Why Was Heidegger Keeping his Anti-Semitic Opinions Quiet? Why Didn't He Apologize for his Discriminatory Ideas? Why Did He Kindly Teach his Philosophy to Jewish Students?

2014年6月8日の当日記で、次のような名の項目を記しました。

  • Heidegger's 'Black Notebooks' and the Protocols of the Elders of Zion

この春に刊行されたドイツ語の Heidegger 全集の巻に、Heidegger の反ユダヤ主義をはっきり疑わせる記述が見られるらしい、という内容の話です。その後、ついこのあいだ 7月1日に次の PR 誌が出版され、

  • 『みすず』、2014年7月号、no. 628

この号に以下の文献が載っていることを数日前に知りました。

そこで上記の PR 誌を購入し、拝読致しました。大変面白く、とても勉強になりました。例によって、あちこちで三島先生の皮肉がきいており、読んでいてほほが緩みました。そこで今日は先生のこの文について記したいと思います。なお、上記の私の6月8日の日記項目を事前に読んでおかれることが望ましいです。ただし、それを読まなければ、このあとの話がまったくわからない、というわけではございません。あと、私は Heidegger 哲学の専門家ではございません。それを専門的に勉強しているのでもございません。ですから、このあとを読まれる場合は割り引きながら、お読みいただければと存じます。以下の記述で間違っていることを書いておりましたら、謝ります。誠に申し訳ございません。

追記 (2015年10月4日): 最近、以下のような本が出ました。

この本の中では中田先生ご自身の論考が収められているのですが、おそらくですけれども三島先生の論考に対し、中田先生がその論考の一部を使って反論を述べておられます(「おそらく」と言うのは、中田先生が名前を伏せて反論を寄せておられますので)。以下の本日の日記に見られる通り、三島先生は Heidegger を批判しておられますが、これに対し、中田先生は三島先生の誤解、無理解をただし、三島先生がなした感情的な言い回しに苦言を呈しておられます。もしも三島先生の論考を既に読まれた方は、あるいはこれから読まれる方は、中田先生の論考も合わせて読まれることをお勧め致します。Heidegger を支持する意見と支持しない意見の両方の話を聞くことができます。私は中田先生の論考は、ちらっと見ただけなのですが…。なお、私が誤解していて、中田先生の反論が、三島先生に対するものでなかったならば、謝ります。ご迷惑おかけ致しましてすみません。中田先生にも三島先生にも、お詫び致します。申し訳ございません。どうかお許しください。追記終わり


さて、以下では、私が三島先生の文を読んで興味を持った部分を多数引用してみたいと思います。最も問題となる Heidegger の反ユダヤ主義を述べた文章を三島先生は和訳してくれていますので、まずそれを引用することから始めます。そして、多数の引用文の最後に、私個人の感じたことを記してみたいと思います。引用の前に一言注記しておきますと、この春に出た全集の三つの巻の中では、数か所だけ、反ユダヤ主義的記述が見られるようです*1


Heidegger は言います。

 「世界ユダヤ人集団 Weltjudentum は、ドイツから追い出された亡命者たちに煽りたてられて、つかみどころのないかたちでいたるところにいる。そして、力を拡大しながらも、どこでも戦闘行為に加わる必要がない。ところが、われわれに残されているのは、自らの民族の最良の人々の最良の血を犠牲にすることである」(96, 262)[全集第96巻、262ページ。以下同様。]。
 ユダヤ人はどこの国にいても、戦争中なのに危ない目にあわず、ちゃっかりとうまい汁を「巨大なるもの[= 現代の技術]」から吸い取っている。権力を握りながらも、定めどころのない連中だ。それに対して、ドイツの最良の若者は戦地で彼らの血を…。ということだろう。ハイデガーの二人の息子も東部戦線にあった。[…]
 「世界ユダヤ人集団 Weltjudentum」は、偽書『シオンの賢者の議定書』以来、ユダヤ人陰謀説の語彙であり、ヒトラーが『我が闘争』で「反人種 Gegenrasse」と定義し、演説でもよく使った。シオンの賢者と言えば、ナチスの政権獲得直後にヤスパースハイデガーに、この書を「愚劣そのもの」と言ったところ、ハイデガーは「だってやはり、ユダヤ人の危険な国際的結びつきがあるじゃないですか」と答えたそうである。これはヤスパースの『哲学的自伝』に出てくる話で、文書上の証拠がなく若干一方的だが、ハイデガーのこうした文章を読むと信憑性が増してくる。
 さらには、大嫌いなイギリスについてハイデガーは、イギリスこそは、ヨーロッパ近代の <作為[Machenschaft]> の産物で、アメリカニズムやボルシェヴィズム (このふたつはハイデガーにとって同じ近代の最終形態である)、そして世界ユダヤ人集団の枠を最後まで演じる存在であると論じ、その一節を、次のきわめつきの文章で締めくくっている。「世界ユダヤ人集団に関する問いは、人種的問いではない。人間というもののあり方に関する形而上学的な問いなのだ。いっさいの存在者をいかなる結びつきもなく、存在から根こそぎにしてしまうことを世界史的な <課題> として引き受けるような人間のあり方への問いなのだ」(96, 243)。「存在者を存在から根こそぎにしてしまう」と言うのは、ハイデガーに馴染みのない人にはなにがなんだかわからないだろうが、近代において自然が単に科学的認識による支配の対象となったこと、文明によって人々が故郷や伝統を失って行くことを哲学用語であらわした程度と考えれば、ついていけるだろう。いずれにしろ、こうした文章は、いかなる弁護の余地もなく真正な、これ以上はない反ユダヤ主義である。 真正というのは、生物学主義ではなく、彼の中心的語彙と緊密につながっているからでもある。しかし、どうしてこういうことになったのだろうか? そしてここからどういうことが言えるのだろうか?*2

 よく言われるとおり、ハイデガーは、ナチスにコミットした後、その「市民化」(94, 136) に、そして「凡庸さと卑小さ」(妻エルフリーデへの一九三四年十月十一日の手紙) に幻滅し、距離を置いて、近代の <巨大なもの>、つまり技術と対決し、そのなかでアメリカもソ連もおなじ、力への意志の産物と見る議論を、ニーチェを読む中から展開して行った。形而上学の理性がなぜ技術として <大地の荒廃> (『形而上学入門』) をもたらしたのだろうか? と問う中から、理性そのものを告発するようになった。脱政治である。それに対して、アドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』で論じたのは、なぜ理性が非理性へと逆転したかを、あくまで理性の規範性に固執しながら考え直すことだった。反省的理性の再政治化だった。両者の知的戦略はまったく異なる。
 弁護者たちが言うように、ハイデガーが当時のジャーマン・マンダリンの一員として、反ユダヤ的なメンタリティを共有していただけなのかもしれない。ファリアスの『ハイデガーとナチズム』は、こうしたメンタリティの極限としてのハイデガーを描いていた。しかし、ハイデガーは、反ユダヤ的な言説を公式に述べたことはない。戦後にかつての弟子のマルクーゼの詰問に対して、「ドイツの大学にまたユダヤ人教授が増えて来ている」などと私的な書簡で本音 (?) を述べている程度だ。この真正反ユダヤ主義を私的なノートにだけとどめて、隠していた。なぜなのだろう? 当局に気に入られたいなら (世渡りはうまい方だった)、新聞にでも書けばよかったのに。彼自身が戦後弁明的に言うように、多くのユダヤ人学生を指導していたためだろうか? 個人的にはリベラルで人種差別はなかったのだろうか。戦後にも女性のユダヤ人教授とのかなり長い秘密の関係もあった。いずれにせよ、なぜ「私だけの秘密の反ユダヤ主義」にしていたのだろうか?*3

なぜ Heidegger は、反ユダヤ主義を公式に表明しなかったのだろうか? なぜそのことをほとんどしゃべらず黙っていたのだろうか? なぜ戦後に言い訳めいた弁明を少しするだけで、はっきりと謝罪しなかったのだろうか? なぜ反ユダヤ主義を抱いていたにもかかわらず、多くのユダヤ人学生を丁寧に指導し、ユダヤ人の女性と不倫をすることができたのだろうか?


そして今回刊行の三つの巻の内容を、三島先生は略述されたあと、次のように述べておられます。

 いずれにせよ、今簡単に内容を述べた哲学っぽい議論が、くりかえし、くりかえしなされている。[三巻合わせ]千三百ページどこを開けても金太郎あめのように、同工異曲、大同小異である。そして、ユダヤ陰謀理論と存在史的思考の結合。
 [Heidegger は modernism を批判したが] こうしたアンチモダニズムの連関で、陰謀理論に依拠し、存在史の必然性に塗り込めたユダヤ人に関する発言、いわば私だけのひそかな真正反ユダヤ主義形而上学批判と合体したきわめつきの純粋な反ユダヤ主義を、もういちど問うが、どのように位置づけたらいいのだろうか? もちろん、彼の哲学全体が反ユダヤ主義に染まっているというのも極端すぎる。とはいえ、沈黙の奥に秘めた形而上学 = ユダヤ人 = その世界支配という方程式は、二十世紀最高の哲学者という勲章を剥奪するにはあたいしよう。私の答えは、月並みと病気である。本当のところは、その月並みが月並み以上になったこと、病気が病気以上になったことにある。
 まず書いてあることは、意外と月並みな哲学者なのではないかという疑念を引き起こす。そう見ると『存在と時間』ですらそうではないかとも思えてくる。特に後半の卓抜な一部を別にすれば、文章の魔術を抜きにすると (文体の独自性はたいしたものだ)、部分的にそうとしか思えなくなってくる。「死ぬのは一人、自分だけだ」。それはそうだろう。また、「世界ユダヤ人集団」の件り、もうこれは、現実感覚の欠如としか言いようがない。ビョーキだ。*4[…]


そして月並みと言えば、Heidegger が繰り返した不倫の数々。

 ハイデガーが多くの女性と浮き名を流したことはよく知られている。ハンナ・アーレントと並んで、エリーザベト・ブロッホマンもそのひとりだ。ユダヤ系の彼女はイギリス亡命のあと、戦後マールブルク大学にあって社会教育学の重鎮だった。ハイデガーの隠された結婚生活の相手のひとりだ。他にも一時的な相手にはマルゴット・フォン・ザクセン=マイニンゲンのようなお姫様もいたようで、五〇年代のお相手でわかっているだけでも、六人から七人はいる。おなじくユダヤ系の女性作家として有名なマーシャ・カレコにも言い寄ったようだが、これはうまく行かなかったらしい。八十一歳で倒れたときも、別の彼女との密会に向かう途中だったそうだ。
 これだけ見ると高名をいいことに、好き勝手なことをして奥さんを泣かせていた悪い奴ということになるが、どうもそうした「色気違い」のカテゴリーで捉えてはまちがいのようである。*5

と言うのも、Heidegger の奥さんも不倫をして、しかもその不倫相手の子を身ごもって出産し、そのことを Heidegger に告白している*6。まずいことをしているのは、Heidegger ばかりではなかった。Heidegger も「悪い奴」、「色××い」なら、その奥さんも「悪い奴」、「色××い」だったということになる。Heidegger は妻の不倫相手の子を引き取った*7


それよりも、この二人を単純に「悪い奴」、「色××い」と捉えられないのは、二人が「いわゆる青年運動の時代に青春を過ごした」*8ことに関係がある。たぶん Heidegger は、あの Hoher Meissner の集会に参加していた*9。そしてそのことに彼は懐旧の情を抱いていたようです*10。こうして三島先生は以下のように述べておられます。

 ハイデガーのこの『黒ノート』は、青年運動の時代の持っていたさまざまな可能性の一つの究極の、そして最悪の形態であろう。現実感覚の病的喪失と月並みスキャンダルの究極。青年運動は男女の関係の「脱市民社会化」を試みた。妻の不義の子供をなにも言わず引き取ったことにも現れている。しかし、妻に宛てた書簡集は、こうした開かれた婚姻が、月並みな一連の浮気に退化した、さえざえとした代償の高さを偲ばせるなんとも寂しい、しかし、インテレクチュアル・ヒストリーとしてはきわめて重要な証言である。*11[…]

この引用文中で「青年運動は男女の関係の「脱市民社会化」を試みた」とありますが、おそらくここで先生が言わんとしているのは、当時の運動では、より自由な男女関係の創出が試みられた、ということなのだろうと思います。大変大まかな話をすると、元々 Wandervogel の運動では、男女関係は潔癖、純粋であるべきで、童貞を守るべきだとされていましたが*12、自由ドイツ青年のような団体ができてくるにつれ、そのような潔癖で純粋な男女関係などは欺瞞にすぎないという意見が出てくるようになり、そうなると無理に抑制せず、より自然で自由な男女関係を取り結ぶべきだという radical な見解も現れるようになって、一夫一婦制を否定し、多婚制を容認する若者も出てきたようです*13


ここで、ドイツ青年運動に関する本から、そのことを述べている文を引用してみます。

ところが、青年運動の中に左翼にしても右翼にしてもラディカルな少数の者たちは、性の問題を禁欲によって自己を英雄として陶酔したり、非性化することで、性の健全をうたう一夫一婦制の婚姻の幸福感に対して不満を持ち始める。左と右のアウトサイダーは、節制の考え方とか市民的な婚姻そのものに疑問を懐いたのである。*14

「市民的な婚姻そのものに疑問を懐いた」ことで、一夫一婦制を否定し、多婚制を肯定するなり、より自由な恋愛や性行為を容認して行くこと、これが先ほどの三島先生の、男女関係における「脱市民社会化」の実質なのだと推測致します。

おそらく Heidegger 夫妻は、この「脱市民社会化」を、意識的に、あるいは無意識的に実践してしまっていたのかもしれません。当人たちにとってはより自由な男女関係を取り結んでいるつもりだったのでしょうが、それを世間一般では「不倫」と呼び、よからぬこととされているわけですが、本人たちはすごく真面目だったのかもしれず、それゆえ、先ほど述べたように、夫妻を単純に「悪い奴」、「色××い」とは捉えられないのかもしれません。実際 Heidegger は、寛大にも文句も言わず、妻の「不義の子」を自分の子として認知し、育てています*15。それに孤児になった遠縁の女の子も引き取って二人で育てています*16。これはなかなかできることではありません。


ここまで引用してきて途中で、三島先生の疑問を受けて、複数、その疑問を書き並べたところがありました。もう一度、列挙してみますと、

(1) なぜ Heidegger は、反ユダヤ主義を公式に表明しなかったのだろうか? なぜそのことをほとんどしゃべらず黙っていたのだろうか?
(2) なぜ戦後に言い訳めいた弁明を少しするだけで、はっきりと謝罪しなかったのだろうか?
(3) なぜ反ユダヤ主義を抱いていたにもかかわらず、多くのユダヤ人学生を丁寧に指導し、ユダヤ人の女性と不倫できたのだろうか?

でした。

先生の文章を読んで、私自身が感じた答えを以下に記してみます。なお、この答えは、私個人がぼんやり感じたことであって、確かに正しい答えだ、というわけではございません。根拠はないので、正しい答えだという可能性は非常に低いです。まず間違っているはずです。ですから、絶対に真に受けないでください。絶対に信じてはいけません。読者ご自身で考え、判断してください。間違っているでしょうから、あらかじめお詫び申し上げます。大変すみません。


先生のおっしゃる Heidegger 哲学の月並みさというものを受け入れた上で、上記の疑問に私が感じた答えを与えるとするならば、次の通りです。もう一度念を押しておきますと、Heidegger 哲学の月並みさというものを受け入れた上でなら、私には次のような答えが心に浮かんできます。


(1) なぜ Heidegger は反ユダヤ主義的見解を黙秘していたのか?

    1. 世界ユダヤ人集団を本当に憎んでいると同時に、本気で恐れていた Heidegger は、反ユダヤ主義を公言すると、恐ろしい世界ユダヤ人集団を公然と敵に回すことになる。それは危ない。連中は何せ金を持っていて計算高い。そんな奴らは見えないところから自分の足を引っ張り、私を破滅させてしまうかもしれない。だからずっと黙っていよう。
    2. Nazis が全盛の時代は、同志である Nazis が世界ユダヤ人集団を力でねじ伏せることができていただろうが、戦後に Nazis がいなくなってからは一人で世界ユダヤ人集団の相手をしなければならず、自分だけの力で抑え込むことはもちろんできないので、黙っているに若くはない。私は公然と連中を非難することで勝負するのではなく、我が哲学で隠然と教育することで勝負するのだ。
    3. 反ユダヤ主義を公言すると、不倫相手となる美人のユダヤ人女性が皆逃げて行ってしまう。だから黙っていることにしよう。


(2) なぜ Heidegger は、はっきりと謝罪しなかったのか?

    1. 謝罪してしまうと、世界ユダヤ人集団に対し、負けを認めることになる。敵に白旗を振るわけにはいかない。
    2. 謝罪してしまうと、ユダヤ的なる modernism の克服を目指す自身の哲学の否定になる。それはもちろんできない。
    3. 謝罪してしまうと、今まで付き合っていた、そして今付き合っているユダヤ人女性に愛想を尽かされる。それは嫌だ。


(3) なぜ Heidegger は反ユダヤ主義者なのに、ユダヤ人学生に対して普通に親切に指導し、ユダヤ人の女性と不倫できたのだろうか?

    1. 世界ユダヤ人集団を打ち倒すためには、Nazis のように物理的に全部破壊しようとしても無理がある。必要なのは連中を精神的に再教育することだ。自分が考えている「近代の超克論」をユダヤ人学生に注入し、その考えがユダヤ人の間にも広まれば、世界ユダヤ人集団のこれ以上の拡大をある程度阻止できるはずだ。そのためには普段のユダヤ人学生には親切丁寧に接して、教化してやらねばならない。普段接しているユダヤ人の若者は、世界ユダヤ人集団の一員ではないだろう。私の身の回りにいる美人のユダヤ人女性も世界ユダヤ人集団の一員ではないだろう。だから、彼ら彼女らと接している分には大丈夫だ。またそのようにユダヤ人と仲良くしていれば、世界ユダヤ人集団から反ユダヤ主義者だと目を付けられなくてすむ。

ところで三島先生は、先生の文章の最後で、次のように述べておられます。

 そして [妻の] エルフリーデに宛てたハイデガーの一九二八年二月九日の手紙には、自分の優秀な学生たちをトートナウベルクに招いて「合宿」をする計画が語られているが、そのなかに次の多義的な文章がある。「もちろん、一番優秀な連中は − ユダヤ人だ」。この棒線はなにを物語っているのだろうか。*17

その答えは、上記の (3) の答えに一部書かれているのではなかろうか、と私は感じます。


繰り返し強調しておきますが、以上の私の答えは、個人的に暫定的に何となく感じているだけのことであって、事実この通りです、と言っているものではございません。「何かこんな感じがしてきたな。どうなんだろう?」というぐらいにしかすぎません。単なる仮説です。とりあえず、今感じていることを文章化して仮説として提示し、後日少しずつ検証できればと思っているだけです。ですから、全部完全に間違っているかもしれません。激しい勘違いかもしれません。なので、絶対に私の答えを鵜呑みにしないでください。繰り返します。絶対に鵜呑みにしてはなりません。間違っている場合には、Heidegger さんに謝ります。大変申し訳ございません。どうかお許しください。今後、ゆっくりとながら、検証させてもらいたいと存じます。

ただ、彼がどうしてあそこまで謝罪を拒み、そのために弟子から絶縁されても翻意しないのか、それは人間として問題があるのではないかと思えて、私にはとても不思議なのですが、もしかしてもしかすると、彼は本気で世界ユダヤ人集団の存在を固く信じており、本当にこの集団を真剣に恐れ憎んでいて、何としてでもこの集団をくじこうとした Nazis の運動には、やはり一定の真理があったのだと、彼が考えていたのなら、上記の私の答えにより、彼の態度には、いくらか合点がいくようになると私には感じられます。世界ユダヤ人集団が実在し、裏で糸を引いていると、彼が本気で思っていたなんて、私には信じがたいことなのですが、でもそうだとすると、simple に彼の行動が説明できるような気がしてくるのです。高尚で深遠な哲学的説明を与えることは私にはできませんが、彼は史上最大の偉大な哲学者で、絶対に倫理にもとるようなことをするはずがないと決めてかからずに、私たちと同じく間違いを犯す一人の人間だと冷静に見なした上でなら、上記のような卑近な説明が可能ではなかろうかと、思われてくるのです。間違っていたらすみません。


いずれにせよ、私個人が Heidegger 哲学の研究に望むのは、彼の哲学の本質が、彼の哲学の核心部分が、どのように Nazism になっているのかを、哲学的に明らかにしていただければ、ということです。Nazis とどうかかわっていたのかという外面的な話はそろそろ終えて、その哲学の内面において、哲学的にどう Nazism になっているのかということです。もちろん、そもそも Nazism というものが曖昧でありますから、簡単なことではないでしょうが…。
かつて Heidegger は Löwith に自分の哲学の核心には本質的に Nazism が含まれていることを詳しく説明していました (Rome in 1936)。これはとても有名な話だと思います。そして Löwith は、Heidegger 哲学の中核に、どのように Nazism が備わっているのかを私たちにある程度説明していたのかもしれませんが(『ハイデッガー 乏しき時代の思索者』)、私には難しすぎてよくわかりません。Faye さんもある程度それを説明しているのだろうと思いますが、幾分熱くなっていると思います(Heidegger: The Introduction of Nazism into Philosophy in Light of the Unpublished Seminars of 1933-1935)。誰か冷静にわかりやすく説明してもらえれば、と願っています。それは誰にとっても貴重な知見と教訓になると思います。とても難しい課題ではあるのでしょうが…。


以上、誤解や無理解や勘違い、誤字、脱字等がございましたら大変すみません。きっと多数あると思います。申し訳ございません。後日撤回することになるかもしれません。きっとそうなるでしょう。今後も少しずつ、勉強して行くことができたらと思います。どうかお許しください。

*1:三島、「ハイデガーの『黒ノート』をめぐって」、7ページ。以下、ページ数のみを記します。

*2:9-10ページ。

*3:11ページ。

*4:14ページ。

*5:16ページ。三島先生は、ここで、私には少し misleading と思える言葉遣いをされておられますが、正確さを期するため、そのまま引用させていただきます。実際に先生は Heidegger のことを、そのように呼んでいるわけではないことを、Heidegger ご本人と、先生ご自身のために、言い添えておきます。

*6:16ページ。

*7:16ページ。

*8:16ページ。

*9:16ページ。

*10:16ページ。

*11:17ページ。

*12:上山安敏、『世紀末ドイツの若者』、講談社学術文庫 1136, 講談社、1994年(原著1986年), 192-193ページ。

*13:上山、200-201ページ。

*14:上山、201ページ。

*15:16ページ。

*16:16ページ。

*17:17ページ。