Adam Smith was Kidnapped in his Childhood.

哲学と全然関係ないのですが、先日初めて知って、軽く驚いた瑣事を一つ記します。

数日前まで私はまったく知らなかったのですが、あの Adam Smith さんは子供の頃、誘拐にあっていたようです。これはちょっとびっくりした。「えっ! ほんと? またどうしたの?」という感じです。全然知らなかった。Adam Smith さんの専門家の方や Scottish Enlightenment 方面の専門家の方ならばみんな知っていることなのかもしれませんが、その方面に疎い私はまったく知りませんでした。調べてみると、次の本にその話が出ているようです。

  • John Rae  Life of Adam Smith, London and New York: Macmillan & Co., 1895, pp. 4-5, University of Toronto, Robarts Library, The Internet Archive, https://archive.org/details/lifeofadamsmith00raejuoft.

その話の部分を引用し、参考までに私訳/試訳を付けてみます。邦訳文中の '[1]' などは、翻訳者が付けた註です。なお言うまでもありませんが、私の付けた訳は誤訳が含まれている可能性が非常に高いので、絶対に当てにしないようにしてください。全然読まずにすますか、読むとしても文字通り、参考程度にしてください。訳文については逐語訳をするとガチガチになって非常に読みづらいので、ところどころゆるめて訳していますことを、前もってお伝えしておきます。あらかじめ、誤訳やまずい訳が含まれているであろうことにお詫び申し上げます。あと、現在から見て、引用文中には差別につながるような言葉が出て参りますが、歴史的資料という観点が含まれておりますので、そのまま掲載、訳出させていただきます。他意はございません。この点、お許しいただけますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

He was a delicate child, and afflicted even in childhood with those fits of absence and that habit of speaking to himself which he carried all through life. Of his infancy only one incident has come down to us. In his fourth year, while on a visit to his grandfather's house at Strathendry on the banks of the Leven, the child was stolen by a passing band of gipsies, and for a time could not be found. But presently a gentleman arrived who had met a gipsy woman a few miles down the road carrying a child that was crying piteously. Scouts were immediately despatched in the direction indicated, and they came upon the woman in Leslie wood. As soon as she saw them she threw her burden down and escaped, and the child was brought back to his mother. He would have made, I fear, a poor gipsy. As he grew up in boyhood his health became stronger, and he was in due time sent to the Burgh School of Kirkcaldy.


彼は感じやすい子供だった。幼年期においてさえ[1]、突然ぼんやりしてしまうことに苦しみ、一生付いて回った独り言を口走るくせに悩まされた。幼児の頃については、一つの出来事だけが伝わっている。四歳の時、Leven 川 [2] の岸を望む Strathendry [3] にあった祖父の家を訪れた際、彼は通りがかったジプシーたちに連れ去られ、一時、行方が分からなくなかった。しかし少しすると、ある紳士がそこに着き、数マイル向こうの道端で一人のジプシーの女を見かけ、哀れみを誘うように泣いている子供を背負っていたと話した。ただちにそれらしき方角へ捜索のための人々が出され、話にあった女を Leslie wood [4] で見つけた。女は捜索人たちを目にすると、すぐに背負っていた子を振り落とし逃げ出して、子供は母親のもとに返された。あのままだったら彼は貧しいジプシーになっていたかもしれないと思うと恐ろしい。少年の頃、彼は成長するにつれて健康もよくなり、しかるべき時期が来ると、Kirkcaldy [5] にある Burgh 中等学校 [6] に行くことになった。

[1] ここの部分は 'even in childhood' の訳なのですが、'even' は修飾する語の直前に普通置かれるので、この語は 'in childhood' を強調していることになるものの、なぜ 'in childhood' を強調しているのか、正直に言って、私にはわかりませんでした。どうしてことさら幼年期が強調されなければならないのか、私には英語力がないせいか and/or 常識がないせいか、よくわかりません。ひょっとすると、この 'even' はすぐ前の 'afflicted' を強調しているのかもしれません。そうだとすると「苦しみさえした」、「悩みさえした」となり、こちらなら筋が通る感じがします。しかし、書き言葉で 'even' がすぐ前の語を comma などを伴わずに修飾するというのは普通ないように思えるので、'even' が前の動詞を強調しているということは、なさそうに思われます。でもどうだかわかりません。というわけで、私には、はっきりしなかったので、とりあえず字義通りにそのまま訳しておきます。誤訳しておりましたら大変すみません。

[2] 'the Leven' とは rever の名前ですが、調べてみると、写真で見たところ、小川というか水路みたいな感じの細い川で、東西に流れているようです。私の調査が間違っていなければですが…。その川を写していると思われる写真を二つ掲載しておきます。どちらも1986年に撮影されたようです。前者の写真は西に向かって撮影したもの、後者は東に向かって撮影したものです。それぞれの写真の URL は次の通りです。http://www.bbc.co.uk/history/domesday/dblock/GB-320000-699000/picture/2, http://www.bbc.co.uk/history/domesday/dblock/GB-320000-699000. これらの写真は、BBC の 'Domesday Reloaded' という home page (http://www.bbc.co.uk/history/domesday) から利用させていただいております。ちなみに、この page は数十年前にイギリスで当時の日常の様子を写真に撮って後世に残すという試みがあり、その際に撮られた写真を公開している page のようです。



[3] Strathendry の位置については、以下の写真をご覧ください。その中で 'Here!' と書かれているところになります。この写真は Wikipedia 日本版にある写真をお借りして、加工させていただきました。なお Strathendry の位置を調べるに当たっては、the Royal Commission on the Ancient and Historical Monuments of Scotland という page を参照しました (http://www.rcahms.gov.uk/)。この page では Scotland にある建築物や遺跡などが紹介されているようです。以下の URL で Strathendry を示す地図が出てきます。http://canmoremapping.rcahms.gov.uk/index.php?action=do_advanced&idnumlink=30012.



[4] Leslie wood とは、調べてみると、Strathendry のすぐ東に 'Leslie' と呼ばれるところがあるようですので、たぶんその地のことをここでは言っているのであろうと思われます。これも私の調査が間違っていなければですが…。Leslie の位置は、[3] における Strathendry を示す地図を東に行くと出てきます。

[5] これは Strathendry を南に下った海沿いの街です。海上をさらに南に下ると、対岸に Edinburgh の街があります。小さくて見えないかもしれませんが、すぐ上の地図をご覧ください。

[6] The Burgh School of Kirkcaldy とは Kirkcaldy にある学校のようなのですが、調べてみると、おそらくですが、日本の中学校と高校を合わせたような学校ではなかろうかと思います。ですからここでは「Burgh 中等・高等学校」と訳すのが実情に近いのでしょうが、ちょっとくどい訳ですので、簡単に「Burgh 中等学校」としておきました。


以上です。それにしても、Adam Smith さんが誘拐されたことがあるとは、全然知りませんでした。誘拐されたままだったら、私たちは Adam Smith さんのことを知らないままだったかもしれませんね。そうすると状況はずいぶん違ったものになっていただろうと思われます。


あと、念のため、上記引用文の著者について、簡単な情報を掲載しておきます。出典は次です。

  • ''Rae, John (1845-1915), '' in: 'Biographies of Authors,' The Library of Economics and Liberty, Liberty Fund, Inc., http://www.econlib.org/library/briefbios.html#rae.

Rae, John (1845-1915)

John Rae is best known for his 1895 Life of Adam Smith, later reprinted with an introductory "Guide to John Rae's Life of Adam Smith" by Jacob Viner. (N.B. There are two other contemporary John Raes: A different economist by the name of John Rae, 1796-1872, Scottish author of Statement of Some New Principles on the Subject of Political Economy; and an arctic explorer by the name of John Rae, 1813-1893.)