昨日は次の論文を拝読させていただきました。

大変参考になりました。

その後、この論文が収録されている上記の雑誌をパラパラめくっていると、次のような文が目に入ってきました。それは

という、雑誌巻頭に置かれた対談の記録にある文で、この対談は柄谷さんの新刊『哲学の起源』を論じたものですが、以下のように書かれていました。

柄谷 − 初期ギリシア哲学というのは、資料がろくにないから、推定するほかありません。その意味では、僕のように専門的な知識を持たない者には有利なのですが (笑)。*1

正直に言いますと、上記の納富先生の論文を読んだ後では、この柄谷さんの発言は、そこに「(笑)」とありますが、ちょっと笑えませんでした。柄谷さんは冗談でおっしゃっておられるのだろうけれど、冗談で済ますことは難しいと感じられます。私が柄谷さんのようなことを私の先生の前で発言すれば、間違いなく厳しくしかられるだろうと思います。「笑っている暇があったら、ちゃんと勉強しろ。それを勉強しない言い訳にするんじゃない。」と。実際、資料が揃っていて情報が豊富ならば、たとえ専門的知識を持たない者でも、何事か推定した場合、見当違いの結論に至る可能性は比較的低いと思いますが、資料がろくになく、情報が限られている状況で、専門的知識を持たない者が何事かを推定するならば、空想をふくらませすぎて、とんちんかんな結論に至る可能性は高まるだろうと思います。ですから、資料が限られている時こそ、専門的な知識を習得すべく勉強する必要があると感じます。

という訳で、私は柄谷さんほど古代ギリシアについて知りませんので、さっそく本日、次の本を購入しました。

  • ロビン・オズボン  『ギリシアの古代 歴史はどのように創られるか?』、佐藤昇訳、刀水歴史全書 81, 刀水書房、2011年

この本は、上記の納富先生の論文中で、最近の古代ギリシアの様子を伝える歴史書として推薦されている本です (納富、67ページ、註6.)。中を開いてみると、色々と面白い話がつづられているようです。今すぐ全部読んでいる時間はありませんが、暇を見つけてそのうちところどころ読んで勉強できればと思っています。

*1:柄谷、國分、12ページ。