先日、次の文献を購入し、
- Nicholas Griffin and Bernard Linsky eds. The Palgrave Centenary Companion to Principia Mathematica, Palgrave Macmillan, History of Analytic Philosophy Series, 2013,
ここに入っている以下の論文を拝読した。
- Jan Woleński ''Principia Mathematica in Poland.''
この論文の冒頭で少し面白いことに言及されているので、引用してみます。Principia Mathematica にまつわる話です。いつものように、別に重大な話ではありません。勉強に疲れて一息入れたい方はご覧ください。
Russell says in his philosophical autobiography […]:
I used to know of only six people who had read the later parts of the book. Three of these were Poles, subsequently (I believe) liquidated by Hitler. The three other were Texans, subsequently successfully assimilated.
As far as I know nobody exactly identified the six readers of 'later parts' of PM until now. Ken[neth] Blackwell found correspondence from Russell's 1929 lecture tour of the U.S. in which he said that Texas contains 'the only known human beings who have read all three volumes of Principia Mathematica' […]. In 1959 he was asked about this and replied: 'I think they were only Texans by courtesy as, when I met them, they were students at the Rice Institute.' Russell does not say whether they were students of mathematics or philosophy. Although we do not know what Russell meant by reading later parts of PM, we can find some Polish candidates (perhaps even more than three) familiar with this book […].*1
この引用文の中で引用されている Russell の言葉を、原典から再度引用し、和訳があるので、それも併記してみます。
Both Whitehead and I were disappointed that Principia Mathematica was only viewed from a philosophical standpoint. People were interested in what was said about the contradictions and in the question whether ordinary mathematics had been validly deduced from purely logical premisses, but they were not interested in the mathematical techniques developed in the course of the work. I used to know of only six people who had read the later parts of the book. Three of these were Poles, subsequently (I believe) liquidated by Hitler. The other three were Texans, subsequently successfully assimilated.*2
ホワイトヘッドも私も『数学原理』がただ哲学的見地からのみ見られたことに失望した。人々は、矛盾について言われたことや、通常の数学が純粋に論理的な前提から正しく演繹されているかどうかという問題に、興味をもったが、この本の中で展開された数学的技巧には興味をもたなかった。ただ六人だけがこの本の終りの方の諸部を読み通したことを私は知っていた。そのうちの三人はポーランド人で後にヒットラーによって片づけられてしまったと思う。残りの三人はテキサス人で、後に首尾よく同化された。*3
Russell が My Philosophical Development を執筆した当時、あるいは、Principia が刊行されてしばらくの頃は、6人しかその本を読み通していなかったはずだという Russell の話は、まぁ、例によって多少の誇張が含まれるのだろうと思います。本気で受け取るわけにはいかないだろうと思います。とはいえ、確かに全部読み通した人の数は、あまり多くないだろうということは想像できます。この「6人だけ」という逸話は有名なので、私も知っておりました。
ここでちょっと脱線します。お急ぎの方は、この段落を飛ばしてください。次の段落から読むのを再開してください。さて、Woleński 先生の文章における Russell の話の中で、Principia を読み切った Texans は 'the Rice Institute' の学生だったと書かれていますが、the Rice Institute は Rice University の前身のようです。そして Russell の文では、この Texans について 'subsequently successfully assimilated.' となっていますが、これは正確には何をいみしているのか、詳しいことは私にはわかりません。私は当初、この3人の Texans とは Native American のことなのだろうと思いました。Texas は昔、Native American の人たちが多数居住していたところですし、America はこの人たちを首尾よく取り込んでしまっただろうと思います*4。あるいはそこはかつて Mexico 領でもありましたから、件の Texans は Mexican のことかもしれません。しかし、Russell の話では、Poland の Jewish logicians が Hitler によって抹殺された一方で、Texans はうまい具合に同化された、と言っていることから、ここで Russell は何か皮肉を利かせていると考えられるので、そうすると Texans が Native American のこといみしているとした方が何か皮肉が利いているでしょうから、Texans は Native American のことなのだろうと私は思いました。ですが、Woleński 先生の文における Russell の話では、件の Texans について、この3人が Texans なのは、単に Texas の the Rice Institute に所属していたから、'Texans' と呼んでいるだけだ、と述べられているので*5、別にこの Texans は Texas 生まれで Texas 育ちの Texas 人とは限らず、よそから来て the Rice Institute で学んでいる人物、というだけのことにもなり得ます。でも、そうだとすると、この3人が首尾よく同化されたというのは、どういうことなのか、またそのことが抹殺された Polish logicians と、どうして対比されているのか、よくわからなくなります。どのようなことを Russell は言おうとしているのか、ものを知らない私にはよくわからないのですが、まぁ、このことの詮索は、よしておきます。
閑話休題。Russell の話では Principia を読み通したのは、戦前の Poland 人には3人いたとされているようですが、今扱っている Woleńsk 論文では、この3人が誰なのかを少しばかり検討しています。その3人が特定されるようならば、これはなかなか面白い。それで Woleńsk 先生は、論文中で私もあまり知らない Poland 人の名前をいくつか挙げておられます。しかし、それほど執拗に徹底的に該当者を調べ上げるというほどのことは、されておられないように見えます (すみません、Woleńsk 先生。実は、非常に苦心した上で、先生は論文をお書きになられていたのかもしれません。そうでしたらお詫び致します。でも、長時間に渡って多大なる労力を払い、これ以上にはないというほどの探索がなされた、という印象は個人的には受けなかったのです。)。Woleńsk 論文は、この3人を特定する追跡劇を事細かに描き出すというのではなく、その論文の多くは、戦前の Poland で Principia を最もよく研究していたであろう3人の研究者を取り上げ、彼らが Principia の何について論じていたのかを、記しています。その3人とは、ある程度推測が付くように、Chwistek, Leśniewski, and Tarski です。Woleńsk 論文の話の起こしでは、戦前に Principia を読み切ったとされる3人の Poland 人は誰だったのか、という疑問が提起されていましたが、残念ながらその人々が誰だったのかを断定する決定的な証拠がなかったためか、私の期待には若干反して、Woleńsk 論文は主に Chwistek, Leśniewski, and Tarski と Principia との関係を解説している感が強いものとなっています。Woleńsk 論文の結論を引用してみます。
Can we identify three Poles who read the later parts of PM after reporting the influence of this work in Poland? I am afraid not. Chwistek, Zawirski and Tarski quoted the second volume, but none of them was liquidated by Hitler; Chwistek died in Moskva [Moscow] in 1944, Zawirski in 1948 in Kraków [Cracow] and Tarski in 1983 in the USA. Russell probably never heard of [Polish mathematician] Sleszyński, who could have read the entire PM - he died in 1931. Russell could have thought about Leśniewski, but the latter died in 1939 (before September 1939 [when WWII broke out]). On the other hand, the Nazis killed several other Polish logicians, who could have read PM, even the later parts of this great work, for example, Adolf Lindenbaum (died about 1941) or Mordechaj Wajsberg (died about 1943). However, deliberations about the individuals to whom Russell referred in his book is without any importance for showing how important the grand work of Whitehead and Russell was in Poland and how it contributed to the development of Polish School of Logic.*6
Chwistek, Leśniewski, and Tarski は、Principia を読み切っていたかもしれませんが、いずれも強制収容所で亡くなってはいません。Zawirski もそのようですし、Sleszyński という方もそのようです。一方、強制収容所で亡くなった可能性のある論理学者に Adolf Lindenbaum と Wajsberg がおり、このお二人は、たぶん Principia を読み切っていた可能性がありますが、Russell が言う3人にこの Lindenbaum と Wajsberg が含まれていたのかどうかは、はっきりしません。
ここで私の方で、ちょっと調べてみますと、the Lvov-Warsaw School について、今でも真っ先に参照される本に、
- Jan Woleński Logic and Philosophy in the Lvov-Warsaw School, Kluwer Academic Publishers, Synthese Library, vol. 198, 1989
があり、この中に、'The List of the Philosophers of the Lvov-Warsaw School Mentioned in This Book' と題された page があります。それは pp. 352-353 に出てきます。そこでこれを参考に、Russell の言う3人の候補を考えてみました。Russell も知っていたかもしれない、名の知れた、かつ該当しそうな logician, philosopher を、私の一存で pick up してみますと、以下の通りです。もちろん人によっては、異なる方々を pick up すると思いますが。
K. Ajdukiewicz (1890-1963)
I. Bocheński (1902[-1995])*7
[L. Chwistek (1884-1944)]*8
T. Czeżowski (1889-1981)
I. Dąmbska (1904-1983)
Janina Hosiasson-Lindenbaum (1899-1942)
S. Jaśkowski (1906-1965)
T. Kotarbiński (1886-1981)
C. Lejewski (1913[-2002])*9
S. Leśniewski (1886-1939)
Adolf Lindenbaum (1904-1941(?))
J. Łukasiewicz (1878-1956)
A. Mostowski (1913-1975)
M. Presburger (?[1904]-1943(?))*10
J. Salamucha (1903-1944)
J. Słupecki (1904-1987)
B. Sobociński (1906-1980)
A. Tarski (1901-1983)
W. Tatarkiewicz (1886-1980)
M. Wajsberg (1902-[1943]?)*11
Z. Zawirski (1882-1948)
この表の中で、大戦中 (またはその直前) に亡くなったと思われるのは、次の方々です。
L. Chwistek (1884-1944)
Janina Hosiasson-Lindenbaum (1899-1942)
S. Leśniewski (1886-1939)
Adolf Lindenbaum (1904-1941(?))
M. Presburger (?-1943(?))
J. Salamucha (1903-1944)
M. Wajsberg (1902-[1943]?)
私の勝手な推測では、この中に Russell の言う3人が含まれているのではないかと、個人的に思います。この表から3人に、あまり根拠もなく、無理やり絞ってみます。
まず、Janina Hosiasson-Lindenbaum さんは候補から外れるだろうと思います。なぜなら彼女は専ら自然科学、経験科学における方法論としての帰納法の専門家であったようで*12、Principia を読んでいたかもしれませんが、自然科学の帰納法の哲学に関する専門家が Principia を最後まで読み切らねばならない必要性は、おそらくですが、なかっただろうと推測されます。これだけでは彼女が Principia を読み切っていないとするには根拠薄弱ですが、強制的に3人に絞り込むため、彼女は外れてもらうことに致します。
次に Salamucha 先生は logician というよりも哲学者、神学者であると思われますし、先生がお亡くなりになられたのは、強制収容所ではなく、Warsaw Uprising の際だったと思いますので、候補から外れていただきます。そうすると、上の表は次のようになります。
L. Chwistek (1884-1944)
S. Leśniewski (1886-1939)
Adolf Lindenbaum (1904-1941(?))
M. Presburger (?[1904]-1943(?))
M. Wajsberg (1902-[1943]?)
これらの方々は、支障なく logician と言えると思います。やはり支障なく Principia を読み切っていた可能性があると言えると思います。問題はこの中から Russell の言う3人に絞り込むことです。最初の2人は強制収容所では亡くなっていません。後の3人は強制収容で亡くなっているものと思われます。一番最初の Chwistek については Russell は「見知っていた」と言えます。2人は何度も文通していました。彼らの書簡は公にされているので、お互いが知り合いだったことはよく知られていると思います。と言うよりもむしろ、Principia の 2nd ed. で Russell は Chwistek に言及していたことで知られているでしょう。上記の表の2人目、Leśniewski についても Russell は「見知っていた」と言えます。Russell が Leśniewski のことをよく知っていたか、よく覚えていたか、そのあたりはわかりませんが、Leśniewski は Russell に手紙を出していて、Russell から返事ももらっていますので、Russell は Leśniewski のことを知っていたことになります*13。残りの3人について、Russell が知っていたのかどうかは、私にはわかりません。私のまったくの個人的推測では、Chwistek と Leśniewski に比べ、Lindenbaum, Presburger, and Wajsberg たちは非常に若く、実際、1901年生まれの Tarski より年下であり、Principia の1st ed. が出た時には、まだ10才ぐらい、2nd ed. が出た時に、ようやく大学生ぐらいで、Tarski についてさえ、名前ぐらいしか知らなかった Russell が、Lindenbaum たちのように若い人たちのことを知っていたというのは、ちょっと考えにくいように思われます。
Russell は Chwistek と Leśniewski については知っていました。しかし、2人は強制収容所では亡くなっていません。これに対し、Lindenbaum, Presburger, and Wajsberg たちは、たぶん強制収容所で亡くなったと思われます。しかし Russell は彼らのことを知らなかったと考えられます。Russell が知っていた人物こそが、Russell の言う3人の候補であるとすれば、Chwistek と Leśniewski がその3人に含まれているものと思われます。対して、強制収容所で亡くなった人物こそが、Russell の言う3人の候補であるとすると、Lindenbaum, Presburger, and Wajsberg たちがその3人に含まれているものと思われます。
そこで私が思うに、Russell は知り合いだった Chwistek と Leśniewski の活躍を、戦後聞かなくなり、この2人は Hitler に殺されてしまったと思ったのではないでしょうか。この2人については Russell は確かに知っていたし、しかも Principia をかなり読み込んでいたことを Russell は知っていたと考えられます。その2人の噂を戦後、まったく耳にしなくなり、てっきり Hitler の餌食になってしまったものと思ったのではないでしょうか。もしもそうだとすると、Russell が、Principia を読み切った Poland の3人と言う時、少なくとも Chwistek と Leśniewski とが、Russell の念頭にあったのではないでしょうか。まぁ、私の方で勝手にそのように推理するとしまして、では残りの1人は誰になるのか。Lindenbaum, Presburger, and Wajsberg のうちの誰かでしょうか。
Lindenbaum の著作については、私の手元に次の文献があるので中をのぞいてみると、
- Adolf Lindenbaum and Alfred Tarski ''On the Limitations of the Means of Expression of Deductive Theories,'' in John Corcoran ed., J.H. Woodger tr., Logic, Semantics, Metamathematics: Papers from 1923 to 1938, 2nd ed., Hackett, 1956/1983,
冒頭の page でこの論文は Principia の subsystem に関する話だ、と述べられており (p. 384), Lindenbaum が Principia を何らかの程度、読んでいたことがわかります。
Presburger の著作については、おそらく彼の著作で唯一知られている文献 (の英訳) が手元にあるので、やはり試みに中を見てみると、
- Mojzesz Presburger ''On the Completeness of a Certain System of Arithmetic of Whole Numbers,'' in: History and Philosophy of Logic, vol. 12, no. 2, 1991, First Published in 1930,
どこにも Principia への言及はないようであり、Whitehead and Russell の名前も見受けられないようです。この文献だけでは Presburger が Principia を読んでいたかどうかは、わかりません。
最後に Wajsberg の著作については、次の論文集の中に、
- Storrs McCall ed. Polish logic 1920-1939: Papers by Ajdukiewicz, Chwistek, Jaśkowski, Jordan, Leśniewski, Lukasiewicz, Słupecki, Sobociński, and Wajsberg, Tadeusz Kotarbiński intro., B. Gruchman et al. tr., Clarendon Press/Oxfrod University Press, 1967,
以下の三つの論文が入っていて、
- Mordchaj Wajsberg ''Axiomatization of the Three-Valued Propositional Calculus''
- Mordchaj Wajsberg ''Contributions to Metalogic,''
- Mordchaj Wajsberg ''Contributions to Metalogic - II,''
1本目の論文では Principia への言及がないようであり、2本目では、p. 288, n. 1 において簡単ながら Principia への言及が見られ、3本目では、 p. 320 で簡単に言及されています。というわけで、Wajsberg は Principia を何にしろ読んでいたことがわかります。
こうして Lindenbaum, Presburger, and Wajsberg のうち、明らかに何らかの程度で Principia を読んでいたのは、以上のごくごく簡単な調査に依る限り、Lindenbaum and Wajsberg だったことがわかります。では、この2人のうちのどちらが、該当者なのでしょうか。残念ながら、私にはわかりません。どちらかなのかもしれませんし、どちらでもないのかもしれません。袋小路に入ってしまったことを私も認めます。行き止まりに来てしまいました。でも、ここでもう一度 Woleńsk 先生の文章を引用させていただき、取りあえず本日の日記を締めくくることに致します。
However, deliberations about the individuals to whom Russell referred in his book is without any importance for showing how important the grand work of Whitehead and Russell was in Poland and how it contributed to the development of Polish School of Logic.*14
以上は、まったくの個人的推測です。自室にある文献のいくつかをちょっと引っ張り出してちらっと調べただけの不十分なものです。ですから私自身も本気で上記の事柄を主張しているのではございません。読まれた方も、本気にしないようにお願い致します。私も息抜きで書いているので、あまり真面目にならないように願います。完全な間違いや誤字、脱字などがありましたらお詫び致します。
*1:Woleński, p. 35.
*2:Bertland Russell, My Philosophical Development, Routledge, 1959/1995, p. 66. The last sentence quoted is slightly different from the sentence quoted above by Professor Woleński. Whereas Prof. Woleński says, 'The three other were Texans,' Russell remarks, 'The other three were Texans.' As no problems occur, we do not change anything on the citation.
*3:バートランド・ラッセル、『私の哲学の発展』、野田又夫訳、みすずライブラリー、1963年/1997年、110ページ。
*4:私は Native American の方たちと、この方たちの歴史については無知なので、間違っていましたら大変すみません。その場合、訂正させていただきます。どうかお許しください。
*5:Russell 曰く、'I think they were only Texans by courtesy as, when I met them, they were students at the Rice Institute.' の部分のことを、私は言っています。
*6:Woleński, p. 55.
*7:'[…]' 内は、次の文献情報に依る。Francesco Coniglione and Arianna Betti, ''Philosophical Schools and Trends: The Cracow Circle,'' in: Polish Philosophy Page, http://segr-did2.fmag.unict.it/~polphil/PolPhil/Cracow/Cracow.html.
*8:Woleński さんの list には、Chwistek の名が載っていない。次の文献情報をもとに補足。Francesco Coniglione and Arianna Betti, ''The Main Polish Philosophers of the 20th Century: Leon Chwistek,'' in: Polish Philosophy Page, http://segr-did2.fmag.unict.it/~polphil/PolPhil/Chwi/Chwistek.html.
*9:'[…]' 内は、次の文献情報に依る。Peter Simons, ''An Obituary for Czeslaw Lejewski,'' in: BLC Newsletter September 2002.
*10:'[…]' 内は、次の文献情報に依る。Jan Zygmunt, ''Mojzesz Presburger: Life and Work,'' in: History and Philosophy of Logic, vol. 12, no. 2, 1991, p. 211.
*11:'[…]' 内の情報は、ひとつ前に引用した Woleński 先生の文章に依る。
*12:See, Anna Jedynak, ''Janina Hosiasson-Lindenbaum - The Logic of Induction,'' in Władysław Krajewski ed., Polish Philosophers of Science and Nature in the 20th Century, Rodopi, Poznań Studies in the Philosophy of the Sciences and the Humanities, vol. 74, 2001.
*13:Woleńsk, p. 38.
*14:Woleński, p. 55.