えられ、Euclid が生きたのは 300 BC 頃としばしば考えられています。ただし 250 BC 前後の方が妥当であろうとの意見もあります*2。
意外に思ったり、疑問に思ったりしながら、足立先生のこのご高著を購入し、家に帰って、手近にある以下の本を開いてみました。
- Jan Łukasiewicz Aristotle's Syllogistic: From the Standpoint of Modern Formal Logic, Second Edition, Oxford University Press, 1951 / 1955.
その7-8ページに、次のようにあります。Łukasiewicz さんが付している註は省いて引用してみます。
§4 Variables
In Aristotle's systematic exposition of his syllogistic no examples are given of syllogisms with concrete terms. Only non-valid combinations of premisses are exemplified through such terms, which are of course universal, like 'animal', 'man', 'horse'. In valid syllogisms all terms are represented by letters, i.e. by variables, e.g. 'If R belongs to all S and P belongs to some S, then P belongs to some R'.
The introduction of variables into logic is one of Aristotle's greatest inventions. It is almost incredible that till now, as far as I know, no one philosopher or philologist has drawn attention to this most important fact. I venture to say that they must all have been bad mathematicians, for every mathematician knows that the introduction of variables into arithmetic began a new epoch in that science. It seems that Aristotle regarded his invention as entirely plain and requiring no explanation, for there is nowhere in his logical works any mention of variables. It was Alexander who first said explicitly that Aristotle presents his doctrine in letters, στοιχεîα, in order to show that we get the conclusion not in consequence of the matter of the premisses, but in concequence of their form and combination; the letters are marks of universality and show that such a conclusion will follow always and for any term we may choose.
また、次の本には、
- J. M. ボヘンスキー 『古代形式論理学』、岩野秀明訳、論理学古典選集 2, 公論社、1980年、
その63-64ページに、以下のようにあります。
[三段論法に関する] これらの記述はたいてい変項を利用して [Aristotle によって] 述べられる。実際アリストテレスは、ここで史上はじめて形式論理学的法則の体系を展開したのである。しかしながらアリストテレス自身は、三段論法と、のちに三段論法の式 ( τρόπος ) と呼ばれるもの、すなわちそれに代入をほどこしたものが三段論法となる形式的法則、とを区別していない。つねに「三段論法」についてのみ語る。アリストテレスは変項を発見した。しかしそのテキストそのものが、名前の省略としての文字が変項に変わる過程の遅々たることを示している。それにもかかわらずアリストテレス自身は変項を扱っていることに少しも気付かないかのように見える。
足立先生は、これらの主張が存在することをご存じでありながら、それでもこれらの主張は間違っているので考慮されず、その結果、上記のような先生の引用文が書かれたのでしょうか。これらのことに関連することとして、本文で先生は次のように述べておられます。引用文中に付されている註は、引用者によるものです。
三段論法、背理法といった論証法を整備したのはアリストテレスをはじめとするギリシアの哲学者たちでしたが、そこでは命題に文字をあてることはされていません。「ソクラテス」は「人間」である、といったふうに個々の概念を例にとって考えるわけです。一種の準一般的方法ですね*3。現在なら、「A ならば B である」というような表現はそうむずかしいことでもないのですが、こういう一般概念 (命題) に文字 (命題変数) を使った最初の人が誰あろう、ライプニツその人です。*4
どうやらここでは、Aristotle は variable を使用していなかった、と読めるように思われます。ただ、この引用文は、正直に言いますと、最初に読んだ時、何を言おうとされているのかわからなくて困りました。どのように解釈すればよいのか、わからなかったのです。四回か五回ぐらい、困惑しながらじっくり読み返してみて、初めて理解できました。私の理解を阻んでいたのは、この引用文中で先生が言っておられる命題というものと、私が理解している命題というものとが、まったく異なっていることにありました。私が勉強している分析哲学や哲学的論理学の分野では、「命題」という言葉は、文か、文が表していることをいみしています。概念のことを「命題」と言ったり、概念を一般的に表す文字のことを「命題変数」とは、通常言いません。そのようなことを言っている方に私は今まで出会ったことがありませんでした。ところがどうも先生は、引用文中に「こういう一般概念 (命題) に文字 (命題変数) を使った最初の人が […] 」と言っていることからもわかるように、「命題」という言葉で概念のことをおっしゃっておられるようです。このように解さないと、先生の上記引用文を整合的に理解することは、多分できないように思われます。そこで先生の引用文中にある「命題」という言葉を「概念」という言葉に変え、その他に修正、追加を施して引用し直せば、次のような感じになるのではないかと思います。'[ ]' を使っているところが、私による修正です。
三段論法、背理法といった論証法を整備したのはアリストテレスをはじめとするギリシアの哲学者たちでしたが、そこでは [概念] に文字をあてることはされていません。[「A は B である」というように、概念を表す記号として 'A', 'B' などを利用するのではなく、「ソクラテスは人間である」、といったふうに個々の個体や] 概念を例にとって考えるわけです。一種の準一般的方法ですね。現在なら、「A [は] B である」というような表現はそうむずかしいことでもないのですが、こういう一般概念 […] に文字 ( [概念の変項] ) を使った最初の人が誰あろう、ライプニツその人です。
Leibniz が最初なのでしょうか。Aristotle は variable を使っていなかったのでしょうか。私は Leibniz にも、Aristotle にも不案内ですし、数学史にも論理学史にも通じていませんので、足立先生が正しいのか、Łukasiewicz さんや Bocheński さんが正しいのか、よくわかりません。Point は、足立先生もおっしゃっているように、何らかの文字が単に一般性を表しているだけでなく、代数学でなら、その文字が演算において本質的に利用されているということが、variable であるためには重要です*5。論理学でなら、その文字が論証や証明において、本質的に利用されているということが、variable であるためには重要だろうと思われます。しかし、本質的に利用されているというのは如何なることなのか、それを考えると私にはちょっと難しいです。すぐさま、すらすらとは残念ながら答えられません。何にしても、variable というものは、なかなか難しいと思います。それは、一般性や存在や量化にかかわり、これらをものにして、自覚的に自由に扱うことができるようになったのは、おそらく Peirce (O. H. Mitchell) や Frege を待たねばならなかったのでしょう。Russell も variable が何であるのか、理解するのに苦慮していたと記憶しています (Principia では、その苦心の跡が見て取れます。)。それに述語変項に代入することを自由に許すことは、問題含みの Comprehension Principle と同値なのでした。これらのことを考えると、variable というものは、結構難しいものなのだろうと思います。Variable がいつ、誰によって論理学や数学に導入されたのか、今は忙しくて調べたり考えたりしている間がないので、またそのうち検討できればと思います。
本日の記述に対し、間違いがありましたら謝ります。足立先生に対して誤解しておりましたら謝罪し、訂正致します。大変すみません。何卒お許しください。