Who Was the First to Define the Continuity of a Function by the Epsilon-Delta Method Represented in Terms of Mathematical Logic?

(本日の日記は、blog にしては、とても長いです。時間のない方は、読むのを控えたほうがよいかもしれません。)


目次

1. はじめに
2. 現代における ε-δ 論法を使った関数の連続性と極限の定義
3. Frege による ε-δ 論法を使った関数の連続性と極限の定義
4. 数学史における ε-δ 論法の意義
5. Frege による ε-δ 論法使用の数学史上および哲学史上の意義
6. おわりに


1. はじめに

最近、ε-δ 論法について調べていると、あることに気が付いた。今日はそのことを記してみたい。ただし、気が付いたことというのは、既に知られていることなので、珍しいことではありません。なお、今回の日記では、ところどころ layout が整っていない部分がございます。見た目がよくないですが、何せ手作りですので、どうかお許しください。また、間違いが含まれていましたら謝ります。誠にすみません。

さて、ε-δ 論法について調べていると、Frege が ε-δ 論法に依りながら、自身の論理的言語である Begriffsschrift を使い、自然言語を利用せずに、関数の連続性や極限を定義していることを知ったのですが、以下では、Frege によるそれらの定義を実際に確認し、Frege が関数の連続性や極限を ε-δ 論法に依拠しながら、Begriffsschrift を使いつつ定義していることの歴史的ないみについて記してみます。


Frege が関数の連続性や極限に対し、ε-δ 論法によって Begriffsschrift を使いながら定義していることを、私が最初に知ったのは、次の文献からです。

  • Erich H. Reck and Steve Awodey eds.  Frege's Lectures on Logic: Carnap's Student Notes, 1910-1914, Open Court, Full Circle: Publications of the Archive of Scientific Philosophy, Hillman Library, University of Pittsburgh, vol. 1, 2004.

これは Carnap が Frege の講義を聴講し、その際に書き取った note の英訳です。この本の88-90ページに、ε-δ 論法を使った Begriffsschrift による関数の連続性の定義が現れています。極限の定義は91ページに出ています。これらは1913年夏学期における Frege の講義 'Begriffsschrift II' を記録したものです。


なお、この英訳は、次のドイツ語文献からの訳です。

  • Gottlob Frege  ''Vorlesungen über Begriffsschrift, Nach der Mitschrift von Rudolf Carnap,'' in: History and Philosophy of Logic, vol. 17, no. 1 and 2, 1996.

このドイツ語原文では、関数の連続性の定義が20-22ページに、極限の定義が22ページに出てきます。


私がこれらの定義に気が付いた後、記憶を手繰り寄せてみると、同じようなことを、これ以前にも Frege がやっていたことを思い出した。次の文献をひもといてみると、

  • Gottlob Frege  ''Booles rechnende Logik und die Begriffsschrift,'' in: Nachgelassene Schriften, Hrsg. von H. Hermes, F. Kambartel, F. Kaulbach, Felix Meiner Verlag, Nachgelassene Schriften und Wissenschaftlicher Briefwechsel, Erster Band, 1983, 邦訳、G. フレーゲ、「ブールの論理計算と概念記法」、戸田山和久訳、藤村龍雄編、『フレーゲ著作集 1 概念記法』、勁草書房、1999年、

この論文の26-27ページで (邦訳では161ページで)、ε-δ 論法を使った Begriffsschrift による関数の連続性の定義がなされており (そのページの番号13の定義)、28ページで (邦訳では163ページで) 極限の定義がなされています (そのページの番号18の定義)。この論文は1880年1881年に書かれました。小冊子 Begriffsschrift が出たのは1879年でしたから、この重要な小冊子が出た直後ということになります。


2. 現代における ε-δ 論法を使った関数の連続性と極限の定義

以下では念のため、Frege による ε-δ 論法を使った Begriffsschrift に基付く関数の連続性と極限の定義を実際に確認してみます。しかしその前に、現代における ε-δ 論法を使った関数の連続性と極限の定義を見ておきます。ε-δ 論法に関し、本邦で代表的な解説である次の文献から、それらの定義を引いてみます。


まず、関数の連続性の直観的な定義。

定義 7. f(x) が a およびその近くで定義されているとき、

     \begin{eqnarray}\lim_{x \to a} f(x) = f(a)\end{eqnarray}

が成り立つならば、f(x) は x = a で (あるいは点 a で) 連続であるという。*1

これを正確にした ε-δ 論法による関数の連続性の定義。

定義 7'. f(x) は a およびその近くで定義されているとする。任意の ε > 0 に対して、適当な δ > 0 を決めると、

     | x - a | < δ のすべての x について | f(x) - f(a) | < ε

となるならば、f(x) は x = a で (あるいは点 a で) 連続であるという。*2


続いて、極限の直観的な定義。

定義 1. 数列 { xn } において、番号 n を限りなく大きくするとき、xn がある定数 a に限りなく近づくならば、これを

     n → ∞ のとき xn → a ; あるいは \begin{eqnarray}\lim_{x \to \infty} x_n=a\end{eqnarray}

という記号で表し、この場合、数列 { xn } は a に収束するという。また、a を数列 { xn } の極限値という。*3

これを正確にした ε-δ 論法による極限の定義。

定義 1'. 数列 { xn } において、任意の正の数 ε に対して、適当な番号 m を決めると、

     n > m のすべての n について | xn - a | < ε

となるならば、これを

     n → ∞ のとき xn → a ; あるいは \begin{eqnarray}\lim_{x \to \infty} x_n=a\end{eqnarray}

という記号で表し、この場合、数列 { xn } は a に収束するという。また、a を数列 { xn } の極限値という。*4


3. Frege による ε-δ 論法を使った関数の連続性と極限の定義

以上の定義に対して、Frege は Begriffsschrift を使い、どのように関数の連続性と極限を定義しているのか、それを以下に見てみます。これらを定義している講義 'Begriffsschrift II' と論文 ''Booles rechnende Logik und ... '' を比べてみた場合、本質的に両者は同じであるものの、若干だけ講義 'Begriffsschrift II' における定義の方がわかりやすく感じられるので、こちらの講義における関数の連続性と極限の定義を見てみます。まず、Frege による関数の連続性の定義。次がそれです*5

(1)

この表現が何を述べているのかを、Frege の理解に沿って解説します*6。わかりやすさを求めて、非常にくどく解説します。(くどすぎて、わかりにくいかもしれませんが…。まったく簡単なことですので、ゆっくり読んでいただければと存じます。)。 まず、この表現 (1) は、次のような複数の部分から成ります。最初は

(2)

(3)

です。そして (3) については、

(4)

(5)

から成ります。そして (5) については、

(6)

(7)

から成ります。

さしあたりは、以上のような部分から成るのですが、これらの部分がどのような内容を持っているのかについて説明する前に、これら Frege 独特の表現の、より単純で基本的なパターンを Frege がどのように理解しているのかを確認し、その後、その確認に基づいて、上記の (1) の内容を説明します。


さて、Frege は自身の独特な表現の基本的パターンのいくつかを説明しています*7。まず、次のような基本パターンの内容について、<1>

この表現は、任意のもの a に関して、それが何であれ X を持つならば、それは P を持つ、という内容を有し、これは簡単に言えば、何であれ X であるものは、P である、ということです。

次の基本パターンは<2>

であり、この表現は、何であれ性質 Ψ を持つものは、性質 P を持たない、という内容を有しており、つづめて言えば、Ψ であるものは何であれ P ではない、ということです。なお、この表現 <2> の中の P の前に、小さな下向きの突起がありますが、これは否定を表す記号です。

次の基本パターンは<3>

です。この表現のくぼみの前に、下向きの小さな突起が付いていますが、これは今も述べた通り、否定を表す記号です。このことから、この <3> は、何かを否定している表現だとわかると思いますが、何を否定しているのかというと、くぼみ以下の表現 (くぼみを含めた、くぼみの右側全体の表現) が表わしている内容です。ところでくぼみ以下の表現は、形としては先ほどの <1> と同じです。したがって <3> が否定しているのは、<1> です。よって、<1> の否定が <3> なので、<1> の内容は、何であれ X であるものは、P である、ということでしたから、この否定が <3> になります。つまり、「何であれ X であるものは、P である、ということはない」が <3> の内容です。そして「何であれ X であるものは、P である、ということはない」を言い換えれば、「ある X は P ではない」、または「P ではないような X がある」ということになります。これが <3> の内容です。そして <3> では文字 X ではなく、Λ が使われていますので、X を Λ に変えれば、「ある Λ は P ではない」、または「P ではないような Λ がある」となって、最終的にこれがここでの <3> の内容となります。

最後の基本パターンを述べますと、<4>

となります。この表現もくぼみの前に下向きの小さな突起が付いていて、否定表現だとわかりますが、何を否定しているのかというと、それはくぼみ以下の表現の内容であり、このくぼみ以下の表現は、形としては、上記の <2> と同じだとわかります。したがってこの <4> は <2> の否定なので、<2> の内容「Ψ であるものは何であれ P ではない」の否定「Ψ であるものは何であれ P ではない、ということはない」は、「ある Ψ は P である」となり、これが <4> の内容です。そして <4> では Ψ ではなく M が文字として使われているので、Ψ を M に代えた「ある M は P である」が、最終的に <4> の内容となります。


それでは上記の Frege の表現 (1) を解説するのに、今述べた基本パターン <1> から <4> を使って行います。

(1) はまず、(2) と (3) から成るのでした。(2) の形を見ますと、これは、表現の各部分の比率は違いますが、基本パターン <1> と同じであるとわかります。したがって (2) の内容は、「何であれ X であるものは、P である」というようなことです。このことから (2) が実際に述べているのは、e を Frege は数として意図していますので、「任意の正の数 e は、A である」ということだとわかります。

次に (3) ですが、これは少し前に述べたように、(4) と (5) から成るのでした。そこで (4) の形を見ますと、やはり比率は異なりますが、基本パターン <3> と同じであるとわかります。よって (4) の内容は、「ある X は P ではない」または「P ではないような X がある」というようなことです。そうすると、ここの d も Frege は数を意図していますので、(4) は「ある正の数 d は B ではない」または「B ではないような正の数 d がある」ということを述べているとわかります。

そして今度は (5) ですが、この (5) は (4) の「ある正の数 d は B ではない」における B に入るものです。ということは、(4) では B が否定されているので、(5) も否定されます。Frege の表現で否定を表す場合には、小さな下向きの突起を付けてやればよいので、(5) のくぼみの前の小さな突起の前に、その突起を付けてやると、

(8)

となります。ここではくぼみの前に二つの小さな突起、つまり二つの否定記号が連続して現れています。これは二重否定を表します。ところで二重否定、すなわち否定の否定は肯定を表します*8。「〜でないことはない」は、「〜である」となって、否定表現が消えます。よって (8) も、そのくぼみの前にある二つの否定を表す突起を消去してよく、(8) は

(9)

となります。つまり (5) は (9) になる、(9) と同じことだ、ということがわかります。そこで (9) ですが、これはどのような部分から成るのかというと、それは

(10)

(11)

とから成ります。( (11) は (7) と同じです。) この (10) の形は基本パターン <1> と同じですから、「何であれ X であるものは、P である」というようなことが (10) では述べられているとわかります。(10) の a も Frege は数を意図していますので、(10) の内容は、「任意の数 a について、

(12)

が成り立てば、(11) が成り立つ」ということです。(11) と (12) の詳細については、この後で説明します。

こうしてここまでの説明から、表現 (1) の各くぼみに鎮座している e, d, a については、次のようなことが述べられていることがわかると思います。まず e については「任意の正の数 e は、A である」でした。d については「ある正の数 d は B ではない」または「B ではないような正の数 d がある」でした。そして a については「任意の数 a について、〜」でした。これをまとめると「任意の正の数 e に対し、ある正の数 d があって、任意の数 a について、〜である」となります。これは、上記田島先生の本にある関数の連続性の定義 7' における「任意の ε > 0 に対して、適当な δ > 0 を決めると、しかじかであるすべての x について、〜である」に相当していることがわかると思います


次に、まだ説明していなかった (11) と (12) について解説します。

(9) の部分は (11) と (12) から成りますが、(11) と (12) は、以下の基本パターンを持っています。<5>

この表現の内容は、Frege によると、「B かつ A」ということです*9。つまり連言を表します。したがって、まず (12) の内容は、

    • a < x + d

かつ

    • a > x - d

ということです。

このうち前者の式は、不等式の移項の法則により、

    • a - x < d,

後者の式は、同様にして移項の法則により、

    • a - x > -d,

そして不等式については、-α > -β ⇔ α < β ('⇔' は同値記号) でしたから、この a - x > -d は、

    • -( a - x ) < d

となります。こうして二つの式 a - x < d と -( a - x ) < d が (12) から出てきたことを、少し覚えておいてください。


ところで絶対値の定義を復習しますと、

実数 α について、

α ≧ 0 ならば | α | = α,

α < 0 ならば | α | = -α

でした。この時、α が0以上の実数ならば、| α | = α, 一方 α が0 未満の実数ならば、-α は -α > 0 であり、その場合 | -α | は α となります。つまりその時、| -α | = α. よって、| α | = α = | -α |, すなわち | α | = | -α |. そうすると、つい先ほど、「覚えておいてください」と述べておきました二つの式 a - x < d と -( a - x ) < d について、a - x を α とおけば、これら二つの式は、α < d と -α < d となって、| α | < d と | -α | < d は、 | α | = | -α | により、| α | < d ⇔ | -α | < d となり、ここで α を元の a - x に戻せば、| a - x | < d ⇔ | -( a - x ) | < d となります。


さて、(12) の内容は

    • a < x + d

かつ

    • a > x - d

でした。これらは

    • a - x < d

かつ

    • -( a - x ) < d

のことでした。そしてこれらを絶対値記号で書き表すと、

    • | a - x | < d

かつ

    • | -( a - x ) | < d

となりました。その上、これら最後の二つは、同値でした。よってこれら二つの式は、いわば同じことを述べていますので、一方だけで十分です。例えば、| a - x | < d だけで十分です。この結果、(12) の内容、

    • a < x + d

かつ

    • a > x - d

を絶対値記号で書き表せば、

    • | a - x | < d

で十分であることがわかります。つまりこの最後の式が (12) の内容だ、ということです。



続いて (11) の内容は、

    • Φ(a) - Φ(x) < e

かつ

    • Φ(a) - Φ(x) > -e

ということでした。後者は

    • -( Φ(a) - Φ(x) ) < e

と直せます。したがって (11) の内容は、

    • Φ(a) - Φ(x) < e

かつ

    • -( Φ(a) - Φ(x) ) < e

です。そしてこれらを絶対値記号で表しますと、先ほどの説明と同様にして、

    • | Φ(a) - Φ(x) | < e

で十分であることがわかると思います。つまりこの式が (11) の内容だ、ということです。


こうして (12) の内容は | a - x | < d, (11) の内容は | Φ(a) - Φ(x) | < e ですので、(12) ならば (11) であるという (9) の内容は、

    • | a - x | < d ならば | Φ(a) - Φ(x) | < e,

より詳しくは、

    • 任意の数 a について、| a - x | < d ならば | Φ(a) - Φ(x) | < e

となります。


さて、(9) の内容説明が長くなりましたが、(11) と (12) に対してなした詳細な説明文の直前に戻っていただきたいと思います。そこでは表現 (1) の各くぼみに鎮座している e, d, a について、「任意の正の数 e に対し、ある正の数 d があって、任意の数 a について、〜である」となることが述べられていました。今まで (9) の内容説明を詳しく記してきましたが、それは「任意の正の数 e に対し、ある正の数 d があって、任意の数 a について、〜である」における「〜」の部分を説明してきたのでした。したがってこの「〜」には、(9) の内容が入ります。それを入れますと、次のようになります。

Frege による ε-δ 論法を用いた関数の連続性の定義: 関数 Φ が x で連続であるとは、

    • 任意の正の数 e に対し、ある正の数 d があって、任意の数 a について、| a - x | < d ならば | Φ(a) - Φ(x) | < e である、

ということである。

これが上記田島先生の ε-δ 論法による関数の連続性の定義、

定義 7'. f(x) は a およびその近くで定義されているとする。任意の ε > 0 に対して、適当な δ > 0 を決めると、

     | x - a | < δ のすべての x について | f(x) - f(a) | < ε

となるならば、f(x) は x = a で (あるいは点 a で) 連続であるという。

と同じであることは、よくわかると思います*10。こうして Frege は ε-δ 論法に依りながら、自身の論理的言語である Begriffsschrift を使いつつ、自然言語を利用せずに、関数の連続性を定義していることがご理解いただけたと思います。長い説明ですみません。


同様にして Frege は ε-δ 論法に依拠しながら、論理的言語である Begriffsschrift を用い、自然言語を使わずに、極限も定義しています。Carnap の筆記 note から引きますと、次がそれです。

(13) *11

これも田島先生による ε-δ 論法を用いた極限の定義と同じであることが説明できます。しかしその説明は、上記の関数の連続性の説明と基本的に同じですので、またまた説明が長くなりますことから、省きます。ただ、どうして (13) が現代の極限の定義と同じであるのか、それがわかるよう、point になる事柄を少しだけ述べておきます。

Point の一つ目。

まず、数列について復習します。今、実数からなる一つの数列が与えられた時、各自然数 n に、その数列の n 番目の数を対応させれば、自然数の集合 N から実数の集合 R への一つの写像が得られます。逆に、N から R への任意の写像 s が与えられたならば、s による1の像 s(1), 2の像 s(2), …, n の像 s(n), … を一列に並べることによって、数列、s(1), s(2), …, s(n), …, が得られます。ここからして、自然数の集合 N から実数の集合 R への一つの写像と、一つの数列とは、同じものであることがわかります*12。そこで数列を、単純に写像のごとく 'y = s(x)' と書くことができます。

さて、(13) の右側にある lim 記号について、そこでは ξ が ∞ に等しい時、ξ の Φ による像、つまり関数の値は、A になる。A に限りなく近づいて、A が極限値である、と述べられています。この (13) における極限の定義を、現代風に書き直すならば、ξ は自然数 n を取り、写像 Φ は数列 s を表していて、ξ に取られる n が無限 ∞ に向って近づいていく (→) 時、n の s による像 s(n) は A に限りなく近づく、となります。このように (13) の lim 記号を書き換えたものが、ちょっと不恰好ですが、次です。's' を見栄えの点から大文字にしてあります。

(14)

Point の二つ目。

Frege は (13) において、'A - Φ(a) > -e' および 'A - Φ(a) < e' と書いていますが、不等式に関しては一般に、-α > -β ⇔ α < β が成り立つのでしたから、'A - Φ(a) > -e' は、'Φ(a) - A < e' と書き直すことができ、'A - Φ(a) < e' は 'Φ(a) - A > -e' と書き直すことができます。こうすると、現代において通常書き表される仕方に近づいて、少しわかりやすくなると思います。

以上の二つの point を念頭に置きながら、(13) を精査していただきますと、最初の方で上げた田島先生による ε-δ 論法を使った極限の定義 1' に (13) が相当することが、わかると思います。


4. 数学史における ε-δ 論法の意義

こうして Frege が ε-δ 論法を利用しながら、数式と論理学の言葉を使い、自然言語を用いずに、関数の連続性や極限を定義していることが確認できたと思います。それでは、このことは数学史と哲学史の中で、何か重要性を持つとするならば、それにはどのような意義があるのでしょうか。要点は二つあります。その定義では、1) ε-δ 論法が利用されていることと、2) 自然言語を用いずに、数式と論理学の言葉だけで、解析学の基本概念が定義されていることです。
ここでは、2) については、かなり後の方でわずかに取り上げることにして、まず一つ目の 1) について考えてみます。ε-δ 論法は数学における重要な証明方法の一つです。この論法は数学史の中でどのような意義を有するのでしょうか。手短には次のように言うことができます。

主としてコーシーとヴァイヤーシュトラースによってなされた解析学の厳密化が別に、「ε-δ 論法」と呼ばれることは周知であろう。*13

解析学の厳密化」の別名が「ε-δ 論法」と言われています。今度は、もう少し言葉を継いだ説明を見てみましょう。

 ε-δ 論法という言葉は、「解析学の厳密化」と切り離せない。Lagrange や Cauchy が、極限操作を不等式による表現で置き換えたこと、それにより「限りなく近づく」という幾何学的な概念が、代数的な処理に帰着されるようになったことは、微積分に関する演算を間違いなく行なうという意味で、重要な段階であった。*14

ここでも 解析学の厳密化と ε-δ 論法が密接に結び付けられています。そして、関数の極限や連続性の定義で現れる、近づいて行く数と近づかれる数との間の限りなき漸次的接近という動的な運動の様子が、ε-δ 論法における静的な不等式によって取って代わられたことが言われています。また次のようにも述べられています。原文にあった註は省き、代わりに引用者が一部、註を付しています。

解析学の厳密化」は、19世紀の数学を特徴づけるときにしばしば用いられる表現である。厳密化という言葉の中に含められた要素はいくつもあるが、その一つとして、連続関数列の無限和が不連続関数になる*15、いたるところ微分不能な連続関数といった*16、直観的に把握するのが難しい、級数や関数の精緻な性質が認識され、分析されるようになったことが挙げられよう。そして、そのための方法として、19世紀には、解析学の対象を直観にとらわれることなく代数的に考察する ε-δ 論法とよばれる手法が用いられるようになっていた。*17

解析学の厳密化を推し進めるに当たって、ε-δ 論法が用いられたと言われています。その方法により、直観に依存せず、微妙な概念の把握が可能になった、あるいはそもそも直観によっては把握できないような、概念の微妙な違いを捉えることが可能になったと述べられています。このことは「直観への依存から、直観からの脱却へ」と、端的に言い表すことができるでしょう*18。次の言葉も、Cauchy の ε-δ 論法と Weierstrass の ε-δ 論法の違いを述べることを通して、ε-δ 論法が解析学において直観からの脱却を推し進め、事柄の正確な把握を可能にしたことが語られています。ここでも原文にあった註は省いて引用します。

 [Weierstrass による] 1861年講義の内容は、多くの部分を Cauchy の議論を整理・修正したものに依っている。しかし、Weierstrass は、ε-δ 論法だけで議論が完結するように Cauchy の成果を再整理しただけにとどまらず、より根本的な部分で今日の理論形成に向けて、一歩先に踏み出していた。Cauchy の極限の導入の仕方は、まず、視覚的に捉えられる状況を思い浮かべ、それを不等式という代数的な表現で記述したものであった。18世紀の成果を引き継ぐのであれば、それは自然であるし、その上での議論はもちろん代数的になされているが、出発点には視覚的なイメージがあった。一方、Weierstrass はさまざまな概念を直接 ε-δ 論法で定義してしまい、それらを導入するための前提としてそのようなイメージを必要としないような議論を進めている。Weierstrass の極限は、不等式によって代数的に定義されたもの以上の意味はない。ε-δ 論法は極限を含む概念を代数的に捉える方法と規定するならば、極限にかかわる、そもそもは視覚に訴える概念を代数的に記述・処理できることを着想したのが Cauchy, それらに伴うイメージを払拭し、純粋に代数的に規定したのが Weierstrass であるとして、ふたりの寄与を評価することができよう。*19

以上から、Frege による関数の連続性と極限の定義は、比較的早い段階で ε-δ 論法を使用していることにより、彼が解析学の厳密化の流れに棹差していた、と考えることができます。


5. Frege による ε-δ 論法使用の数学史上および哲学史上の意義

それでは、哲学史においては、ε-δ 論法を利用した Frege の定義の試みは、どのような意義を持つのでしょうか。それについては Coffa さんの話を聞いてみましょう。長くなりますが引用します。反芻して考えてみる必要のある文章です。仰りたいことはわかりやすいですし、印象深くもある文章です。引用文の細部は置いておきながら、要点をつかみつつお読みいただければと思います。なお、Coffa さんの付けておられる註は省き、代わりに引用者の註を一部、付けています。

 During the eighteenth century the calculus was a Kuhnian's paradise: lots of wonderful exemplars fuelled a staggeringly successful puzzle-solving tradition. The growing ranks of practitioners shared several basic symbolic generalizations, formulas expressing equations and inequalities, which were fruitfully applied to all sorts of problems. To make matters even better, no one really knew what exactly was going on. Even though there was wide agreement on which symbolic generalizations one should assent to when prompted by appropriate stimuli, most people had their own strange interpretation of what these formulas said, and most or all of these interpretations made only modest sense. Moreover, as Kuhn might have predicted, it was a philosopher, the good Bishop Berkeley, who decided to issue a public complaint (in The analyst) about the incoherence of the whole enterprise, and specifically about the fact that no meanings were attached to the symbols most crucial to the calculus. (As a ''good'' philosopher, he wanted definitions, he was worried about ''essences,'' he was worried about meaning rather than theory, etc. etc. In short, he violated every rule in the book of post-positivistic methodology.) As Kuhn would also have predicted, Berkeley's complaints did not stop anyone from following the proto-Kuhnian advice attributed to d'Alembert: ''Allez en avant et la foi vous viendra!''*20
 But around 1800 Kuhnian predictions started to go awry. For, this time, mathematicians themselves started to talk about meaning, to try to figure out what exactly was the meaning of each of the basic expressions of the calculus, the meaning of continuity, differentiability, infinitesimal, function, and so on. The ultimate purpose of this emerging project was not to produce some new theorems or to solve some new puzzles but to figure out what exactly it is that the calculus says, what its content is, what information it conveys. The question was clearly a semantical question. It is therefore not entirely surprising that the person who took semantics out of the swamp in which it had been sinking since Descartes was also the one who took the first decisive step in the philosophico-mathematical project known as the rigorization of the calculus. That first step was taken in Bolzano's paper of 1817 on the intermediate-value theorem. It is worth pausing for a moment to consider what Bolzano did in that paper.
 Bolzano's problem was to prove that a continuous real function that takes values above and below zero, must also take a zero value somewhere in between. A Kantian would probably regard this as trivial: if the point whose path we are considering is moving from the negative to the positive quadrant and the path is continuous it must surely intersect the x axis at some point. Bolzano's problem looks like a problem only to someone who has already understood that intuition is not an indispensable aid to mathematical knowledge, but rather a cancer that has to be extirpated in order to make mathematical progress possible.
 Bolzano began by defining continuity in the now standard manner, in terms of epsilons and deltas (not his notation); he then defined convergence for series and gave the criterion now wrongly attributed to Cauchy; then he stated and proved the Bolzano-Weierstrass theorem (modulo a theory of real numbers) and, on that basis, he finally proved the intermediate-value theorem. It was the first time anyone had introduced these concepts and proofs. If Kant had known about Bolzano's paper there can be little doubt that he would have regarded it as a philosophically incoherent effort to prove the obvious. The paper was, instead, one of the landmarks of nineteenth-century mathematics.
 Bolzano made many more brilliant contributions to this project of conceptualizing analysis −most of them ignored; but other mathematicians, including Cauchy, Weierstrass, Dedekind, and Cantor, eventually carried the project to completion, establishing that there need be in mathematics no more intuition than there is in arithmetic.
 But, how much intuition is there in arithmetic? This is the question Frege raised about 1880.
 Like Bolzano's, Frege's project started with the decision to take meanings, content seriously. Like Bolzano's, the semantic project of Begriffsschrift was put to the test in a theory of mathematics, which is sketched in Grundlagen. The most fundamental result of Grundlagen, as Frege explained it years later, was his treatment of what he had called ''number-statements'' (Zahlangaben), statements in which we say that there is a certain number of objects of a certain sort. Frege wondered what these statements were about: About counting? About putting things together in the synthetic unity of apperception? About multitudes? The answer was no, in each case. Frege's own verdict, as you recall, is that they are all about concepts. For example, he argued, when I say that Jupiter has four moons, I am actually talking about the concept 'x is a moon of Jupiter' and saying of that concept that it has an instance, and then another, and so on. In the end, objects came to play a decisive role in Frege's picture of arithmetic, but pure intuition was consistently kept at arm's length. There are many ways of looking at Frege's marvelous book; I prefer to think of it as a gigantic fly-swatter, ominously surveying the whole field of arithmetic, ready to squash pure intuition as soon as it comes in. My version of logicism is therefore this: Bolzano and his followers maneuvered pure intuition out of analysis and into arithmetic where Frege's fly-swatter finally finished it off.*21

各段落を大まかに要約してみます。そして小見出しを付けてみます。

通常科学としての18世紀解析学
18世紀において、解析学は、Kuhn の言う通常科学の状態にあった。当時、多くの数学者が次々と問題を解いていた。どの式が正しくて、どの式が間違っているのか、広く合意ができていたが、正確には自分たちが何をやっているのか、わかっておらず、それぞれがもっともらしい解釈を数式に与えていた。これに対し、哲学者の Berkeley が異議を唱え、解析学の最も重要な記号に対し、きちんとした意味が与えられていないと訴えた。しかしそれで数学者が自分たちのやっていることに疑問を持つことはなかった。


解析学の意味論的な反省の開始
だが、1800年頃、数学者も解析学の基本的な言葉のいみについて考え始めた。このような試みの最終的な目的は、解析学が言おうとしていることは何なのかを詳らかにすることであり、明らかにこの問いは意味論的な問いである。この試みである解析学の厳密化の最初の一歩を踏み出したのが、Bolzano による中間値の定理に関する1817年の論文である。


直観の不要な Bolzano の問題
実連続関数がゼロの上と下の値を取るならば、その関数は、その上と下の間のどこかでゼロの値を取らねばならないことを証明せよ、というのが Bolzano の問題だった。その関数の点による軌跡が第三、第四象限から第一、第二象限へと走っている時、軌跡が連続であれば、その軌跡は x 軸のどこかで交差せねばならない。これは自明と思われるだろう。この問題は、数学の知識にとって、直観が必要不可欠とは限らないとするだけではなく、むしろ直観は取り除かれねばならない腫瘍でさえあるのだと見なしていることを教えている。


ε-δ 論法を駆使することで直観を排除した、Bolzano の厳密で正確な定義と証明
まず Bolzano は ε-δ 論法に相当する、現在標準的な方法で連続性を定義している。次に数列の収束を定義し、誤って Cauchy に帰せられている収束条件を与えている*22。それから Bolzano-Weierstrass の定理を提示し、証明を行った。連続性や収束の概念が正確に定義され、今述べた定理が証明されたのは、この時が初めてだった。Kant が Bolzano の論文を知っていたならば、自明なことを改めてことさら証明するなんて、おかしなことだと思っただろう。しかしこの論文は、19世紀数学の画期を成したのである。


解析学の厳密化: 直観は自然数論だけにしかいらない。
Bolzano は解析学の厳密化に対し、多くのすばらしい貢献を行ったが*23、Cauchy, Weierstrass, Dedekind と Cantor たちが、結局この厳密化を完遂し、数学には算術 (自然数論) に必要なだけの直観しかいらないのだ、数学に直観が必要だとしても、それは算術 (自然数論) に必要な分だけだ、ということを立証してみせた。


Frege: 直観は自然数論にどれだけいるのか?
では、算術 (自然数論) には、どれだけの直観が必要なのか? これが、1880年頃、Frege が提起した問題である。


いみの理論から始める Frege − Frege 曰く、自然数論に直観はいらない。 − 論理主義: Bolzano, Cauchy, Weierstrass たちが解析学から直観を自然数論へと追い出し、自然数論において直観を始末する Frege による試み
Frege は Bolzano と同様に、いみや内容とされるものを真剣に考えるところから始めた。Bolzano と同様の方略により、Begriffsschrift という論理学に伴われたいみの理論は、Grundlagen で素描されている数学の中で、試験にかけられた。Grundlagen での最も重要な成果は、ある種類のものが、ある数だけあることを言う数言明の扱いにあった。そのような言明は、何についての言明なのか? 数えること? ものを一緒にまとめ上げ、統覚により総合的に統一することなのか? それとも多様性について? 答えはどれも「否」である。Frege の下した評決によると、件の言明はどれも概念についてのものなのである。例えば、木星は四つの衛星を持っていると言う時、実際に語っているのは、x は木星の一つの衛星である、という概念についてであり、かつ、その概念には一つの具体例があり、また別のもう一つの具体例があり、また別のもう一つの …, また別のもう一つの …, と言うことについて語っているのである。結局、Frege の思い描く算術においては、概念に帰属する対象というものが決定的な役割を果たすのだが、Kant の言うような純粋直観なるものは、一貫して遠ざけられているのである。Frege の手になる素晴らしい本を、どのように特徴付ければよいのかについては、色々な視点から見ることができるだろう。私としては、彼の本を巨大なハエたたきとして見るのが好きだ。恐ろしげな眼で算術の全体を見渡して、純粋直観がそこに入ってくるや否や、ぺしゃんこに叩きのめそうと身構えている巨大なハエたたき。それ故、私の解する論理主義とは、こうなる。Bolzano とその継承者たちが、解析学から純粋直観を追い出し、算術 (自然数論) に追い込んで、そこで Frege のハエたたきが、最後のとどめを刺す、というものだ。

以上のような感じでしょうか。初めは本当にかいつまんでいましたが、段々そうではなくなってきて、しまいにはほとんど逐語訳に近くなっていますね。なぜかいつもこうなってしまう。とはいえ、やはり大まかな訳だと思います。

それはさておき、解析学の厳密化においては、幾何学的直観が排除され、代数的操作による正確さが追究されました。Frege はこの流れを受けながら、論理学の語彙を使って ε-δ 論法を駆使しつつ解析学の基本用語を定義しました。ここでは解析学の基本概念から直観が排除されるのみならず、数式と論理学の言葉だけを使って定義が行われることにより、つまり、ドイツ語などの日常言語/自然言語が使用されないことにより、数学の用語だけでなく、普段の言葉にまとわりつく直観をも排除して、定義から可能な限り、直観を取り除いてしまっていると言えます。ところで上記 Coffa さんの英文の前で、ε-δ 論法が数学史の上で有する意義について、いくつかの引用文を書き連ねましたが、そこで Frege が ε-δ 論法を利用しながら、数式と論理学の言葉を使い、自然言語を用いずに、関数の連続性や極限を定義していることの意義として、注意すべき要点に 1) と 2) の二つがあると述べました。そしてその際、1) は説明しましたが、二つ目の「 2) 自然言語を用いずに、数式と論理学の言葉だけで、解析学の基本概念が定義されていること」については、説明していませんでした。この 2) については以下のように言えます。つまり、解析学の基本用語の定義に際し、ε-δ 論法を用いるのみでなく、自然言語を使わずに論理学の言葉だけで Frege が尽くしているということは、今しがた述べた通り彼が直観の入り込む余地を、数学的概念においてはもとより、自然言語においても、それこそ極限にまで縮減し、ついに無に帰せしめた、ということを表しているということです*24。そしてここにおいて解析学の厳密化が、行くところまで行った、ということです。これは解析学の厳密化の極点、終着点を表しています。さらに言うと、自然言語を排し、論理学の言葉だけに徹すること、これは終着点であるとともに、また起点ともなりました。今まで述べてきた Frege による ε-δ 論法を利用した、論理学の言葉だけの定義は、Frege の専門家である野本先生よると、

実数論における「実関数の連続性」や「数列の収束、その極限」といった解析学の基本概念の史上初の厳密な論理的定義: […]*25

なのだ、ということです。「史上初の厳密な論理的定義」! Frege は解析学の厳密化をその極点にまで推し進めるとともに、その極点から、そこが起点となって論理学の途方もない威力を示し始めたのだ、と言えます。現代論理学の威力が発揮されるのは、多重量化という装置によってだ、と言われています*26。ε-δ 論法の歴史を検討した文献や、現代の教科書を読むと、しばしば目にするのは、その論法で注意せねばならないこととして、その論法による定義で、量化子がどのような順番で出てくるのか、どの量化子がどの量化子に依存しているのかという点だ、とされている記述です。ここからして、解析学の厳密化における直観の排除と量化子の明示的かつ慎重な利用とが初めて自覚的に完遂されたということこそ、ε-δ 論法の歴史的意義だと考えることもでき、直観からの脱却と、多重量化という論理学的装置の意識化というこの二点が ε-δ 論法の意義だすることもできます。事実、解析学の厳密化の意義を、直観からの脱却は当然として、多重量化の自覚的な獲得に重点を置いた説明もあります*27。直観から身を振りほどき始めただけでなく、論理学の威力にあずかり始めたのは ε-δ 論法によって解析学の基本概念を定義してみせた時からであり、この定義に対し、直観の排除と論理学の導入の二つをフルで遂行してみせたのが、Frege だったのだ、というわけなのです*28

さて、この日記項目の初めにおいて、Frege が1880/1881年の論文 ''Booles rechnende Logik und die Begriffsschrift'' で、関数の連続性や極限を ε-δ 論法によって論理学の言葉を使いながら定義していることを述べました。この時が、今までの話から解析学の厳密化の歴史的頂点と言えると思います。その後、解析学の厳密化を終えた Frege は、解析学の算術化*29を突き抜けて、自然数論の厳密化へと至りました。このことは先ほどの Coffa さんの英文において、最終段落中に記されていることです。つまり、1884年Grundlagen において、少なくとも自然数論から直観を排除し、論理学を全面展開して、幾何学を除く数学のすべてが、直観を逃れた論理学の上に丸ごと建設可能であることを予告し、その様を素描しました。そしてこの予告を現実のものとすべく Grundlagen での素描を1893年1903年Grundgesetze で Frege は事細かに実行してみせたのだ、ということになります。


6. おわりに

見てきたように、Bolzano から始まり、Cauchy, Weierstrass を経て、Frege へと至る解析学の厳密化の流れがありました。この流れの渦中で Frege は、解析学のみならず、自然数論においても直観からの脱却を図り、論理学を幾何学以外の数学全般に全面展開して行きました。ε-δ 論法を通し、脱直観と汎論理化を極限にまで推し進めた Frege. このような見取り図は、どの程度、論駁に耐えうるのでしょうか? その答えは今後の検討にゆだねたいと思います。


以上の記述に対し、間違いや誤字、脱字などがあれば、大変すみません。至らない点に関し、お詫び申し上げます。

*1:田島、90ページ。

*2:田島、91ページ。

*3:田島、1ページ。

*4:田島、2ページ。

*5:Frege, ''Vorlesungen über Begriffsschrift,'' p. 21.

*6:ここでの「Frege の理解に沿って」という言葉を言い換えると、普通行われているように、Frege による表現を現代の古典述語論理の式に翻訳した上で、その式が何を述べているのかを解説するのではない、ということです。私たちは通常、Frege による表現を、何気なく現代の式に翻訳して、それからこの翻訳した式に基づいて、Frege が考えていたことを把握しようとしますが、深く考えずに行っているこのような行為は、手っ取り早くはありますが、理解の妨げになったり、誤解のもととなりますので、できるだけ避けたいと考えます。Frege の表現を現代の論理式に直して、その上で話を進めて行った方が楽ですし、それこそ話が早いのですが、正確さを期するため、ここでは回りくどいやり方を取らせてもらいます。大変回りくどく、長い解説を行うことになります。お手間おかけすることになってしまい申し訳なく思いますが、何卒ご了承いただければと存じます。なお、Frege の表現を現代の論理式に翻訳して理解する行為が、致命的な危険性をはらんでいることについては、次の文献をご覧ください。Gregory Landini, ''Decomposition and Analysis in Frege's Grundgesetze,'' in: History and Philosophy of Logic, vol. 17, no. 1, 1996, Gregory Landini, Frege's Notations: What They Are and How They Mean, Palgrave Macmillan, History of Analytic Philosophy Series, 2012, Alessandro Bandeira Duarte, ''On the Rule of Substitution for Functions in Begriffsschrift,'' Manuscript, September 5, 2011.

*7:以下の基本パターン <1> 〜 <4> の説明は、すべて Frege の Begriffsschrift の§12にあるものです。

*8:Frege の Begriffsschrift, §18をご覧ください。

*9:Frege の Begriffsschrift, §7をご覧ください。

*10:Frege の定義と田島先生の定義とでは、文字 'a' と 'x' の役割が、ちょうど入れ替わっていることに気を付けてください。

*11:この定義の右側にある 'lim' の下には、小さな字で見にくいかもしれませんが、'ξ = ∞' と書かれています。

*12:ここでの、数列と自然数から実数への写像を同一視できるという解説は、次における説明をほとんどそのまま引いてきています。松坂和夫、『集合・位相入門』、岩波書店、1968年、42-43ページ。

*13:佐々木力、『数学史入門 微分積分学の成立』、ちくま学芸文庫筑摩書房、2005年、201ページ。

*14:中根美知代、「ε-δ 論法の形成過程の考察 解析学の基礎の転換の要因」、『数理解析研究所講究録』、京都大学数理解析研究所、1195号、2001年、59ページ。

*15:いわゆる各点収束/点別収束と、一様収束の違いに当たります。

*16:例えば、Weierstrass の、あの激しくギザギザな、病的な関数のことを言います。大雑把な言い方ですみません。

*17:中根美知代、「ε-δ 論法による微積分学の形成における Cauchy と Weierstrass の寄与」、『科学史研究』、岩波書店、第II期、第48巻、no. 251, 2009年秋号、142ページ。

*18:数学において、とりわけ幾何学において、どのようにして直観がその信頼性を失って行ったのか、ということを解説した、参考になる文献に、次のものがあります。H. ハーン、「直観の危機」、J. R. ニューマン他編、林雄一郎訳編、『数学と論理と』、科学技術選書、東京図書、1970年。著者は logical positivist/logical empiricist の Hans Hahn, Gödel の先生である Hans Hahn で、この文献はそもそも1932-1933年頃に行われた講演が元になっており、ドイツ語で刊行されたようですが (''Die Krise der Anschauung'')、英訳もされており、ここでの邦訳は、この英訳からの重訳です。『数学と論理と』、186ページ、脚注 *). Hahn はこの講演で、「純粋直観というカントの教義に対する反対が物理学の場合よりも早く提起された、数学の分野に目を転じ」、「私は主題を ''幾何学と直観'' に限定し、数学の発祥の地であるこの分野においてさえ、直観がどのようにして名声を損ない、ついにはまったく禁止されてしまうようになったかをお話ししたい。」と述べておられます。ハーン、「直観の危機」、193ページ。この文献中で Hahn が解説している直観に反する幾何学的事例には、次があります。ある点で接線を引けない曲線、いかなる点においても接線を引けない曲線、Peano 曲線、Brouwer が1910年に証明した地図、Sierpinski が1915年に証明した、すべての点が分岐点であるような曲線の存在、です。なお、この「直観の危機」の入った本『数学と論理と』にはこの他に、Boole の Mathematical Analysis of Logic, Lewis and Langford の Symbolic Logic, E. Nagel, Tarski の論理学入門, Whitehead and Russell の Principia, Russell の ''On Denoting'' などから抜粋した和訳が掲載されており、少し貴重なところがあるかもしれません。ちょっと古い本で、編者と訳者の先生には悪いですが、装丁も今ではパッとしないので、正直に言ってわざわざ手に取ってみようという気が起きない本なのですが、Hahn の文献を読んでみると、意に反してなかなか参考になりました。

*19:中根美知代、「ε-δ 論法による微積分学の形成における Cauchy と Weierstrass の寄与」、147-148ページ。および、次も参照。中根美知代、『ε-δ 論法とその形成』、共立出版、2010年、111-112ページ。

*20:「前に進め、そうすれば信頼はあなたのところにやってくるでしょう!」(とにかく、どんどんやってうまく行けば、後から大丈夫だとわかるようになるんだから、安心して解析学に取り組みなさい。)

*21:Alberto Coffa, ''Kant, Bolzano and the Emergence of Logicism,'' in William Demopoulos ed., Frege's Philosophy of Mathematics, Harvard University Press, 1995 (First published in 1982), pp. 35-38.

*22:周知のことなので蛇足となりますが、Bolzano の数学上の業績は、長い間、学界に知られずにいたので、その間に Cauchy が独立に業績を上げ、Cauchy の結果が先に一般に知られるようになりました。「誤って Cauchy に帰せられている」というのは、そのことを指します。

*23:直前の註を参照。

*24:ε-δ 論法が初めて一貫して正確に提示されたのは、Weierstrass の1861年における微分学の講義 (Differentialrechnung) においてだそうですが (中根美知代、『ε-δ 論法とその形成』、98ページ)、この中根先生の本の105ページに、Weierstrass が初めて現代流の極限の定義を行っている講義録の見開きの写真が掲載されており、その写真を見ると、小さい字ですが、講義録の多くが日常言語のドイツ語で記されているようです(講義なので日常語で語られたでしょうから、ドイツ語で記されているのは当たり前ですが…)。そしてところどころ数式が見られます。つまり、そこでは自然言語を交えながら ε-δ 論法で解析学の基本概念の定義を行っているということです。一方 Frege は、自然言語を排し、数式と論理学の言葉だけで定義していたということになります。(Frege も同じことを講義していますが、彼は定義をすべて数式と論理学の言葉で済ませてしまっている、ということです。)

*25:野本和幸、『フレーゲ哲学の全貌 論理主義と意味論の原型』、勁草書房、2012年、141ページ。

*26:例えば、飯田隆、『言語哲学大全 I 論理と言語』、1987年、勁草書房、「第1章 フレーゲと量化理論」における「1.1 ひとつの問題」および「1.2 文の論理形式」、つまり18ページから35ページ。

*27:M. ジャキント、『確かさを求めて 数学の基礎についての哲学論考』、田中一之監訳、培風館、2007年、11-15ページ。特に12ページに「鍵となるのは量化詞の組み合わせであり、[…]」とあります。このページ前後では ε-δ 論法の意義を論理学の側面に求めているところが強いと感じられます。

*28:ここで「論理学の導入」と言われている時の「論理学」とは、先ほど来の多重量化の装置を伴った論理学のことですが、中でも、ε-δ 論法による関数の連続性や極限の定義におけるごとく、そこに現れる多重量化が、普遍量化子、存在量化子という異なった量化子同士が重なり合って出てくる異種混合多重量化 (mixed multiple quantification) であることが、この際決定的に重要です。このように異種混合多重量化文を自在に駆使できるような論理学を導入したことが、Frege の大きな功績です。しかし、このことに対し、疑義を呈する向きもあります。それは Jaakko Hintikka さんです。Hintikka さんによると、Frege は実のところ、私たちのよく知っている現代的な多重量化について、彼は本当はよくわかっていない、Frege は現代の多重量化の核心部分を理解していないし、彼にはそれができないはずなのだ、と主張されておられます。このことに関連して、今回取り上げた Frege による ε-δ 論法を使った関数の連続性の定義の中で、Frege がちょっと興味深いことを述べていることに私は気が付きました。Hintikka さんの主張と突き合せて検討してみたい事柄なのですが、註の中で記述するには話が長くなりすぎますので、可能ならば、また後日この日記中に項目を別に立てて、記してみたいと考えております。予定されるその項目の名前は ''Frege and Hintikka on Quantifiers'' です。(ただし、別の名前に変えるかもしれませんし、結局掲載しないことになるかもしれませんが…。)

*29:解析学の算術化とは、簡単には、次のように説明されます。「そもそもは幾何学的な対象である連続量にかかわる諸問題を関数で表現して代数的に取り扱い、最終的には関数が定義される場である実数を自然数に基礎付けて定義するにいたる一連の流れは解析学の算術化と呼ばれている。この終着点、すなわち ε-δ 論法で極限を定義し、それによって実数の連続性を検討し、以降一貫して ε-δ 論法で議論を進めていく微積分を称して、ε-δ 論法による微積分という […]」、中根美知代、「ε-δ 論法による微積分学の形成における Cauchy と Weierstrass の寄与」、148ページ。