論文等

  • Stewart Shapiro  ''Higher-Order Logic or Set Theory: A False Dilemma,'' in: Philosophia Mathematica, vol. 20, no. 3, 2012
  • Roy T. Cook  ''[Review of] Richard G. Heck, Jr. Frege's Theorem. Oxford: Clarendon Press, 2011.,'' in: Philosophia Mathematica, vol. 20, no. 3, 2012
  • Gregory Landini  ''Zermelo and Russell's Paradox: Is There a Universal Set?'' forthcoming in Philosophia Mathematica


洋書

  • Richard G. Heck, Jr.  Reading Frege's Grundgesetze, Oxford University Press, 2012
  • Dieter Schott Hg.  Gottlob Frege: Ein Genius mit Wismarer Wurzeln: Leistung - Wirkung - Tradition, Leipziger Universitätsverlag, 2012
  • Gregory Landini  Frege's Notations: What They Are and How They Mean, Palgrave Macmillan, History of Analytic Philosophy Series, 2012
  • Mélanie Frappier, Derek H. Brown, and Robert DiSalle eds.  Analysis and Interpretation in the Exact Sciences: Essays in Honour of William Demopoulos, Springer, The Western Ontario Series in Philosophy of Science, vol. 78, 2012
  • Maria Baghramian ed.  Donald Davidson: Life and Words, Routledge, 2012

Heck さんの本は、ご自身の既刊の諸論文に基付いて書かれていますが、加筆、修正が多数施されているようです。Heck さんの論文の多くをお持ちの方も、それらの論文とは別に、本書も確保されておいた方がよいと思います。
Schott さん編集の本は、その後半で Wismar の Frege について論じられている論文が複数入っており、珍しく、貴重であるように思います。写真もそこそこ掲載されており、私の知っている写真もあれば、今回初めて目にする写真もあります。日本の地方を扱った本の中には、その地方の偉人を讃えるような本があると思いますが、本書はそのような偉人を顕彰するような雰囲気をいくらか持っている本みたいに感じられます。また、巻末の文献表は、短いものではあるものの、そこを見ると Frege を主題的に扱った本で私の知らない本が Wismar から最近いくつか出ている様子であることを、今回初めて知りました。まったく知りませんでした。割と Frege 関係の本は check するように努めていますが、これらの本は全然知りませんでした。Amazon.de でも Amazon.jp でも Amazon.com でも hit しない本です。Webcat にも出てきません。商業ベースの本ではないのかもしれないです。あるいは一応商業ベースだが、広く販売しているものではないのかもしれません。また後日、詳しく調べてみて、入手可能なら確保してみようと思います。
Landini さんの本は既に入手して読みました。とても興味深く、既に入手している本は、あれこれ書き込んで勉強するために使い、これとは別に保存用としてもう一冊注文し、入手しました。
Frappier さん他編の本には、Frege についての関心を引く研究論文がいくつか収められているので購入。
Baghramian さん編集の Davidson 本は、何となく興味を感じられたので購入。本書は三部構成で、第一部では Davidson をご存じの方々16名が思い出話を語っています。第二部は Davidson さんの哲学を分析している論文から成っています。第三部は Davidson さんの論文が一本掲載されています。この本は元々 International Journal of Philosophical Studies に載った諸論文等を基に編集されています。第二部はすべて今述べた journal からの転載です。2006年の vol. 14, no. 3 では、Davidson 特集が組まれており、そこから多くの論文が今回の編集本に転載されています。第三部の Davidson さんの論文も同様に転載もので、1995年、vol. 5, no. 1 に載った論文を再録しています。第一部の思い出話のうち二つ、T. Burge さんと R. Rorty さんの話は、2006年の vol. 14, no. 3 における Davidson 特集からの転載ものです。という訳で、この編集本は International Journal of Philosophical Studies に載っていた文献が多く含まれますので、この journal を持っている方や、この journal を大学の home page から internet で閲覧できるという方、あるいは大学の図書室に冊子体が揃っているという方は、ぜひとも購入しなければならない、というほどではないかもしれません。ただ、先の journal のいくつかの号に分散して載っている論文等が一書にまとまっているという点で便利ですし、第一部の Burge さん、Rorty さん以外の思い出話は、今回初出のようで、しかもそれら思い出話の中には有名な先生の思い出も多数含まれており、さらに Davidson さんの奥さんの手になる思い出話や、Davidson さんのただ一人のお子さんである娘さんの思い出話も入っていますので、貴重かもしれません。この娘さんの話は、後日、この日記上で一部を紹介しようかと考えています。


和書等

少し前に、

という本を拝読させていただき、とても面白く感じられました。確か、この本に今回購入した『量子という謎』の出版予告が書かれていたと思います。それで、『量子という謎』が出たら購入しようと思っていました。量子力学の哲学を本格的に勉強しようという訳ではありませんが、購入しておきました。『量子という謎』は中級の入門書のようで、中級の入門書はほとんどないようですので、貴重かもしれません。そしてこの『量子の謎』の各章章末に載っている文献案内を見ると、小澤正直先生の不等式について、一般向けにやさしく解説した本に、上記の石井先生の『ハイゼンベルクの顕微鏡』というものがあることを教えられました。この本も店頭に並んでいたので、合わせて購入しておきました。
現代思想の半世紀弱を振り返る今回購入の『現代思想』では、飯田隆先生が「専門化する哲学の行方 分析哲学の現状と展望」と題して短い文章を寄せられており、そのことから今回の号を購入。早速一読してみて考えさせられました。物理学や数学ほどではないにしても、それに近い形で分析哲学も専門化が進行しており、その問題と現状に対する感想が述べられています。飯田先生のお考えでは、ある程度、哲学の専門化は、やむを得ないところがあるが、一方、哲学という営みは専門家だけの専門的知識であってはならない面がある、とのことです。(このあたり、Wittgenstein の強い影響を感じさせられます。) そして分析哲学における専門化の現状は、その専門化の度合いについて目をみはるものがあるものの、実際はそれほどのものではないとのことです。というのも、哲学の専門的な議論も、哲学の専門家ではない人がきちんと考えることの延長上にあるもので、現在の専門化された分析哲学の専門的議論も、数学や物理学と違って、きちんと考えて行けば理解の到達できる類いのものであり、そのいみで専門的議論ではあっても、まったく専門的とも言い得ないのだ、とのことのようです。現在の分析哲学の中では、その「ほとんどすべてが」今述べたいみで哲学の範疇内にあり、その専門化が激しく進行し、まったく専門的になってしまって、哲学を越えてしまっているものは、ほとんどない、というのが先生のご意見のようです。拝読して「なるほど」と考えさせられましたが、よくわからないところもありました。専門化が分析哲学の中では進行しているが、その「ほとんどすべてが」まだ哲学の中にとどまっているとのお話です。私が知りたいと思いましたのは、哲学の中にとどまることをやめて、哲学を越え出てしまったものには何があるのか、ということです。「ほとんどすべて」がまだ哲学の中にとどまっているとのことですが、そうすると一つか二つは哲学から出て行ってしまったものがあるということだと思います。それは一体何なのか、先生はそれらの例として具体的に何を念頭に置かれているのか、それらの例が先生の文章には書かれていませんでしたので、それらを教えていただければ、より先生の主張がくっきりと像を結んだように思います。例えば、元々分析哲学の中にあったけれど、それを越え出て行って、哲学であることをやめてしまったものの例には、哲学的論理学のいくつかがあったであろうと思います。例えば義務論理などがそうです。元々は、ドイツの E. Mally は別として、英米圏では von Wright さんが 1950年代に Mind 誌上に発表した論文から義務論理は始まったのだろうと思います。私もその論文を読んだと思います。Alethic modalities と deontic modalities がよく似ていて parallel に対応しているから alethic modal logic と同様に deontic logic も作れるのではないか、ということで、後者の論理を素描してみせたのが、件の論文だったと思います。内容をもう忘れてしまったので間違っていたらすみません。その件の論文が収録されている von Wright さんの本が、今、文字通り私の手の届くところにありますが、確認することが面倒なので、それも pass させていただきます。怠惰ですみません。哲学の journal である Mind に載っている間はまだ哲学だったでしょうが、この deontic logic は、その後、随分成長し、確か今では computer science に利用され、そのような分野で独自の発展を遂げているのではないかと思います。何かそのような話を読んだような記憶があります。(この記憶も間違っていたらすみません。) そうすると、義務論理は元々は分析哲学の範囲内に入っていたでしょうが、そのいくらかは今では分析哲学を越え出て、完全な数理論理学、情報科学における論理学になっていると思います。飯田先生が念頭に置かれている分析哲学を越えて行ってしまったものとは、このような哲学的論理学のことを言うのだろうか、とも考えましたが、多分違うと思います。では、何なのだろうか、と先生の文章を読んでいて思いました。あるいは言語学の理論のある種のものなのでしょうか。数学基礎論から育って行った数学のことを言うのでしょうか。専門的ではあるが、まだ哲学であるものと、元々分析哲学でありながら分析哲学であることをやめてしまったものとを、比較、対照できれば、より先生のお話が理解できたと思います。先生が念頭に置かれていた例は何だったのか、また思いを致してみたいと感じています。なお、今回の先生の文章とは別に、分析哲学の現状と展望について、示唆を与えてくれる興味深い文章が、やはり出たばかりの次の本の訳者あとがきに見られます。

飯田先生の文章とともに、出口先生の手になる本書のあとがきも有用だと感じられました。

最後に。飯田先生の文章について、私が誤解していたり、まとめ方を間違っておりましたら謝ります。大変すみません。