先日、次の書評を入手し拝読させてもらいました。
これは以下の本の書評です。
八杉先生の書評はおおむね好意的です。そしてこの書評の終りに次のようにありました。
最後に一つだけ、うっかりミスを指摘しておきたい。5.3.1 節のフレーゲの論理式の紹介で、A → B とあるが、正しくは B → A である。*1
気になったので、足立先生はご高著の該当箇所で、Frege のどのような表現を記しておられたのだろうかと思い、5.3.1 節を調べてみると、次のように書かれていた。(Frege 独特の図がちょっと大きくなりすぎていますが、許してください。)
[Frege の場合] 命題 A と B に対して、
は現代の記号で書けば、A → B に相当する。*2
あれ? 八杉先生は、足立先生のこの A → B は間違っていて、B → A が正しい、と述べておられますが、足立先生の方が正しいです。足立先生のままでいいです。上記引用文中の Frege の表現は、上の行に B があって、下の行に A がありますが、この場合、下の行が条件文の前件に当り、上の行が条件文の後件に当ります。ですので日本語で言えば、「A ならば B」となり、今の論理学の言葉で表せば、足立先生の記しておられる通り、'A → B' が正しいです *3。八杉先生が申しておられるようなミスをここで足立先生は犯しておられません。八杉先生はたぶん Frege 独特の表現法をまだ勉強されていらっしゃらないのだろうと思います*4。
では八杉先生は Frege の記法をご存じでないとすると、なぜ八杉先生は足立先生の A → B は間違っていて、B → A が正しい、と述べることができたのでしょうか? 実は上記引用文のすぐ後に、足立先生は次のように記しておられます。
[A → B は] 「A が否定され、B が肯定される」という場合以外のことが起こるという主張を意味する。すなわち論理学で言うところの「含意」 (implication) の真理値による定義が与えられている。*5
ここで足立先生は 'A → B' について、この式は論理学で言うところの含意、条件文であって、この式が成り立つのは、「「A が否定され、B が肯定される」という場合以外のことが起こる」時であると記しておられます。が、これは間違いだと誰でもすぐわかりますよね。正しくは 'A → B' が表わしているのは、「A が肯定され、B が否定される」という場合以外のことが起こるということですよね。しかし、足立先生が誤記されたように、「A が否定され、B が肯定される」という場合以外のことが起こるということを論理式に直せば、八杉先生の言われたように、'B → A' と書く必要があります。
おそらく、八杉先生は、Frege 独特の表現をご存じでなく、その Frege 独特の表現を説明している足立先生の言葉に、論理学の初歩の誤記を見つけられて、その足立先生の言葉に基づいて 'A → B' と書くのではなく 'B → A' と書かれねばならないとおっしゃったのであろうと推測致します。
うっかりミスの訂正がまたうっかりミスになっていたので、ちょっと驚きました。私の勉強している Frege に関する事柄でしたので記してみました。何だかややこしい話ですが、八杉先生も足立先生も、ご両人とも間違えておられるので、少し込み入っているけれども、簡単なことですので、わかりますよね。でも、私の説明も間違っているかもしれません。三人一緒に間違っていたりして。そうでしたら謝ります。余計混乱させているようでしたら大変すみません。ごめんなさい。八杉先生のような偉い先生でも間違えるんだと思って、ちょっと何だか安心しました。先生方は間違っておらず、私こそ間違っているようでしたら、お二人の先生方に深くお詫び致します。その場合は本当にすみません。訂正致します。あちこちで間違いをしでかしている私ですから、まずは自分の方を正さねばならないだろうと思います。誤解、無理解、勘違い、誤字、脱字等がございましたら、誠に申し訳ございません。