Russell, Benacerraf, Mathematical Logic, and Thomas

  • John Ongley and Rosalind Carey  Russell: A Guide for the Perplexed, Bloomsbury Academic, Guides for the Perplexed Series, 2013
  • Marco Panza and Andrea Sereni  Plato's Problem: An Introduction to Mathematical Platonism, Palgrave Macmillan, 2013
  • 『数学』、日本数学会編、岩波書店、第65巻、第1号、2013年1月冬季号
  • 『創文』、特集 トマス・アクィナス神学大全』、創文社、2012年冬、no. 8

この PR 誌の内容は次の通り。『神学大全』完訳の記念号のようです。

内容目次

  • 宮本久雄  「『神学大全』完訳の祝祭にあたり」
  • 川添信介  「『神学大全』を『対異教徒大全』より先に読むことは適切であるか」
  • 山本芳久  「『神学大全』の完結性と未完結性」
  • 稲垣良典  「神学と霊性 『神学大全(スンマ)』から学んだこと」


上記、Russell に関する本は、その前半が Russell の Introduction to Mathematical Philosophy の入門編、その後半が主に Russell の形而上学、知識の理論、言語哲学の解説になっています。参考文献表を見ると、ほとんど二次文献が上がっておらず、本書では著者お二人が Russell の論理学と理論哲学を読んで、そこで理解したことを書いておられるように見えます。入門書のため、註もほとんどなく、簡潔明瞭に書かれているように見えます。ただし、まだ読んでいないので、そう見えるだけかもしれませんが…。でもそのうち読んで勉強してみたいです。


上記の雑誌『数学』には、次の書評が載っています。

ここで書評されている新井先生の大著は、私も購入したものの、「随分難しそうだな、通して読むのは無理だと思うので、そのうち調べ物のがある時にでも開こう」と考えて、全然読んでいない。私にはとても歯が立ちそうにもない。できる人は、すらすら読んでしまうのだろうか、と思っていた。しかし、上記の坪井先生の書評を読むと、そうでもないようです。この新井先生のご高著について、坪井先生は例えば、

評者が [書評対象の本書を] (斜めに) 読むだけでも相当な時間を必要とする内容であり、[著者が本書を] 書くに至っては、想像を絶する時間と労力を費やしたに違いないと思われる。*1

と書いておられます。また、新井先生のご高著のなかで、モデル理論のある定義とその性質について、

1ページ弱で書かれているが、はじめて読んで 'おっしゃるとおりです' と頷いてくれる読者は、一年に三人くらいしかいないのではないか。*2

とも書かれています。あるいは

'証明論' の章に関しては、何も知らない立場で読んだ範囲では、よく理解できなかった。この感想は、一義的には、評者が証明論をあまり知らないことに起因すると思う。実際に、証明論の専門家 (匿名氏) に聞いてみたところ、よくまとまっているという印象を持ったそうである。*3

とも述べられ、さらに、証明論のある証明方法について、坪井先生はその方法をかつて

見たことがあったので、評者でも多少は意図するところのイメージを持つことができる。しかし何の経験もない読者が理解できるだろうか、それはかなり困難に感じた。*4

と記しておられます。また、書評対象である

本書の表紙カバーには、'特別な予備知識を仮定せずに、数学基礎論における核心的な結論、技法やアイデアをもれなく説明した' とある。確かに大学初年級の集合の知識から説明されている。[…] しかし、説明されているということと読者が理解できるということは、もちろん異なる。何の知識もない読者がはじめて読んで意味を正確に理解して、さらに数理論理学の基礎や各分野の内容が理解できるかというと疑問である。本書の冒頭の 'はじめに' では、想定する読者は基礎論を真剣に勉強し始めている方々とある。もし本書を使って勉強を始めようというのであれば、'真剣に' の部分が非常に重要になると思われる。おそらく本書を読む場合は、理解力を相当程度に持ち、かつ不断の努力を惜しまない人物が '真剣に勉強する' ことが要求されると思う。そして、できれば数理論理学を予めある程度は知っていることが望まれる。*5

とあります。読者対象は「基礎論を真剣に勉強し始めている方々」とあるようですが、「真剣に勉強し始めている」という言葉の「真剣に」と書かれているところを「真剣に」受け止めなければならないようです。そのため、

本書を用いて初学者がいろいろな分野を勉強するというのは、かなりリスクの高い行為である。*6

とのことです。要するに、読み始めても、ほとんどの初学者が途中で挫折する、ということなのでしょうね。

結局、坪井先生としては、

本書は教科書として学ぶのではなくて辞書としての活用が好ましいのではないかと思う。数理論理学の専門分野 (集合論、モデル理論、... ) を勉強していて、何か他の分野の知識が必要になったときに、辞書として座右にある本書を参照するというのが利用法として最良なのではないだろうか。*7

とお考えのようです。


つまり、新井先生のご高著は、数学基礎論または数理論理学の専門家の先生でも、万遍なく理解するのは、かなり難しい、ということのようです*8。 通して読むのではなく、辞書のように引いて読むのがよいみたいです。ということは、通して読もうとしなかった私は、正解だったみたいです。と言っても、単に通して読もうにも読む力がなかっただけなのですが…。

なお、坪井先生は、新井先生のご高著について、単に難しいと述べておられるだけではなく、「本書は非常に役立つ」(106ページ) とも述べてられますので、使い方によっては非常に有用な本だということです。今回の私の記述では、新井先生のご高著について、坪井先生が、かなり demanding だと記しておられる部分を中心に話をしました。このことを割り引いて考えると、新井先生のご高著は、非常に難しいものの非常に有用である、というのが実情に近いだろうと思われます。この点、誤解なきようお願い致します。新井先生には新井先生の言い分があると思いますし、他の専門家の先生なら、また違った評価を与えられる可能性もあります。

とは言え何にしろ、新井先生のご高著を、そのうち拾い読みでもよいから開いて勉強しなければいけないですね。大変だな…。


以上、何か間違っているところがありましたら謝ります。すみません。

*1:坪井、103ページ

*2:坪井、104ページ

*3:坪井、105ページ

*4:坪井、105ページ

*5:坪井、106ページ

*6:坪井、105ページ

*7:坪井、106ページ

*8:専門家の先生でも、読んで理解するのに骨を折るぐらいですから、版元の岩波の編集の方々や校正の方々も、じっくり理解しながらは読んでおられないのかもしれませんね。いや、でも、間違っていたらすみません。本当はちゃんと読んでおられるのかもしれません。すみません。