The Super Kite String Detangler Donald Davidson (タコ糸ほどき名人 Donald Davidson)

先日、

  • Maria Baghramian ed.  Donald Davidson: Life and Words, Routledge, 2012

という本を購入しました。この本では、Davidson さんの知り合いによる思い出話と、Davidson さんの哲学を分析した諸論文、および Davidson さんの論文1本から成る編集本です。思い出話の中には、有名な研究者のものがいくつも入っています。その他に、Davidson さんの近親者による思い出話もあり、奥さんと娘さんの話も入っています。今日は娘さんの話を、どこかほほえましところがありますし、貴重かもしれませんので、紹介してみます。以下は、娘さんの Elizabeth Boyer (Davidson) さんによる思い出話です。ちなみに Boyer さんは Cornell を卒業され、1980年代から1990年代の初めの頃にかけて、反戦反核運動にたずさわっておられました(Baghramian, p. xiii.)。英語原文と、私による試訳を掲げておきます。ちょっと開き気味に訳しています。試訳は間違っている可能性が高いので、英語がきちんと読める方は、試訳を無視してください。たぶん細部や、微妙な nuance がうまく訳せていないと思います。誤訳しておりましたら謝ります。大変すみません。上記書籍の p. 23 から、一部を引きます。

In my last memory of Don, unshadowed by any premonition that it was the last, he was trying to disentangle the strings of my son's stunt kite. It was a windy day at the Marina, the last hours of a family picnic. We had eaten the chicken, the olives, the good bread and cheese. We had drunk the wine. Max had tried to fly his kite, gotten it inextricably tangled, and long since given up. Everyone had given up, in fact, except Don, who now stood delicately poking at the knotted strings, directing the full intensity of his intellect at the puzzle. I, his assistant, stood shivering in the wind, holding the strings, as he (increasingly irritably) reminded me not to let them tighten up. After another failed attempt, Don looked up at me. ''I'm not very good at this, you know,'' he said. ''I don't have a talent for it. Now some people I know are really good at it. Really amazingly good.'' He sighed, looked back down at the strings, and returned to his work. For me, that memory captures so much of Don's essence. He really cared about disentangling those strings, he put all his effort and attention into it. And he wished he was better at it - he wished he was a whiz, a genius, a super kite string detangler. Eminent philosopher? Well yes - but to be one of those people who could master kite strings at a touch!


Don についての最後の思い出は、それが最後の思い出になるなんて予想さえしていなかったのですが、私の息子の曲芸用カイトの糸を、彼がほどこうとしているものでした。それは風の強い日のヨット・ハーバーでのことで、家族とピクニックをして過ごした最後の時間のことでした。私たちはチキンにオリーブ、おいしいパンにチーズ、そしてワインを楽しんでいました。息子の Max はカイトを飛ばそうとしていましたが、手が付けられないほど糸が絡まってしまい、ほどくのをとっくの前に諦めてしまって、みんなも諦めてしまっていたのですが、実のところ Don だけが、その時、もつれてしまった糸を慎重に選り分けながら、パズルを解くのに知恵を振り絞っていたのでした。(段々イライラしてきている) 彼に糸が張らないよう念を押されながら糸を持ち、手助けするために風のなか、私は震えながら立っていました。もう一度、やってみましたが上手く行かず、Don は私の方を見て言いました。「あまりうまくないよね。素質がないな。知り合いのなかにはすごくうまいのがいるんだ。本当にものすごくうまいんだよ。」 彼はため息をつき、糸に視線を落して再びほどき始めました。この思い出は、Don の本質をとてもよく捉えていると、私には思えます。彼は糸をほどくことが本当に気になっていて、そのことにあらゆる努力と注意を向けていました。そうやることで、彼はうまくなりたかったんだと思います。切れる人、天才、タコ糸ほどきの達人になりたかったんだと思います。すぐれた哲学者になりたかったのでは、ですって? もちろんそうです。でも、それはそれとして、少し触っただけでタコ糸をほどいてしまう名人のうちの一人になりたかったんだと思うんです!


Davidson さんて、何だかすごく真面目な方ですね。何事にも真剣に打ち込む性格の方みたいです。そして粘り強い方のようですね。思うのですが、哲学に粘り強さは本当に必要だと思います。何故かと言いますと、哲学の問題は本当に難しく、一朝一夕に解決できるようなものではないからです。一生かかるでしょうから。だから、よく言えばへこたれない精神、悪く言えばしつこい性格を持っていないと、立派な哲学者にはなれないのかもしれません。上記の逸話にあるように、じっくりと真剣にどこまでも追究する心構え、これがすぐれた哲学者の資質として必要なのかもしれません。Davidson さんの有名な論文も、ああでもない、こうでもないと、考え続けた結果、書くことができたのかもしれませんね。