What Problem Did Frege Argue in his "Über Sinn und Bedeutung"? More Precisely, What Problem Is a Great Part of his Most Famous Paper Devoted to? Part 4

以下の内容目次

 1. ''Über Sinn und Bedeutung'' の構成面からわかること: 「宵の明星」や「明けの明星」などの単称名の Sinn と Bedeutung の話は、論文全体に対する序論にすぎず、論文の本論は文の分析にある。
 2. "Über Sinn und Bedeutung" の本論で行われていることは何か?: 単文と複合文を含む文一般の Bedeutung が真理値であることの確認
 3. 文一般の Bedeutung が真理値であることの論証
  3.1 単文の Bedeutung が真理値であることの論証
  3.2 副文の分析による、複合文の Bedeutung が真理値であることの論証
 4. おさらい


3.2 副文の分析による、複合文の Bedeutung が真理値であることの論証

それでは、副文を従える複合文の分析を、Frege はどのような戦略を描きながら、行っているのでしょうか。

まず、簡単な準備をしておきます。
以前に挙げた私たちの二大前提 Bedeutung の合成性と Bedeutung の代入則、そしてこれらと Frege の Conjecture V を合わせるならば、それぞれ次が得られます。

    • Bedeutung の合成性 真理値版: 文の真理値は、その文の部分表現の Bedeutung によって決まる / 依存する / 従属する*1

及び

    • Bedeutung の代入則 真理値版: 文の部分表現の Bedeutung が同じなら、それら部分表現同士を入れ替えても、文の真理値は同じである*2


そしてこれらから、次のような文の Bedeutung の合成原理の真理値版が帰結します。

    • 文の真理値に関する合成原理 (the Composition Principle of Sentence Truth Value): 文の真理値は、その文の部分表現の Bedeutung の関数(値)である。

以前に挙げた Bedeutung の合成性と Bedeutung の代入則、それに Bedeutung の合成原理のいずれについても、それぞれを説明する場面で、それらが真理や真理値に関する原理、原則ではない旨を断っていましたが、ここに至ってようやく Bedeutung の合成性と Bedeutung の代入則、および Bedeutung の合成原理が、真理なり真理値に関する原理となりました。

さて Frege は、単文のみならず、副文を含んだ複合文に関しても、文の Bedeutung が真理値であることを立証したいと考えていました。そうしますと、今得られた

    • 文の真理値に関する合成原理: 文の真理値は、その文の部分表現の Bedeutung の関数(値)である。

における「文」としては単文のみを念頭に置くのではなく、複合文も考慮し、かつ「文の部分表現」としては単称名などだけでなく、副文などの文が考慮されねばなりません。つまり、今得られた原理の場合、次のように言い換えてみる必要が出てきます。すなわち

    • 複合文の真理値に関する合成原理 (the Composition Principle of Complex Sentence Truth Value): 複合文の真理値は、その文の部分表現である副文の真理値の関数(値)である。

もしもこの複合文に関する合成原理がどのような複合文および副文に関しても成り立つならば、単文と複合文を含んだ文一般の Bedeutung が真理値であると考えることも許されるようになると思われます。


以上で Frege はどのような戦略を描きながら副文を従える複合文の分析を行っているのかについて述べるための準備が終わりました。
それでは 複合文の真理値が、その文の部分表現である副文の真理値の関数(値)であることを、Frege はどのような手順で確かめているのでしょうか。

今しがたの複合文の真理値に関する合成原理が成り立つならば、そこに現われている関数といったものの性格から、次のように考えることができると思われます。複合文の Bedeutung は真理値で、それはその部分表現である副文の真理値の関数(値)であり、よって複合文の真理値は、真理値の入力から真理値への関数(値)である。だとすれば、関数といったものの性格上、同じ入力には同じ出力が返され、特に同じ真理値には同じ真理値が返されるはずです。

つまり、もしも今得られたばかりの複合文の真理値に関する合成原理が成り立つならば、そこに含まれる関数といったものの特徴から、先ほど手に入れた Bedeutung の代入則真理値版の複合文 version が以下のように得られます。

    • 複合文の Bedeutung の代入則 真理値版: 複合文の部分表現である副文の真理値が同じなら、それら副文同士を入れ替えても、複合文の真理値は同じである。

そうしますと、以前に述べた Conjecture V: 文の Bedeutung は真理値に等しい、が成り立つならば、この複合文の Bedeutung の代入則真理値版が成り立つはずです。そこで Frege は "Über Sinn und Bedeutung" の後半で、この代入則が副文を従えた複合文について成り立つかどうかを確認しているのです。特に反例を構成しているかに見える複合文について、この代入則が成り立つかどうかを確認してみること、これが "Über Sinn und Bedeutung" の後半で Frege が採る論証の戦略、手順です。Frege の文を引いてみましょう。

Es soll nun die Vermutung, daß der Wahrheitswert eines Satzes dessen Bedeutung ist, weiter geprüft werden. Wir haben gefunden, daß der Wahrheitswert eines Satzes unberührt bleibt, wenn wir darin einen Ausdruck durch einen gleichbedeutenden ersetzen: wir haben aber dabei den Fall noch nicht betrachtet, daß der zu ersetzende Ausdruck selber ein Satz ist. Wenn nun unsere Ansicht richtig ist, so muß der Wahrheitswert eines Satzes, der einen andern als Teil enthält, unverändert bleiben, wenn wir für den Teilsatz einen andern einsetzen, dessen Wahrheitswert derselbe ist.*3


さて、文の真理値がその意味であるという推測は次のように考えることによってさらに検討されなければならない。我々はすでに、文の真理値は、その中の一つの表現を同意味的 (gleichbedeutend) な表現で置き換えても変化しないことを知った。しかし、その際はまだ、置き換えられる表現自身が文であるという場合は検討していなかった。我々の目論見が正しいならば、他の文を部分として含む文の真理値は、部分である文のかわりにそれと真理値を同じくする別の文で置き換えても変化しないということでなければならない。*4

Wir werden so auf die Betrachtung der Nebensätze hingelenkt. Diese treten ja als Teile eines Satzgefüges auf, das vom logischen Gesichtspunkte aus gleichfalls als Satz, und zwar als Hauptsatz, erscheint. Aber es tritt uns hier die Frage entgegen, ob denn von den Nebensätzen gleichfalls gilt, daß ihre Bedeutung ein Wahrheitswert sei.*5


このようにして、我々は副文 (Nebensatz) の考察へ導かれることになる。確かに、副文は、論理的観点からは、同様に文、しかも主文として見なされている複合文 (Satzgefüge) の部分となっているものであるが、ここで我々に向けられる疑問は、文の意味が真理値であるということがそのような副文についても同様に成りたつであろうかというものである。*6


さて、Frege による副文の細かな分析を、この場で詳細に検討することは、話が長くなり過ぎることと、私にはその力が現在ないこともあって省きますが、Frege は副文の分析の結果をどのように判断しているのでしょうか。結論を早々に述べますと、Frege の分析によるならば、それが持っている Bedeutung としての真理値が互いに同じであると見える副文同士を入れ替えた時、できる複合文の真理値が変わってしまうような、複合文の Bedeutung の代入則真理値版の反例と思われる事例があったとしても、実はその副文の Bedeutung が真理値ではない場合があり、その時、その複合文の Bedeutung の代入則真理値版の前件は偽で、そうするとこの代入則は、後件の真偽に関係なく、全体としては依然として成り立つのである、とされるのです。副文を伴う複合文の中には、複合文の Bedeutung の代入則真理値版の反例と思われる事例が見えますが、それでも副文の Bedeutung が例外的に真理値ではないとすることで、この代入則の前件が偽となり、これにより、この代入則全体は成立し続けると Frege は結論しているのです。


ここで、副文を含む複合文で、反例を構成しているように見えながら、Frege によるならば、それは反例ではないという事例の、英語によりますが、一つの典型例を次に挙げておきます*7


前提1: Alice believes that the morning star is a body illuminated by the sun.
前提2: The morning star is a body illuminated by the sun = the evening star is a body illuminated by the sun.
結論:  Alice believes that the evening star is a body illuminated by the sun.


前提1の従属節中の文 'the morning star is a body illuminated by the sun' は、前提2の左辺と同じです。Frege によるならば、前提2の左辺の Bedeutung は真理値真で、その右辺も真理値真であり、つまり前提2の両辺の Bedeutung は、同じ真理値真ですから、複合文の Bedeutung の代入則真理値版により、前提1の従属節中の文 'the morning star is a body illuminated by the sun' を前提2の右辺の文 'the evening star is a body illuminated by the sun' で入れ換えた複合文、つまり結論の文 'Alice believes that the evening star is a body illuminated by the sun' ができて、この文は真となるはずです。しかし、この結論が必ず真となる訳ではないことを私たちは知っています。とすれば、今挙げた前提1から結論への論証は、複合文の Bedeutung の代入則真理値版の反例を成しているように見えます。しかしながら Frege はそう考えません。

なぜなら Frege は、前提1における従属節中の文の Bedeutung は、前提2の左辺の Bedeutung と異なると考えるからです。Frege によると、前提1における従属節中の文の Bedeutung は、前提2の左辺の Sinn であり、この前提2の左辺の Bedeutung はこの左辺の真理値真であると考えます*8。複合文の Bedeutung の代入則真理値版から、一般的に言えることは、その原則からすれば、あるもの a とあるもの b が等しいならば、a について言えることは b についても言え、b について言えることは a についても言えます。先の論証前提2の左辺の真理値と右辺の真理値は等しかったので、その左辺について言える (と見える) こと (= 前提1) は、前提2の右辺についても言えるはずで、それは先の論証の結論が言えるということです。しかしそもそも前提1における従属節中の文の Bedeutung は真理値ではないので、複合文の Bedeutung の代入則真理値版の前件が満たされず、よってこの代入則全体は、条件法のいみ合いから言って、成立します。したがって上記の前提1から結論への論証は、この代入則の反例となっていません。複合文の Bedeutung の代入則真理値版の反例の典型と見えるものは、実は反例ではなく、依然として複合文の Bedeutung の代入則真理値版は成立しています。


こうして、Conjecture V のもと、複合文の Bedeutung の代入則真理値版は成立するはずであり、種々の副文を伴う複合文で、特にこの代入則の反例となりそうな事例を集中的に分析すると、反例は実のところ反例を構成しておらず、依然としてこの代入則は妥当であり、Conjecture V からは、当然成り立つはずのものがきちんと成り立ち、反駁されることはないのだから、Conjecture V も成り立っていると判断してよいだろう、と Frege はするのです。


"Über Sinn und Bedeutung" における副文の分析の末尾で、Frege はこの副文分析の総括を行っています。その部分を一部引用して見ます。

Es ist schwer, alle in der Sprache gegebenen Möglichkeiten zu erschöpfen; aber ich hoffe doch, im wesentlichen die Gründe aufgefunden zu haben, warum nicht immer unbeschadet der Wahrheit des ganzen Satzgefüges ein Nebensatz durch einen andern desselben Wahrheitswertes vertreten werden kann. Diese sind

 1. daß der Nebensatz keinen Wahrheitswert bedeutet, indem er nur einen Teil eines Gedankens ausdrückt;

[…]

Hieraus geht wohl mit hinreichender Wahrscheinlichkeit hervor, daß die Fälle, wo ein Nebensatz nicht durch einen andern desselben Wahrheitswertes ersetzbar ist, nichts gegen unsere Ansicht beweisen, der Wahrheitswert sei die Bedeutung des Satzes, dessen Sinn ein Gedanke ist.*9


言語に与えられたすべての可能性を尽くすことは困難である。しかし、それにもかかわらず、なぜ、複合文全体の真理値を損うことなく、副文を同じ真理値をもつ別の文で置き換えることが必ずしも常にできないかということの理由が本質的な点については見出されたと期待する。すなわち、その理由は次のとおりである。

 1 副文は、一つの思想の一部のみを表現するゆえに、真理値を意味しない。

[…]

このことからかなりの確実さをもって明らかであるように、副文が同じ真理値をもつ別の文で置き換えられない場合があるからといって、それは、文の意味が真理値であり、文の意義が思想であるという我々の考え方を反証するものではない。*10


この引用文中の「かなりの確実さをもって明らか (geht wohl mit hinreichender Wahrscheinlichkeit hervor)」という言葉は、今までの副文の分析が、文の Bedeutung が真理値であるだろうとする Conjecture V の完全な証明ではなく、暫定的な確証 (confirmation) にとどまることを表しています。なぜ数学に見られるような、反駁の余地のない証明ではなく、暫定的な確証にすぎないのかというのは、今の引用文の冒頭の文「言語に与えられたすべての可能性を尽くすことは困難である」からわかります。つまり、今までの副文の分析は、ドイツ語における副文の通常の例や例外全部を含んだすべての pattern や事例を尽くしているのではないので、Conjecture V の立証は、絶対に反駁できないように完全な証明ではなく、副文の主要な種類は検討し終えたと考えられるものの、副文の事例を余すところなく尽くしたとは言えないので、暫定的な確証たらざるを得ないという訳です。しかしそれでも、 Frege は Conjecture V を「かなりの確実さをもって明らか」だと結論できるとしたのです。


こうして副文分析の総括の後、 Frege は件の論文の最後の最後で、次のように論文全体をまとめています。

Kehren wir nun zu unserm Ausgangspunkte zurück!

Wenn wir den Erkenntniswert von 》a = a《 und 》a = b《 im allgemeinen verschieden fanden, so erklärt sich das dadurch, daß für den Erkenntniswert der Sinn des Satzes, nämlich der in ihm ausgedrückte Gedanke, nicht minder in Betracht kommt als seine Bedeutung, das ist sein Wahrheitswert. Wenn nun a = b ist, so ist zwar die Bedeutung von 》b《 dieselbe wie die von 》a《 und also auch der Wahrheitswert von 》a = b《 derselbe wie von 》a = a《. Trotzdem kann der Sinn von 》b《 von dem Sinn von 》a《 verschieden sein, und mithin auch der in 》a = b《 ausgedrückte Gedanke verschieden von dem 》a = a《 ausgedrückten sein; dann haben beide Sätze auch nicht denselben Erkenntniswert. Wenn wir wie oben unter 》Urteil《 verstehen den Fortschritt vom Gedanken zu dessen Wahrheitswerte, so werden wir auch sagen, daß die Urteile verschieden sind.*11


さて、我々の出発点に立ち戻ってみよう。
もし、'a = a' と 'a = b' の認識上の価値が一般に異なるものである場合には、そのことは、文の意義、すなわち文において表現されている思想が、認識上の価値にとって、文の意味、すなわち文の真理値と同じ程度には問題になるということによって説明される。今、もし、a = b ならば、'b' の意味は 'a' の意味と同一であり、したがってまた、'a = b' の真理値は'a = a' のそれと同じである。しかし、それにもかかわらず、'b' の意義は、'a' の意義と異なり、したがって、'a = b' において表現されている思想も 'a = a' で表現されている思想とは異なりうる。つまり、この場合には、二つの文が同じ認識上の価値をもつことにはならない。もし、上述のように、「判断」を思想からその真理値への前進として考えるならば、二つの判断が異なると述べることにもなるであろう。*12


ここで私たちが気を付けねばならないことは、この引用文中の 'a' と 'b' は、「宵の明星 (Abendstern)」や「明けの明星 (Morgenstern)」などの単称名に尽きないということです。"Über Sinn und Bedeutung" を、「宵の明星」や「明けの明星」などの単称名に関する Sinn と Bedeutung についての論文であるとだけ考えているならば、今の引用文中の 'a' と 'b' に「宵の明星」や「明けの明星」などの単称名を、特に考えることもなく当てはめて、この引用文を読むことでしょう。しかし、長々とした、論文の後半全部を占める副文の考察を経た後では、この引用文の 'a' と 'b' には、通常私たちが考える単称名が当てはまるのみならず、単文や複合文などの文一般もここに入ってくるということに注意を払う必要があります。さもないと、ここに単称名だけを当てはめるということは、論文後半全部を占める副文の分析を無視することになります。なぜわざわざ Frege が論文の大半を文の分析に費やしていたのかを無視することになります。今の引用文に見られるまとめは、件の論文の冒頭序論の部分のまとめと見るだけでは決定的に不充分であり、このまとめが論文全体のまとめになっているとするならば、ここの 'a' と 'b' には、文一般も入るものと捉える必要があるでしょう。



4. まとめ

私たちが確認したいと思っていたことは、Frege の "Über Sinn und Bedeutung" では、何が行われているのか、ということでした。私たちはその論文においては、「宵の明星」や「明けの明星」などの単称名のいみに関して、Sinn と Bedeutung を区別すべきだということが、これらの単称名を含む同一性言明を例に、述べられていると一般には考えていると思います。しかし、論文の構成面からは、「宵の明星」や「明けの明星」などの単称名のいみについて Sinn と Bedeutung を区別すべきだという話は、論文全体の序論にすぎないことを見ました。一方、論文の本論に当たる部分で論じられているのは、文一般の Bedeutung が真理値であることが、主として問題にされていることを確認しました。そして、文一般のうち、単文の Bedeutung が真理値であることの Frege による論証を再構成し、続いて文一般のうち、副文を伴う複合文の Bedeutung が真理値であるとする Frege の論証の道筋を追ってきました。私たちの以上の追究により、Frege の "Über Sinn und Bedeutung" では、「宵の明星」や「明けの明星」などのいみについて、Sinn と Bedeutung を区別すべきだということを Frege は論文の読者に最も訴えたかったというよりも、むしろ文一般の Bedeutung が真理値であることを、取り分け副文の分析を通じて、読者に理解してもらいたかったのだろうと結論できることがわかったと思います。つまり、ごく手短に簡略化して言ってしまうと、Frege の "Über Sinn und Bedeutung" は、「宵の明星」や「明けの明星」の話の論文ではなく、文の Bedeutung が真理値であることを論じた論文なのだ、ということです。


PS
以上の話には間違いが含まれているかもしれません。と言うよりも、絶対にどこかに間違いが含まれているはずです。すべてが正し訳がなく、重要な point で大きな miss を犯していると思います。ですから、あらかじめ、存在するであろう間違いや、誤字・脱字に対し、ここでお詫びを申し上げます。大変すみません。上記の話を読まれた方は、読まれた後も必ず批判的に再検討、再確認をされることをお勧めします。上記の話がすべて間違っていたとしましても、Frege の件の論文を読み直してみようとお考えいただけましたら、それだけでまったく充分だと感じます。今回取り上げた Frege の論文は大変有名なもので、分析系の方々は今までにもお読みになったことがあるでしょうし、上述の話を書くに当たって私が参照した文献の情報も記載しましたので、比較的容易に批判的な再検討、再確認が可能と思います。私自身、間違いを自覚しましたら訂正し、自分の考えを軌道修正して、精進して行きたいと考えています。


*1:あるいは、Bedeutung の合成性 真理値版: 文の部分表現がすべて Bedeutung を持つならば、その文は真理値を持つ。

*2:あるいは、Bedeutung の代入則 真理値版: 文の部分表現の Bedeutung が互いに同じである言語表現同士は、その表現同士を入れ替えても、結果となる文の真理値は同じままに保たれる。

*3:S. 151.

*4:邦訳、82-83ページ。

*5:S. 151.

*6:邦訳、83ページ。

*7:この例は、次の文献の該当箇所にある例を改変したものです。Joan Weiner, Frege Explained: From Arithmetic to Analytic Philosophy, Open Court, Ideas Explained Series, vol. 2, 2004, p. 99.

*8:いわゆる従属節中の文の Bedeutung が、従属節に現われない時の、その文の Sinn であり、従属節に現われていない時の文の Bedeutung は、その文の真理値であるという類いの話は、Frege を学んでいる者にとっては基本事項でしょうから、このことは既知として、説明を省きます。

*9:SS. 161-162.

*10:邦訳、97ページ。

*11:S. 162. 引用文終わり辺りの '》Urteil《' は、原文では '《Urteil《' と表記されていますが、誤記と思われますので訂正して引用してあります。

*12:邦訳、97-98ページ。