本書の特徴の一つは、世に出ている数学史の啓蒙書では、しばしば間違ったことが歴史的事実であるとして記され、人々に受容されてしまっているが、そのような誤謬に陥らないよう、できる限り1次資料に当たり、現代的な関数の見方を過去に投影するような時代錯誤を避け、二次文献の学説を無批判に踏襲せず、史実に忠実であることを目指している点です。もちろんそうは言っても、誤謬が皆無というわけでもないでしょうから、読者である私たちは、思慮を働かせず本書をひも解くことは避けられねばならないでしょう。この点、著者の先生方も同意していただけるものと思います。いずれにせよ、数学史のお話ではなく、実証的な歴史記述が試みられているようで、とても興味深く有用に違いないと推察されます。Frege を勉強している者として、本書を繙読して、また勉強してみたいです。なお、本書に Frege の話は出てこないようです。(あと、本書の大きな特徴の一つとして、数学史の本としては珍しく、練習問題が多数付いている点です。)

個人的には、丸山さんの『日本政治思想史研究』における江戸思想史に対し、優れた批判を展開した論考を読みたい気分でいます。今までにもそのような試みを展開した興味深い論考はいくつか存在するようですが、今回購入した雑誌の特集号では、例えば澤井啓一先生の「<近代儒教>の生産と丸山眞男」が、ひとまず興味を引きます。先生はつい先日刊行された闇斎の伝記で(『山崎闇斎 天人唯一の妙、神明不思議の道』、ミネルヴァ書房刊)、丸山さんの闇斎評価、解釈が正当ではないと主張されておられましたが、本論考でも、たぶんその線で話を進めているのではなかろうかと推測致します。先生の観点から厳しい言い方をするならば、丸山さんは闇斎に対して、単に徂徠を引き立てる役回りを演じさせているに過ぎない、あるいは少なくとも、丸山さんの説明では、闇斎に対し、そのように読者が解してしまう余地を持っている、ということなのかもしれません。

ちょっと脱線しますが、この他に最近では、中公新書の揖斐高先生著『江戸幕府儒学者 林羅山・鵞峰・鳳岡三代の闘い』が興味深いです、購入しておりませんが…。揖斐先生のご高著では、丸山さんを直接批判されている様子ではございませんものの、従来からの朱子学理解が一面的に過ぎるとして、より詳しい実態を明らかにしようと努めておられます。このご高著を垣間見て思うに、朱子学の1次資料はまだまだ和本のまま眠っていて活字化されて刊行されているものが少なく、その実態が明らかになっていないことを教えられました。丸山さんの朱子学理解が十分でないという批判は、従来からある有力な批判ですが、揖斐先生のように、朱子学の1次資料を掘り起し、また違った角度から丸山さんの朱子学理解に対する鋭い批判が展開されるならば、とても有益で読みごたえもありそうだと感じます。(なお、『日本政治思想史』に対する批判としては、優れた鋭い批判が読みたいです。優れていない批判ではなく、その切れ味の鋭さに思わずうなってしまうような批判を、ぜひともお願い致します。)


以上、よくわかっていない者が、一時の印象を記しただけですので、本気にしないようにお願い致します。誤解や無理解、誤字、脱字などがございましたら、大変すみません。